第22話 嘆き

「荒れた田舎ね」

 フィルリーネの呟きに、レミアはフィルリーネの視線の先を追った。


 窓から見える色彩は薄い茶色で、土なのか枯れ木なのか分からないような不毛の土地が続いている。家々も見えるし、田舎には違いないが、荒れた野原ばかり目に入る。

 レミアもたまに耳にしていたが、地方が死んでいるというのは本当なのかもしれないと思う景色だった。


「マリオンネの女王は容体が良くならないとの話だわ。精霊の動きも鈍っているのかしら」

 フィルリーネの言葉を聞きつつも、随分荒れているなと思った。

 女王は高齢で、ここ数年、いや数十年、そのせいで精霊の動きが悪いのではないかと言われている。しかし、だからといって、そんな簡単に土地がこんなに荒れたりするのだろうか。


 国王は年に一度精霊に願い、国土の安寧の祈りを捧げる儀式を行なっている。精霊はその願いを受け入れて、土地を豊かにしてくれた。それが王族の役目で、王族に与えられた力だ。操るとされているが、お願いするが正しい。精霊はマリオンネのもの。地に住む王族が、その力を借りているにすぎない。

 その願いも虚しく、土地が廃れていっているようだ。


「マリオンネの女王様の容体が芳しくないという証拠なのでしょうか」

 レミアの心配に、フィルリーネはそっと息を吐いた。

「元から何も無いだけね。大したことではないわ」


 地方などフィルリーネにはどうでも良いとあしらった。適当な答えに、レミアも気にはならない。この国は土地が広いので、少しくらい荒れても問題ないからだ。


「列車の旅も疲れたわ。どこか休めるところはなくて?」

 また突如言われた言葉に、レミアは今の話のことをすぐに忘れていた。





「予想以上にひどいわね」

 エレディナはフィルリーネの前を飛びながら、周囲を見回す。

「本当にね……」


 前に魔導の練習をした場所よりずっと広大な土地が干からびている。その土地の所々に家は見えるが人影がない。捨てられた農村だ。

 地面にある土を手に取れば、さらさらと風に乗って飛んで行ってしまう。カサついた土は砂になりつつあり、しばらく水を含んでいないように思えた。


「川はあるわよ。けど、何か臭うわね」

「流れが悪いんだわ。浄化する精霊もいないから、なおさら停滞して悪臭を感じるんでしょう」


 道を歩くと砂埃が舞う。かつて畑だった跡はあるが、そこに農作物はない。雑草もなく、ただ不毛の土地としてあるだけだ。


 これが精霊の消えた土地だ。これからもっと干からびて、灰色の砂だけになる。地質上元々砂だったのではなく、肥えて植物の育つ土地が、途端にこんな風景と変わるのだ。


 川に行けば水たまりのようになっている。水がほとんどなく、湿った部分に虫がたかっていた。生臭い匂いが鼻につく。気候変動でも起きて、雨すら降らなかったように思える。

 しかし、近くの山は青々と茂っている。この農村だけが異常に干からびているのだ。


「こんな風になるのね。ここまではっきり見えたら、さすがに精霊がいなくなったと思うでしょう」


 日の暮れた時間、夕日も闇に溶けて辺りは急激に暗くなってきた。星がなければ何も見えなくなる。近くに火を入れる家がないからだ。イニテュレの町はここからもう少し行ったところにある。この農村の食物でイニテュレの町は生きていたはずだ。食物が取れなくなった農村を捨てた者たちは、町に行っているのだろうか。


「どうする気? いなくなった原因を、先に探す?」

「周囲に散らばった精霊たちの聞き取りは、エレディナに頼んでいい? 私はここでしばらく祈りを捧げる」

「分かった」


 エレディナは頷くと高く飛び上がった。遠くにいるであろう、精霊たちに話を聞くのだ。フィルリーネはそれを見つめてから、ふうっと大きく息を吐いた。マリオンネから賜った力を使うのは、魔導と体力がいる。


 指先を宙に伸ばして、ゆらりと光を灯した。

 水のない川に、戻るように願う青緑の色。流れるように描かれた文字は光を伴い、ゆるゆると宙に伸びていく。一つの輪の中に記号が描かれて、くるくると回り始めた。広がる輪は青緑の光を得たまま、ふわりと浮かんで空へと移動する。


 次に描くのは、活性化を促す鮮やかな黄色。

 描く記号に灯る色が炎のように膨らんでいく。合わせて描くのは、芽吹きの柔らかい黄みの緑。共に色を保ったまま描かれた文字は混じり、光の粉を巻きながら円を描き広がっていく。


 空に登るのはその魔法陣。広大な土地に満遍なく降り注ぐには、大量の魔導が必要だ。流れていく魔導の力を感じて、フィルリーネは両手を広げた。


『本来ならば多くの場所に赴いて願うのだよ』

 儀礼的な儀式の中、叔父ハルディオラは悲しそうにして言葉を残した。


『フィルリーネ。お前は王のようになってはならない』


 自分は誓った。叔父ハルディオラの遺体の前で。


「私が終わらせるわ。叔父様」

 まばゆい光が大地に降り注ぐ様は、誰の目にも止まらず、ただ静かに続けられた。






「フィルリーネ様が熱を出されてしまって」

「こんなど田舎でゆっくりしたいなんて言っといて、それ?」

「声が大きいわよ」


 フィルリーネの寝所から出てきたレミアに、ムイロエは嫌悪感丸出しで、呆れるように言った。扉の前にいた護衛が、コホンとわざとらしい咳払いをする。


 泊まった場所は第二都市カサダリアに行くまでの途中にある田舎町で、かろうじて貴族が住むような小さな町だった。そこにいきなり王女が泊まりにきたのだ。それはもう大変な騒ぎだったし、部屋を貸して食事を出さなけれはならない貴族が哀れだった。貴族専属のシェフはいたし食材もあったようだが、王女が来たとなれば話は別だろう。


「医者はただの発熱だって。風邪なんてほとんど引かないのに」

「遊び歩いているからじゃないの?」


 ムイロエは辛口だ。フィルリーネがルヴィアーレを連れてこなかったのを、まだ逆恨みしている。

 カサダリアに行く途中で熱を出してしまったので、到着予定がずれ込むことを伝えると、カサダリアにいる副宰相より小型艇で迎えに来るという連絡が来た。体調を崩したフィルリーネを移動させるのも躊躇うが、副宰相の指示だ。従うしかない。


 泊まることになった貴族の屋敷で、体調が悪いと夕食を早めに摂って休んだのだが、真夜中に部屋から大きな物音がして扉を開くと、フィルリーネが床に倒れていたので大騒ぎだったのだ。


「体調が悪そうになんて見えなかったわよ」

 ムイロエはどうでもいいと荷物をまとめる。しかし列車内でも疲れたと言っていたのだ。本当に体調が悪かったのだろう。そう言うと、ムイロエはふんっと鼻を鳴らした。どうしても納得したくないらしい。


 そろそろカサダリアの小型艇が到着する頃だろう。列車の旅は長くて疲れるので、小型艇が迎えにきてくれれば楽である。

 そう思っていると、護衛の騎士が慌てるように飛び込んできた。


「ガルネーゼ副宰相がいらっしゃいました!」

「ええっ!?」


 ムイロエが反応した時、その護衛騎士の後ろから現れた男に、レミアは息を呑み込んだ。

「ガルネーゼ副宰相……」


 なぜ副宰相が直々に迎えに来るのだ。現れたガルネーゼに、ムイロエが慌てて部屋の隅へ寄ると頭を下げる。副宰相のガルネーゼは第二都市カサダリアに滞在する、王族を除いた中で国の二番目に身分の高い男だ。ムイロエが対応できる相手ではない。無論レミアも対応する立場ではないが、フィルリーネの側仕え主事はレミアだった。


 黒髪を短く切った、かっちりとした髪型のガルネーゼは長身で細身だが、古豪の騎士という雰囲気がするのは鋭い目つきのせいだろう。レミアはつい後ずさりそうになるのを何とか堪えると、フィルリーネの寝台へ促す。

「こちらでございます」


 ガルネーゼは何も言わず頷くと、フィルリーネの寝台へと近付き、眠っているフィルリーネを抱き上げた。寝巻きのため誰かに見せる姿ではないので、ガルネーゼが自分のマントで包んで顔を隠してやる。

 無言で連れて行くのを見て、レミアが急いで後を追う。詳細な話を聞かれると思ったが、ガルネーゼは何も言わず、そのまま小型艇までフィルリーネを連れて行った。


 王女が体調不良でも、見知らぬ貴族の屋敷に泊まることを良く思わなかったのかもしれない。ガルネーゼは結局カサダリアに到着した後も、フィルリーネを抱えて寝台まで連れて行ったのだ。






「何をやったか、聞かせてもらおうか」


 目が覚めたら目つきの悪い四角い顔をしたおっさんが、椅子に座って腕を組んだまま、偉そうにしてこちらを見ていた。体調不良の寝起きにあまり見たくない顔である。


「顔を洗いたいのだけれど」

 今、間違いなくひどい顔をしている自信がある。そう言ったら顔を洗うための桶を顎で指されて、フィルリーネは顔をしかめる。女子が顔を洗うのを横で待つらしい。ガルネーゼはその表情を見ると、鼻垂れガキが何しようが同じだ。と鼻であしらった。


「エレディナから聞いた。無理な真似をして熱を出して倒れるなど、何をしているんだ。お前は」

 聞いていたら聞くことなどないだろうに。ガルネーゼは長い足を邪魔そうに組んで、椅子の上で踏ん反り返る。


 副宰相のガルネーゼは騎士上がりで、細身な割に筋肉質な身体をしている。魔導にはあまり縁のない人なので魔導を使う戦いは得意としないが、長身を利用した剣技で一目置かれていた人だ。若い頃、叔父ハルディオラの護衛騎士をしていたが、明確だけれど突飛な戦略を持つ頭を買われて、政務補佐を両立していた。

 そして現在、騎士団団長ではなく何故か副宰相となり、第二都市カサダリアに滞在する人となった。


「さっさとカサダリアまで来ればいいものを、精霊のいない土地で精霊を呼び戻そうとしただと? それがどれだけ魔導の力がいるものなのか分かっていて行なったのか? あれは精霊の力を借りて行う儀式だ。日程を決め、女王の許可をいただき、初めて行われる儀式であって、王族だからといって勝手に行なっていい儀式ではない」


 元騎士の割にはおしゃべりが長過ぎて、鬱陶しがられる人である。話半分に聞いて、フィルリーネはベッドに潜り込んだ。まだ頭が重い。


「あ、こら。ちゃんと聞け!」

「もー、こっちは病人ですー。出てってくださいー」

「出てってじゃない。何が病人だ。魔導の使い過ぎでぶっ倒れただけだろうが。大体あの儀式はだな、精霊が精霊を呼び、多くの精霊に土地を潤してもらうという、神聖な儀式だ。精霊のいない場所で行うわけではない。そんな何もない土地で行なって、精霊が簡単に呼べるわけなかろう」


 だから、エレディナに様子を聞きつつ、呼びに行ってもらった。その前にちょっとだけ精霊が望むような土壌を作っただけである。精霊を呼ぶための促す力場を作っておけば、望んで来るかもしれない。


「それをお前は、自分の力を過信でもしているのか。王族であっても精霊を完全に操れるわけではないのだ。精霊に力を借り、その力を得て精霊を呼ぶのであって、お前自身に呼ぶ力があるわけではないのだから、無理に浄化を行い精霊を招くなど、来るまでに一体どれだけの魔導が必要だと思うのだ。だから熱を出して倒れるなど、醜態を晒すのだ」


 ガルネーゼはくどくどと似たような話を言い方を変えてしつこく話してくる。それは嫌われる上司のお説教であると、こちらも何度言ったことか。一度言えば分かるのに、繰り返される説教はただの苦痛である。


「えーい、うるさいうるさい。ガルネーゼうるさい。もうおやすみなさい。私はまだ眠り足らない」

「充分寝ただろうが。寝すぎだ。起きろ! 何日眠る気だ!」

「何日?」


 何を言っているのか。窓の外は日の高さから見て夕刻である。一日眠っていたくらいで何日はないだろう。そう首を傾げると、ガルネーゼは大きな溜め息を吐いて頭を抱えた。


「お前は丸二日眠り続けていた。分かっているのか、フィルリーネ。魔導の使い過ぎは命にも関わる。お前をならしているイムレスにも、説教が必要だな」


 ガルネーゼの言葉に、フィルリーネはあんぐりと口を開けた。

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