第11話 第二夫人の子供

「フィリィ姉ちゃん、これ難しい……」


 マットルは渡された玩具を手にし、ぐぬぬと口を歪ませながら、がくりとうなだれた。


 分数の玩具を与えると、マットルはその意味をすぐに理解した。いつも子供たちで果物を分けるので、分けるという数字は頭にスルリと入ったらしい。しかし、一割、二割、と言い方を変えると、途端に理解が追いつかなくなった。


「おもちゃが、それ用に作られてないものね」

 教えながらでないと理解は難しそうだ。数字の木片の裏面は絵柄なので、そちらにして数字は考えさせないようにゆっくりと教えていく。十の一割は分かるけれど、十五の一割は難しい。教えるこちらも、もっと小さな木片を作らなければと考える。


「割り切れないと難しいね」

「うん。でもおれ、計算ずっと早くなったよ。市場の旦那に店番できるんじゃないかって言われた」

「それはすごい!マットルは市場を手伝うの?」

「ううん。バルノルジさんに相談してて、おれ姉ちゃんみたいな職人になりたいなって」

「私みたいな、職人?」

「おもちゃ作りたい。それで、旧市街の子供たちに勉強教えたい」

「マットル……」


 フィルリーネは感極まってギュッとマットルを抱きしめた。

 自分を目指したいなんて言われるとは思わなかった。今まで自分がやってきたことが自己満足ではないと言ってくれているみたいだ。


「嬉しいわ。マットル。そうしたら、たくさん勉強しなくちゃね」

「職人になりながら勉強は大変だって言われた。フィリィ姉ちゃんって、子供向けじゃない勉強の道具も作ってるんだろ?」


 フィリィは頷く。第二都市カサダリアでは、貴族向けの勉強道具、大人向けの玩具やゲームなどを売っている。こちらは資金集め用なので貴族に合う豪華な仕様だ。元手はかかるが利益が高い。ダリュンベリでも売る予定で、バルノルジに相談中だ。


「フィリィ姉ちゃんは勉強ができるからおもちゃをすぐ作るけど、おれは勉強ができないから、新しい商品は簡単に作れないって言われた。だから両立するために、たくさん考えなきゃいけないって」

 六歳の子供にバルノルジは厳しい。しかし、それだけマットルの将来性をみているのだろう。この年で子供に勉強を教えたいなんて夢はすぐに思い付かない。


「じゃあ、私はマットルがたくさん勉強できるように、マットルのためのおもちゃを作ればいいわね」

「え、本当!?」

「私には弟がいてね。まだ四歳なんだけれど、その子はたくさん勉強して、大変なお仕事をしなければならないから、普通の子供よりずっと難しいものを与えていかなければならない。だから、その難しい勉強道具をマットルに先にあげるわ。そうしたら、マットルの勉強も捗るでしょう?」

「やった! おれ、頑張る!」


 マットルは飛び上がって喜んだ。商品はマットルで試させてもらっているところがある。マットルが難しいと思う水準で作れば、マットルより少し上の子供向けになるし、簡単だと思えばマットルの年向けになる。

 第二夫人の子供であるコニアサス王子は現在四歳だ。マットルに与える玩具では難しいが、それをこなしていかなければならない。この国の次の王は、そのコニアサスである。


 コニアサスが成長した頃にまだ王がこの国に君臨していたら困るが、次代として頑張ってほしいところだ。コニアサスが王になる頃自分はこの城にいないだろう。無論手助けはするつもりだが、王女の手助けが必要ないくらい育ってほしい。


 なんと言っても、ものすっごく、可愛いのである。





「あら、今日は外に出ているのね」


 城の王宮庭園、この時期に大輪の青の花が咲き誇る、王の第二夫人が住まう南の宮からフィルリーネの宮の丁度間に位置した庭園で、第二夫人とその息子コニアサス王子に出会った。

 跪いたのは第二夫人ミュライレンだ。長くうねった金髪を後ろに束ねており、その髪がふわりと揺れた。息子のコニアサスを腕に抱え、一緒に首を垂れる。


「フィルリーネ様には、ご機嫌うるわしくお過ごしのことと存じます」

「先ほどまではよろしくてよ」


 ミュライレンはぴくりとコニアサスを押さえる指を強めた。機嫌を損ねるとコニアサスが攻撃される。後ろに庇いたいだろうが、身分上できずに我慢していた。 

 ミュライレンは貴族の娘でこの城に嫁いできた。フィルリーネの母親は王族の外戚なので、貴族より身分が高い。そのためフィルリーネの方が身分が上になるのだ。


「コニアサス、フィルリーネ様にご挨拶を」

 ミュライレンは微かな震え声でコニアサスに挨拶を勧める。コニアサスは母親の雰囲気を感じ取るのが早いので、怯えるように母親を見遣ってから、フィルリーネに首を垂れた。


「フィルリーネさまには、つつがなくおすごしのことと、ぞんじます」

 拙いがしっかりと言えて、コニアサスはホッと安堵の表情を見せると、淡い水色の大きな目をフィルリーネに向けて、すぐに口を閉じた。金髪より少し鈍い色の髪で、走り回っていたのか汗をかいてぺとりとしていた。犬が戯れていたみたいに肩が揺れている。口を閉じていると息が続かないようで、はふはふ息をした。


 可愛いすぎる。


 しかし、フィルリーネからすれば後から生まれた次代の王である。第二夫人の子供でありながら将来はフィルリーネよりも身分が高くなる予定。フィルリーネからすれば邪魔な相手なのだ。


 本当ならあの汗を拭いてよしよし撫でてあげたい。むしろ一緒に駆けずり回りたい。

 その気持ちを抑えて、ちろりとコニアサスの持っている人形に目を向けた。


 実は、あの人形はフィルリーネが考案したものである。第二都市カサダリアの商人から副宰相に取り付けてもらい、コニアサスへと届くように手回ししていた。使うか使わないかはミュライレンによるが、いつも彼女はコニアサスに使わせている。


 人形は部品を組み立てることができ、人形になったり獣になったりする。その部品は手押し車に片付けられるのだが、部品を通す隙間が部品のパズルになっているため、片付けも楽しくできるのである。

 しかし、そろそろあの玩具も卒業した方がいいだろう。簡単な数字も紛れさせているが、ミュライレンがそれで数字を教えているか分からなかった。


「あら、まだお人形で遊んでいらっしゃるの? お勉強はされているのかしら? コニアサスはダメな子ね」

 ミュライレンの後ろに控えていた側仕えが前で組む指を強めた。与えているのはあの側仕えのようだ。ならば彼女に数字の玩具を渡すように仕組めば良いだろう。

 マットルが好むパズルを渡せば、楽しめるかもしれない。


「気分が悪いわ。どいてちょうだい」

 そう言って、フィルリーネは横を通り過ぎた。弟との触れ合い? 終了である。


 はあ、目とか大きくて、時々瞬くところがすごく可愛んだよ。ちょっとやんちゃで側仕えたちが良く走り回っているのを見かけるけれど、礼儀はしっかりしているし、勉強も頑張っているのか、挨拶は日毎しっかりしてきているし。

 優秀になるね。あれは間違いなく優秀になる。


 コニアサスに直接文句を言ってしまうと怖がれてしまうので言いたくないのだが、心を鬼にして言っている。あまり言いたくないので、すぐにその場を離れることにしているけれども。


 はあ、可愛かったなあ。


 しかし、少し散歩と言いながら庭園に入ったのが失敗だった。いつもならば回廊から覗く程度で、できるだけ会話をしない距離を保っているのだが。

 新しい玩具に色を付けたいので、花を見たかったのだ。絵を描くのに一輪欲しかったわけだが。


「レミア、花を届けさせてちょうだい」

「承知しました」

 初めからそうしていればよかった。しかし、久し振りに弟に会えて満悦である。


 本当は抱っこしたいよ!


 花を部屋に運ばせると、青の大輪が部屋を明るくさせた。引き籠もり部屋ではない、側仕えたちが入る部屋は壁紙の基調が淡いローズ色なので、青があると部屋が引き締まる。一面は別の色にしたいのだが、さすがに塗るわけにはいかないので我慢だ。

 引き籠もり部屋は好きにできるので、一面の壁に紫の花の絵を描いていた。そろそろ別の絵にしたいが、時間がない。


 私には、子供たちのために玩具を作るという使命がある。


「部屋に戻るわ」

「フィルリーネ様、ルヴィアーレ様とお茶の時間では」


 あ、忘れてた。


 ルヴィアーレとのお茶の約束をしており、それまで微妙な時間があったため、庭園を回ることにしたのだ。花が欲しかったので、手に入ればそんなことはすっかり忘れてしまっていた。


 もう、会いたくない気持ちが溢れているね。

 会う度嫌味を言っていてなんだが、ルヴィアーレが本気で嫌がっているのを見るのは、さすがにきついものがあった。

 嫌がるを通り越して、拒絶感が半端ない。むしろ、敵意すら感じる。


 お互い全く興味もないのだし、さっさとこの茶番を終わらせてほしいと思っていても、上手くいかないため、心の中で謝るしかない。

 協力するにも、ルヴィアーレが何を犠牲にしてこの国に来なければならなかったのか、事実が分からないため、正直な話をすることもできない。そもそも二人きりになれないので、無理な話なのだが。


 だとしたら、嫌味の応酬で向こうが何とかして出て行くのを見守るしかなかった。しかし、その動きはなく、その方向はないに等しいと分かった。なんとか帰れるように、こちらでも王の動きは注視しているが、今の所袋小路なのである。


 まだしっかり話をしたこともなかったので、せめてお茶でもして探るかとか思ったが、もう誘ったことを後悔している。

 正直、面倒臭い。なんといっても、ルヴィアーレも曲者だからだ。


 服を整えて部屋に移動し、ルヴィアーレが来るのを待つ。ムイロエがなぜか部屋に花を飾った。ここに持って来いとは頼んでいないが、ルヴィアーレが来るので飾ったのだろう。部屋がいつもより、やけに綺麗に整っている気がする。


「ルヴィアーレ様がいらっしゃいました」

「本日は、お誘いいただき、ありがとうございます」


 ルヴィアーレは仰々しく礼を口にした。静かに笑んだ顔に、部屋の女子たちがきゅんとするのが分かる。気のせいかな、側仕えが最近部屋近くをうろうろしている確率が増えたようなのだ。

 今日も客間の前をうろついている側仕えを見付けた。人の顔を見てそそと逃げていったが、おそらく自分が部屋に入ったので、すぐに戻ってくることだろう。


「美しい花ですね」

 早速、ルヴィアーレがムイロエの飾った花を褒めた。話すことがないので、まず何かを褒めたりするのがルヴィアーレの手だ。にっこりと微笑む心の中で何を思っているのか、あまり聞きたくない。


「庭園に咲きました、ビオンサの花ですわ。この時期に満開になりますの。お座りになって」

 ルヴィアーレを、机を挟んだ前の椅子に促すと、正面を向くルヴィアーレの後ろに官務の男がついた。その後方に騎士二人がいる。やはり連れてくるのはこの三人のようだ。しかし、これではルヴィアーレに付いてきた全員を見ることができない。

 一度、全員確認したいのだが。


「ルヴィアーレ様が連れて来られるのは、いつもその三人ですのね。名前を伺っていなかったわ」

「失礼いたしました。私の補佐を勤めるサラディカ。身長の高い方がレブロン、もう一人がイアーナと申します」

「騎士のお一人は、随分お若く見えますけれど」

「私より年は下で二十一ですが、我が国で剣の腕を王より見込まれた者です。お見知りおきを」


 紹介されて一度首を垂れたが、イアーナは胸を張って背筋を伸ばした。褒められたのが嬉しいのだろう。誇らしげにして顔を引き締めた。

 分かりやすい性格だ。腕は良くとも外交には問題のある護衛なのは間違いない。


 レブロンと呼ばれた方は身長と体格のせいか年はかなり上に見える。三十代かどうか。一度首を垂れたが特に表情は変わらない。よくイアーナの隣で肘打ちしているのを見るので、面倒を見ているのは同じ騎士の彼なのだろう。体格のしっかりしたお兄さんである。


 サラディカはいかにもできる男なので、アシュタルの言う通り、この男は要注意だ。ルヴィアーレの補佐ならば故国でも政務を行なっていたのだ。二十代後半くらいに見えるが、若くても優秀に違いない。


「我が国のような大国にいらっしゃったのだから、多くの者たちを連れてきたのでしょうけれど、過分なものでしょう?」

 存外に、人数いたら邪魔だわ。という意味で嫌味を口に出してみるが、人数は知らないふりをする。案の定イアーナが顔に出した。多くなんて連れてきていない。と言いたそうだ。


「残念ながら我が国は小国ですので、多くをこちらに連れてこられるほど人材がおりません。必要最低限の者しか連れてきておりませんので、煩わせることはないと存じております」

「まあ、小国ですとそのようなことになるのね。では、一体何人連れてこられたのかしら?」

「後ろの者たちを含め、十三人でございます」


 数は間違いないようだ。ルヴィアーレの言葉にイアーナが不満ありげにこちらを睨んだ。反応が若すぎる。あれでは王に付け込まれるだろう。腕が良くても問題だ。


「十三人に何ができまして? 騎士たちに側仕えの仕事をやらせるのかしら。そのような器用な者、一度お話ししてみたいわ」

「フィルリーネ様に顔をお見せできるような身分の者はおりませんので」

「わたくしが見たいと言っていてよ?」


 ルヴィアーレは静かにフィルリーネを見据えた。何を考えているのかと言う視線と、面倒なことを言ってきたなと言う視線。そうしてふわりと口端を上げた。


「承知いたしました」


 ルヴィアーレはすぐに人を呼ぶように命じると、イアーナが動いた。すでに不満顔をしているイアーナを使うあたり、気を付けてはいるようだ。

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