第15話 魔導院

 城の中央には、魔導に関する庁舎が立ち並ぶ。


 魔導研究所や精霊研究所、魔導書庫や植物研究所。医療所、植物園などもあり、一定の人間しか入れない部屋も多い。その魔導院で働く者には、許された衣装がある。それを着ている者は魔導院の職員であり、魔導の強い者である証でもあった。


 魔導を研究する傍ら、強力な魔導に近付きすぎると身体を壊すことから、魔導を通しにくい衣装を身に纏わなければならない。フードのある黒いマント。縁には金糸で魔法陣が描かれ、魔導を制御させていた。部屋にはそのフードを被った者や、ただ纏っているだけの者がいる。

 頭と心臓は特に隠した方がいいとされているので、部屋でもフードを被ることが推奨されていた。動きづらくてそれをとっている者も多いのだが。


「最近発掘された古文書だよ。要約するように」


 ゴトリと置かれた粉を吹いた古文書は石でできており、紙と違ったカビ臭さを感じた。端の方は黄色く濁り、何箇所か欠けている。文字が掘られた後、ニスで文字が消えないようになされていたが、ニスごと欠けて文字すらなくなっていたりする。


「王が調べさせているものだよ」

 微かな小声に、フードの中でフィルリーネは顔を上げた。


 目尻に溜まったシワは強力な魔導を浴びすぎた者の名残である。まだ四十二歳なのに金髪だった髪は白く、口元にも小じわが目立った。若い時は男女ともに憧れるような美貌の魔導騎士だったと聞くが、その面影は今では分からない。

 強力な魔導の流れは人の身体にも影響を与える。それを知っていながら研究に埋没した結果だと、本人は笑った。


「失礼いたします。イムレス様、こちらを確認していただけないでしょうか」

 ノックの音と一緒に、開いた扉の向こうに男が現れた。呼ばれたイムレスは、こんこん、とキャレルを指で叩いてその場を離れ部屋を出る。


 イムレスしかいない部屋の隅にある、本棚から隠れた場所に置かれたキャレルは、フィルリーネがこっそり使う場所だ。昔からあるキャレルのため古ぼけていてささくれているので、他の者たちは使いたがらない。

 それでなのか、いつもイムレスが何かしらの書を置いて物置状態になっていた。その書のせいで人が座っているのが周りから見えなくなる。

 魔導院副長のイムレスが部屋を占領し、物を置いているのだ。それをどかして座ろうという者はいないだけだが。


 渡された石板に目を通すと、古い文字で書かれているのが分かる。古代使われていたとされる、精霊文字だ。今でも精霊文字は使われるがその文字よりも古く、ほとんど暗号である。しかも所々剥がれているので、読解には時間が掛かりそうだった。


 少々厚みのある石板は二枚ある。軽い物ではないので動かすと石が擦れる音がした。間違ってもキャレルから落とさないようにする。

 文字を目で追っていくと、なんとも珍しい魔法陣の描き方や、その記号が記されていると分かる。


『物騒な魔法陣を調べてるじゃない』

 頭の中でエレディナの声が聞こえて、フィルリーネは小さく頷く。

 自分が声を出せばこの部屋に人がいるのが気付かれてしまうので、声は出さない。扉は開いたままだ。イムレスを呼んだ男は扉を閉めてくれなかった。


『ここなんて特に笑えるわね。あんたこれ、後でやってみるんでしょ?』

 エレディナが手だけ出して気になる文字を指で示す。水色に薄く透き通った手だけ石板の上に現れるので、気持ち悪いからやめてほしい。


 指された記号を読み解いて、持っていた紙に書き写す。イムレスはこうやってよくフィルリーネに攻撃や防御の魔法陣を見せてくれるのだ。見せてもらえるからといって簡単に行えるものではないのだが、見せてくれるということは、行なってみせろの意味である。これは後で練習しなければならない。


 王が調べている古文書となれば、王もこの魔法陣をどこかで使う気なのだろう。物騒なのは魔法陣を見ていて分かるのだが、どこまで物騒なものなのか、フィルリーネには分からなかった。練習するならば人気もなく、何かあっても大丈夫そうな土地を選ばなければならない。


『ああ、面倒なのが来るわよ。移動しましょ』

 エレディナの声にフィルリーネはそっと顔を上げた。半開きになった入り口の近くに魔導院院長が見える。腰の曲がった老齢の男性だが、研究馬鹿で魔導に全てを捧げる狂人的な人間だ。そこに善悪はなく、自分が興味のある物をどこまでも追い求める。


 王が非人道的なことを行おうとそれが研究として面白いと感じれば、簡単に力を貸すような老人である。

 魔導院には概ねそんな人間が多いのだが、良識が全くないのも問題だ。


 彼はフィルリーネの存在に気付いていない。王女としてここに来ない限り、彼に見付かりたくない。エレディナの声に頷くと、フィルリーネは姿を消した。






「この宿題は、ちょっと面倒そうね」


 イムレスから渡された古文書を写した物を広げて、フィルリーネは纏っていた黒のマントを脱いだ。しっかり畳むとクローゼットの中に放り込む。クローゼットの中は多種類の服がかけられており、フィルリーネはその中にあるチュニックと長ズボン、ベルトを取り出した。


 商人が着るような袖がしまっている男物の服に着替えて、フード付きマントを羽織り、ブーツを履くと、髪を一つに縛った。特に飾りもせず一つにしただけだ。身分が高く見えるような物は付けない。服も城で得た物ではなく街で購入したものだ。


「さて、行きましょうか」

「いつものところより、広い場所がいいわよね」

 エレディナがふわりと浮いてフィルリーネに手を伸ばす。その手をとって、大きく頷いた瞬間、もう景色は変わっていた。


 自分の部屋ではない景色は、広い空とどこまでも続く荒野だ。遠目に山が見え、人気は全くない。大地は枯れていて雑草が所々見える程度の、ほとんど土だけの土地。

 エレディナが風に乗って移動している精霊を見付けて、ここから離れるように伝える。頷いた小さな存在は光を瞬かせて消えていった。


「この辺に精霊はそんなにいなそうね。近付かないように伝えたから、当分何も来ないわ」

「そんなにいないって言うのも、どうかと思うけれど」

「魔獣ならいるんじゃないの?」

 だからそれがどうかという話だ。むしろ練習で倒したら? と平然と返されて肩から力が抜ける。


「もう何年もそんなだって、あんた分かってるんでしょ。今更だわ。この国は精霊が少なくなっているのよ」

 その事実を、分かっていても調べきれないもどかしさ。もっと狭ければ目星もついたかもしれないが、この国は大国と言われる程の国土を持つ国である。人の住まない場所を選ばれたら、分かるわけもない。


「さ、始めましょうよ。もう覚えたんでしょ?」

 エレディナはイムレスが出す宿題が気になると、お尻を空に上げながら宙で肘をついた。

 その体勢、器用すぎて、視線に困る。足元はひらひらさせた衣装で見えないのでどうなっているか分からないが、なびいた裾が見えたり見えなくなったりしている。姿を現す時足元は疎かになりやすいようだ。


「エレディナ、外でその体勢やめなさいよ」

「誰も見てないわよ」


 どうでもいいからやれ、と言われて、フィルリーネは人差し指で宙に文字を書き始める。

 イムレスからもらった古文書の魔法陣の型は複雑で、描く順と流れを間違えると途中で行き詰まる。そうならないように描かれていた通りに宙に描くと、赤色の光を纏いながらその魔法陣が宙に描かれた。


「赤色はやだわあ」

 魔法陣の色を見て、エレディナはフィルリーネの後ろに隠れる。どんなものが出るのか分かっていると、人の肩から前方を覗いた。


 最後の仕上げ、自らの魔導を流し、魔法陣を起動させる。指から流れる魔導が魔法陣へと吸い込まれると、魔法陣は更に色を濃くし、光を放った。

 瞬間、四方に弾ける赤い火の玉が荒野へと解き放たれる。ドオオオオンと山にまでこだましたその音と衝撃。フィルリーネとエレディナは戻ってきた突風に身体が揺らされた。


「きゃっ」

「ちょっと、威力!」


 ひどすぎ。エレディナの声が掠れた。風の勢いが強すぎて、エレディナが飛ばされないようにフィルリーネの首に巻きつく。

 火の玉が落ちた場所は土を焦がし、辺りの枯れ草を焼き尽くしている。地面が窪んで、その土がどこかへと飛ばされていた。


「あの男、あんたを破壊魔にしたいのかしら……」

「これは、力加減と照準制御の練習が必要だわ」


 味方がいるところで放ったら、完全に巻き添えにする。当たれば軽傷では済まない。こんな魔法陣を王が調べていたことを考えると、フィルリーネはぞっとした。これを、どこで使う気なのだ。


 フィルリーネの身長と変わらないような大きさになった魔法陣は、まだそこに留まっている。消そうとしなければ消えない型だ。大抵は一度行なったら消えるものだが、意図して消さなければ消えない、重複使用可能な魔法陣である。


「さすがに古代の魔法陣は違うわね」

「こんなの、いつ使うの」

「マリオンネが世界の中枢になる前は、そんなものだったってことよ」


 あまり聞きたくない話だ。マリオンネの前は習うことがない。そこに既にあって、女王が王を決め、国を作った歴史が始まりだ。


「今は集中しなさいよ。大体これ、かなり魔導量使う魔法陣よ? あんたの魔導がどの程度まで保つのか、いつも通り確認した方がいいでしょう。威力によっては、街一つ飛ばせるわね」

「飛ばすほどの場所なんて、限られると思うけれど」


 そんな戦いは行いたくないが、相手が使ってくるのならばこちらもそれを相殺できるくらいにはしておきたい。ついでに、味方を巻き込まずにする方法も考えたい。


「まずは力加減を知っておかないと」

「そうよ。遠くにやって。私が疲れるわ」


 エレディナは嫌そうに顔を手で仰いだ。エレディナとは相性の悪い魔法陣だ。彼女は火が好きではない。後ろに下がって、遠くから見るのだとふわりと浮かんで離れていく。


「そんな空にいても、熱風は飛んでいくと思うけれど」

「もっと遠くに行くわー」

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