第13話 アシュタル

 ルヴィアーレの元に、隠れて人を置きたいと言っておきながら、正攻法で堂々と人を置こうとするのは、フィルリーネだけだろう。


 アシュタルはフィルリーネの部屋を出て急ぎ足で自分の仕事場に戻りながら、苦笑しそうになった。顔は不機嫌を出しながら、廊下ですれ違う者たちから「またフィルリーネ様に理不尽な注文を受けたのだろうな」と思われるように、憤懣やる方ないと鼻息荒く足早に廊下を移動する。


「今度は何だって?」

 予定通り王騎士団に所属する団員ピノリアッタからフィルリーネの要件を問われた。


「ルヴィアーレ様の警備を王騎士団から出せとさ。俺は伝言係じゃない!」

「お前も苦労するなあ。フィルリーネ様に関わった時点で、もう逃げられないんだよ」

「それで仕事中呼ばれるんだぞ? 冗談じゃない」

「この間は何だっけ。魔獣のような物がいたから、探して追い出せ?」

「あれは最悪だった。目端に入ったから間違いないと言われたが、側仕えも警備の騎士たちも誰も見ていなかったんだ」


 フィルリーネの話をしていると他の団員も集まってくる。フィルリーネの奇行は対岸の火事として見ると笑い話が多いのだ。他人事だと思って、と恨みがましい視線を送るとすぐに誰かが宥めてくれる。


「諦めろ。お前の運命だ」

「名を覚えられていいじゃないか。王女の専属だ」

「勘弁してくれよ。団長にフィルリーネ様の伝言をしないと。団長はどこだ?」

「執務室にいたぞ。行ってこい。早くしないとお叱りを受けるだろう」


 団員たちに応援されて、アシュタルは執務室へと向かった。

 実際、早くしないとフィルリーネは小言を言ってくる。本心はそこまで急がなくていいと思っているのだろうが、彼女はポーズで行ったのかどうかを問うてくるのだ。本気であんなことを言ってくる上司だったら、はたきたくなる。しかし、そのポーズを彼女は長く続けてきた。


「失礼いたします。フィルリーネ様より要望がございました」


 許しを得て執務室に入ると、そこには騎士団長の他に副団長もいた。

 口周りにヒゲを蓄えたボルバルト団長は王の腹心で、王と共に何をしているか分からない人物だ。副団長のヤニアックはフィルリーネを良く思っていない一人だ。騎士団の中でも正義感は強いが熟慮することが多く、その割に単純で動きが鈍い。


「フィルリーネ様が、また何か言い始めたのか?」

 反応したのは副団長のヤニアックだ。太い両腕を組んで、太い眉を顰めた。重量のある人で、首回りもとても太い。これで素早く動けるのだから、筋肉の筋はどうなっているのかと疑問に思う。張りすぎて切れることはないのだろうか。


「ルヴィアーレ様の連れてきた騎士が頼りないからと、一人追加してほしいとのことです。いかがしましょう」

「ルヴィアーレ様の警備ならば、こちらから五人もお渡ししているのだぞ? それをご存じないだけだろう」

「本日、何かあったようです。お怒りになっていたので、早めに対処した方がよろしいかと」

「まったく、あの方は」


 ヤニアックは鼻息荒くして椅子にふんぞり返った。勢いよく背もたれにもたれたので、椅子ごと後ろに仰け反りそうになる。


「ボルバルト団長、いかがしましょう。私としては、これ以上王騎士団から人を出したくはないのですが」

「フィルリーネ様がお望みならば仕方ないだろう。アシュタル、誰か丁度良い者はいないか?」

「は、メロニオルはいかがでしょうか。見た目は強そうですが、あまり腕はありません。フィルリーネ様は体躯を見て納得されるのではないでしょうか」

「これ以上腕のある者はとられたくありませんが、メロニオルか。訓練では腕はいいからな」


 ヤニアックがメロニオルの名を聞いて逡巡する。

 メロニオルは、剣の腕はあるのだが実戦となると途端に弱くなる、本番に力が発揮できない不器用な男だ。見た目も筋肉質で鍛えているのがありあり見え、いかにも強靭な肉体を持っているが、実際使えない。しかし、鍛錬の相手として申し分ないので、鍛錬を考えると抜けられるのは困るのだろう。ヤニアックは腕を組んだまま考えこむ。


 見た目が強そうならば、フィルリーネは文句をつけることはない。弱そうならば、なぜあんな者をルヴィアーレにつけたのか文句を言わなければならなくなってしまう。それは避けた方がいい。

 ついでにルヴィアーレの元で騎士たちと鍛錬しても、メロニオルが弱いことは気付かれない。実戦がない限り、ルヴィアーレも文句をつけられないのだ。


「メロニオルならば引き際もわきまえていますし、ルヴィアーレ様の邪魔にはならないかと。無用にルヴィアーレ様の周辺に人を増やしすぎて、警戒されていると誤解されてしまうでしょうか?」

「構わんよ。そうするといい」

「ありがとうございます」


 ヤニアックが決める前にボルバルトが決定した。アシュタルは礼を言って執務室を退出する。

 ヤニアックだけだったらいつまで経っても決まらないところだった。


 あの男は正義感が強くても考えを一本化できない。そのため動きに迷いが生じる。だから副団長に選ばれているのだろうと、フィルリーネはそう分析していた。

 迷っても団長であるボルバルトの決断が早いため、考えをまとめる前に決まると深く考えられなくなる。命令に従って動いているうちに気付いても遅い。だから扱いやすいのだ。と。


 まだ十二歳の娘が、あの男は使えない。と言い放ったのである。正義感があっても空回り。長く考えすぎて答えが分からなくなる。だから考えなくても分かる相手を嫌うのだ。

 分かりやすく馬鹿な真似をするフィルリーネ王女は、ヤニアックにとって悪になる。


 だからこそ、あの男につく者は注視しろ。そしてその中でも王に不信を抱いている者を探せ。

 そう言われた時は、首を傾げた。


 嫌いな人間が同じだと意識はまとまりやすい。それを使え。と、当時十二歳の娘に言われた時の衝撃は忘れられない。

 分かりやすくあのフィルリーネを悪く言うヤニアック。我が儘フィルリーネは実際害悪だ。同調する者の中に王に疑問を持っている者も集まってくる。ヤニアックには話さずとも、同調している者同士で王の話が始まることはある。


 自らは王の愚痴を口にはしてならない。聞くだけに徹しろ。王に目を付けられないために。

 それを実行して、微かながら王に疑問を感じていた者を見付けた。表立って口にしないが、本当にこれでいいのかと自分に問うような者を。


「メロニオル、ちょっといいか?」


 街中にいたら喧嘩は売りたくないな、と思うほど目に見えて強靭な身体を持つメロニオルは、短い金髪は刈り上げられて、首筋がはっきり見える。首すら鍛えているような筋肉質な男だ。

 しかし、体躯に合わぬ垂れた目を瞬かせた。小動物のような動きに顔と体躯が合っていないと思うが、精神面が顔に出ているようだ。返事をするとアシュタルについてくる。


 話は聞いているのだろう。他の者たちから、頑張れよー。と声を掛けられて、遠慮げに笑って返す。

 人通りのない廊下から外に向かうと、周囲が目に入る広場へと進んだ。誰かが近付いてきても分かる広場の中心にある噴水前で、メロニオルに向き直す。


「フィルリーネ様からの命令で、ご婚約者であるルヴィアーレ様の警備についてくれ。ルヴィアーレ様の騎士が頼りないそうだ。頼むよ」

「フィルリーネ様の、ご命令ならば」

 メロニオルはこくりと頷く。高飛車フィルリーネ王女のご希望だ。


「彼の方より、何でもいい、情報を集めろと。この国に来ることになった理由は特にだ」

「承知しました」

 メロニオルは顔色を変えずに首を垂れた。彼の方が誰かは分かっている。アシュタルはばしばしと肩を叩いて、慰めるようにした。


「悪いな。飽きればすぐに騎士団に戻れるはずだ。どうせ一時のことだと思うぞ。気にくわないことがあったみたいだからな」

「いえ、お役に立てるならば。すぐにルヴィアーレ様の棟に行きます」

「ああ。頼む」

 

 その昔、メロニオルの話をフィルリーネにした時、彼女はメロニオルを報告書の細かい騎士。と称した。なぜそんなことを知っているのか、聞けば彼女は平然と言ったのだ。騎士の名前と顔と成績は全て覚えている。と。


 フィルリーネの記憶力は尋常ではない。目を付けている者などは特に覚えている。

 メロニオルの書く報告書は些細なことも事細かく書かれ、見る者は面倒だろうが情報を得るにはとても分かりやすい。そんな評価を、メロニオルを紹介する前からしていた。だから、メロニオルに話をしたいと言えば、大したことがないように、いいよ。と口にした。


 フィルリーネの真実を知れば知るほど寒気がした。この娘は、一体いつから偽ることを考えていたのか。


 フィルリーネの本当の姿を知ったのは、彼女が十二歳の時だった。





「また、襲われたらしい」

「今度はどこだ?」

「クラッカルト様とその部下たちだ。いきなり魔獣が館に入ってきたとか。生き残りは下働きだけだそうだ」


 不穏な噂は、この頃特に多かった。

 誰々が魔獣に襲われた。誰々が強盗にあった。魔獣の入ることができない防御壁が街を覆っているのに、なぜか一家族を襲うために入り込む。結界の張られた貴族の館にも入り込む。そして、たかが強盗に襲われて、数人の騎士が死んだ。


 不可思議で、けれど分かりやすい事件は、大抵王に結び付く。それを表立って言う者は少なかった。口にする者はその後何かに襲われるからだ。


 王の存在は不気味だ。命令はいつも淡々とし、感情の欠けらもない。そんな王に反する言葉を耳にした途端、その噂が消えていく。王は叱咤するでも討論するでもなく、意見を聞いて終わりにするだけ。手を加えるでもなく放っておくのに、反論する勢力が集まり声を荒げた途端、火が消えたようにその存在が消え去っていく。


 いつからこんなことが起きるようになったのか。小さな事件であれば不幸で済み、すぐに忘れ去られていただけなのかもしれない。ただここ最近、死ぬ人間の数が多く、誰もが危険を感じ始めていた。


「またバカな女が、頭のおかしいことを言っている」

「し、聞こえるぞ」


 フィルリーネが狩猟大会の茶会で、謁見していた貴族に何かを言った。

 どうせ自慢話をしたのだろう。警備をしているとどうしてもフィルリーネの話は耳に入る。聞いているだけでうんざりすることも多く、騎士同士でフィルリーネの馬鹿さ加減を罵ることもあった。


 父親は不気味でも、娘は血の繋がりを疑うほど能天気で愚かだ。

 先程の騎士の声は流石に耳に届いただろう。フィルリーネと話していた貴族の女性たちは気まずそうにこちら見遣った。


 馬鹿だな。あんなに大声で言うやつがあるか。


 フィルリーネの馬鹿さ加減に耐えかねて、つい口をついてしまう気持ちは分かるが、フィルリーネは癇癪持ちだ。また部屋に籠もると言って、席を立つだろう。

 フィルリーネには聞こえていなかったか、貴族との話は癇癪で止まることはなかった。騎士の一人が安堵の息をつく。


 そんな小心ならば、言わなければいいものを。


「アシュタル」

 不意に呼ばれて顔を上げれば、フィルリーネが呼んでいた。

 この頃はよくフィルリーネに呼ばれていた。その時の用は、狩猟用の弓が見てみたいから、ここに持ってこい。だった。


 本物の弓を近くで見たいと言われて持ってきた弓が、この後すぐに役に立つ。騎士は弓を持たぬのに、たまたま弓を持っていたお陰で、空から舞い降りてきた魔獣を傷付けることができた。


 その時は、何も気付かなかった。

 しかし、その後もたまたま特に大したことのないどうでもいいことを命じられることがあり、その時は面倒だと思ったし、何で俺に命令するのだと心の中で散々罵っていたが、命令の後は大抵おかしなことが起きた。


 それでも何も気付かなかった。フィルリーネはいつもおかしなことを言って、皆を困らせていたから。

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