第14話 アシュタル2

「まあ、そんなことがおありで? 素晴らしいですわ、フィルリーネ様」

「ええ。わたくし、とても嬉しく思ってよ」


 どうでもいい話でよくそこまで話が続くものだ。自分の自慢話に花を咲かせて、学友に褒められて喜ぶ。

 学院ではそこそこの成績を持っているようだが、何かしらに付け上がり、茶会と称した噂話を開いて、自分がさも偉いかのような話をする。頷き続ける友人たちも大変だろう。


 誰も本気で相手をしていないのに、恥ずかしい女だ。

 学院での警備は、ある意味疲れる。


 フィルリーネの護衛を任命されて一年ほど。毎日がうんざりだった。


 フィルリーネは、勉学などは命じられた分だけ行い、あとは部屋に籠もる。芸術に秀でているとかで絵を描くのが好きらしく、絵具を持って部屋に入ったっきり。自ら行なった魔導で結界を作り他人は入れないようにしているが、その程度もどれほどのものか。

 機嫌を損ねて罷免されることを考えれば誰も中に入ろうとしないので、その程度も分からない。


 フィルリーネは王族でありながら精霊と会話ができない。会話ができる者は王族でも多いわけではないとは言われているが、国を守るためにマリオンネから賜った力がありながら、元々の魔導が少ないため、全く使えないなどと聞いたことがなかった。

 その程度の魔導しか持たないフィルリーネが、魔導で部屋に結界を作れること自体驚いたものだ。


 ロブレフィートの練習をしないのでしつこく叱られると、中でやるからとロブレフィートを部屋に入れさせた。防音魔導がかけられた部屋から音楽が漏れることはない。本当に弾いていないの間違いだろうが。


 あの不気味な父親にして、この娘。この国は終わるしかない。

 だが、部屋に籠られると皆が安心する。

 フィルリーネが部屋に籠もれば、一時経ってもまず出てくることがない。皆の休憩時間だ。





「書庫へ行ってくる」


 フィルリーネの護衛騎士になって良かったのは、フィルリーネの住む棟のすぐ近くに、魔導院書庫の分院があることだった。国王の弟がフィルリーネのために作らせたと言うが、入るところなど見たことない。


 国王の弟はフィルリーネを我が子のように可愛がっていた。執務に紛れて現れるフィルリーネを隣に座らせる。その姿が微笑ましかった。古くから王の弟に仕えていた騎士はそう言う。生き残っている者は少ないけれど。


 その頃からか、フィルリーネの成績が悪くなったとかで、王の弟が悪く言われるようになった。当時五歳だか六歳だかで、甘やかしすぎだの遊ばせすぎだの言われた頃に、王の弟は強盗に襲われて亡くなったのだ。


「前の本の続きは、と」


 フィルリーネ専用の書庫と言えるので、ここに人はほとんど来ない。掃除婦がやってきて、埃を落としていくくらいだ。今日は片付ける司書すらいない。本館の魔導院書庫は魔導院の人間が常に使用している状態なので、あちらには大勢うろついているが、ここは静かでいい。


 いつも通りと本を探したが、丁度読んでいる本の続きが抜けている。一冊分ないので誰かが持っていったようだ。

「おかしいな」


 この書庫から本を持ち出す馬鹿はいない。持ち出してバレることはなかろうが、万が一ということもある。高価な本が無くなっていたら、フィルリーネの機嫌が悪くなるだろう。


「……いや、ならないか」

 しかし、おかしい。そう思って周囲を見回すと、キャレルに人影が見えた。


 ギクリとした。ありえない人間がそこで一冊の本を持って静かに立っている。くすり、と笑った口元に、ぞわりと背筋が冷え切った。


「仕事中にいい身分ね」

「フィルリーネ、様……っ。お付きもなく、お一人でこちらに……?」


 周囲に警備の騎士はいない。いつもついている側仕えもいない。いくら部屋に近い書庫でも、一国の姫が一人で城をうろつくことはない。

 フィルリーネは微笑みながらこちらに歩んできた。なぜか自分の足が勝手に後ずさる。


 なんだ、この雰囲気。


 いつもならば口を尖らせるようにして顔を背け、腹立たしいと顔を真っ赤にさせる。くだらないことを自慢して、自らを誇示しようとする。それはあまりに滑稽で、十二の子供でも見ているだけで呆れしか出てこない。

 それなのに。


 フィルリーネは持っていた本を振るようにして表紙をこちらに見せた。

 自分が読んでいた、続きの本。本棚にあいていた、あの場所にあったはずの本だ。


「続きはここよ」

 フィルリーネが本を手渡してきた。間違いなく自分が読んでいた本の続きで、一冊しかなかったものだ。フィルリーネはそのままくるりと踵を返す。自分に背を向けて、後ろ背で小さく不気味に笑った。


「周りを気にすることね。宿題をあげるわ。十日後のこの時間、ここで答えをもらいましょう。これは、誰にも言ってはダメよ?」

 そう言って、本棚の陰に隠れると、姿を消した。


「なんだと……」

 姿がない。一体どうやっていなくなったのか分からない。転移式魔法陣の跡はない。場所から場所へ転移するのには魔法陣が必要だ。それを使用すれば跡は残るし、そもそもそんな転移用の魔法陣を描くまでに時間が掛かった。先ほど自分はこの絨毯の上を歩き棚まで来たのだ。魔法陣があればすぐに気付く。


 手渡された本を見つめているだけで、持っていた手に汗が滲んだ。

 本の間に何かが見えて、恐る恐るそれを摘んでみる。入っていたのは一枚の紙で、折りたたんであったそれを広げた。


「不正の記録?」

 書かれた紙には、まさに今自分が調べていた、騎士団の金の動きが書かれていた。関わっている者、その金額。その使用目的。書いていないのは、その金がどこへ流れていくかだ。

 わざと空白にされているその部分を記せと言われている気がした。


「あの娘、嘘だろう?」


 いつも部屋に籠もって、何をしているか知らない。知ろうとも思わない。馬鹿なことばかり言う王女が部屋に籠もれば、皆がやっと息をつけるから。

 それなのに、なぜその娘が、自分の読んでいる本を知っている? いつから見られていた。そして、この不正の記録を、どうやって調べ手に入れたのか。その調べを、なぜ自分が行なっていると分かったのだ。


 鳥肌が立った。

 今までずっと、周りを騙していたのか。


「周りを気にしろ、だと……」

 気にして分かるのか。あの娘の存在を。魔導が全く使えないようなふりをして、転移式魔法陣の跡も残さない真似ができる娘の存在を。

 そもそもあの娘一人で動いているのか。他に仲間がいるのか。


「冗談だろ……」

 呆然としすぎて動くことができなかった。そして呆れた。自分の愚鈍さに。十二歳の子供に、自分は長年騙されてきたのだ。





 金の動きを調べるのは困難がいった。巧妙に隠されているし、その情報を得るために秘密裏に動くことも難しい。フィルリーネのように転移が可能ならばどこでも探すが、自分の身分では探す場所にも範囲が決まってしまっている。


 これを十日で出せとは、大した宿題だ。自分が一年かけて探し出した事実が、紙一枚に書かれていたのだから。

 その紙も、書庫を出るといきなり燃え出して消えるという徹底ぶり。胸元が熱いと思った瞬間、胸元が燃えていた俺のその時の驚愕が分かるか。紙だけが燃えて服も肌もなんともなかったが、なんだ、その魔導。十二歳の娘が使える力か!?


 もう、誰かにぶちまけたい。それが出来るわけないと分かっていても、ぶちまけたい。


 十日間フィルリーネを警備していたが、いつも通りどうでもいいことを自慢げに話しては癇癪を起こしている。あんな毒のある笑みで人を脅してきた娘には全く見えない。別人だ。

 時折笑う顔が、こちらを見ているように思えてぞっとした。完全に自分はあのフィルリーネ王女に怯えを感じているのだ。


 金の集まる先を見付けたのは、結局約束の最後の十日目だった。

 誰が使用し、誰がそれを使っていたのか。王騎士団の執務室に呼ばれて手伝わされた仕事の中に、普段ならば気にもしない資料にそれが残されていた。当時まだ副団長ではなかったヤニアックが記していた資料は、ただ日記のように日々の使用を記したものだけだったが、それだけで使用した人間が簡単に分かったのだ。

 ヤニアックが深く考えないことを良いことに、隠れ蓑に使われていたのである。


「あら、素敵。よくできているわね」

 渡した資料の写しに、フィルリーネは十二歳とは思えない表情で笑った。


 間違いなく今の王女は悪役だ。その年でそんな悪女のような笑い方をされて、怯えないなんて無理だろう。

 口にしていないのに、フィルリーネは頰に指を当てて首を傾ける。その仕草がまた恐ろしい。見たことのない表情でこちらを見つめるからか、フィルリーネの前で畏怖を覚えるとは思わなかった。


「早速、捕らえて……」

「このままでいいのよ。今動けば、潰されるのはこちらだから」


 一瞬、何を言っているのかと耳を疑った。フィルリーネはその紙をするりと胸元にしまうと、何事もなかったように、いつもの笑い方をする。


「わたくし、気長に待たなければならないの。まだ時間は早いわ。あなたにできて?」

 話し方もいつもと同じ。偉そうで傲慢で、人を蔑む、その瞳。

 しかし、もう本当の姿を知った。彼女は愚昧な者ではない。そう演じながら、いつも、たまたまを操ってきた。


「……狩猟大会の、魔獣は、」

「あの時は良く働いてくれたわね」

 全てを言わんとも察する。彼女は何もかも考えて動いているのだと。


 あれは誰を助けた? 誰が行なった?

 フィルリーネが見えているものは自分と違う。


 これが、十二歳の娘か。

 寒気しかしない。そんな感覚初めてだった。


 そう思えば、既にフィルリーネの前で跪いていた。


「この身に誓い、あなたをお護りします」


 彼女に忠誠を誓った、その時だった。





「まあ、わたくし知らなくてよ。ルヴィアーレ様はそのような方だったのね!?」


 フィルリーネは相変わらず空気も読まず、大声でルヴィアーレを罵った。周りの女性たちはなんてことを言うのかと、呆気にとられている。


 あのバカっぷりを演じていられるのがすごい。


 フィルリーネは周囲の反応など気にせず会話を進める。さすがのルヴィアーレも面食らっているようだ。


 ラータニア国王弟、現王の弟であり第二王子だったルヴィアーレ。フィルリーネの印象では、油断のならない曲者。

 それでも、フィルリーネを超えることはないだろう。


 悪いが、お前にフィルリーネ様は似合わない。彼女の真実を知らぬ者に、彼女はやれぬ。

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