第10話 婚姻の衣装2
婚約の儀式が行われた場合、婚姻までまた時間が掛かる。婚約していきなり婚姻にならないのは、王族ならではの事情があった。
精霊の相性だ。
天の司マリオンネにて婚約の儀式を行うと、婚約したその国の王族と繋がりを持つことができる。王族に近しい者として変更がなされるのだ。
王族の配置を変更すると、精霊の制約がその土地のものに変更される。そうすると、前の土地の精霊を従える力は薄れていく。その力を失っていくと、新しい土地の精霊を王族として従える力が備わる。
しかし、前の力を失わない限り、新しい土地の精霊の力を得ることができないことがある。前の土地の精霊との相性が良すぎると、新しい土地の精霊がその土地の王族だと認めないという副作用が起こるため、時間を要するのだ。
新しい土地の精霊たちがその者を認めたことを見極めて婚姻を行わないと、前の精霊の力を残していることに、新しい土地の精霊が怒りを持つ可能性がある。そのため、婚約から婚姻までの時間が必要になるのだ。婚約の儀式を行ってからの配置換えになるので、この時間差はどうにもしがたい。
その上、新しい土地の精霊にもその者との相性がある。精霊にも種類があるので、一種の相性が合っても他の種との相性が合わなければ、王族として精霊を従える力を得ることができない。
前の土地の精霊と相性が悪ければ精霊の力はすぐに失われるが、新しい土地の精霊と相性が良いという理由にはならないので、これも行ってみなければ分からなかった。
マリオンネにて行われる儀式なので、地上であれば婚姻という形はとれるのだが、精霊に関して王族としての力を得るには、マリオンネでの婚姻までに時間を要するのである。その土地ならではの精霊の力を得るので、精霊の相性というのはとても繊細な話なのだ。
ただ、これは魔導量が多く、精霊に愛されている者ほど起きる例である。ルヴィアーレの魔導量が少なければ、そこまで問題にはならない。
だから、婚約の儀式で配置換えが行われる前に、ルヴィアーレには帰ってもらった方がいい。フィルリーネからすれば時間は婚姻まであるのだが、ルヴィアーレにとっては婚約の前が良いのは確かだった。
早く帰ればいい。それを口にしたいが、王に従順でなければならないので、嫌味の応酬しかできなかったのだ。しかし、覆されることがないと分かったため、今度はルヴィアーレに近付き、情報を得るしかなくなった。
「フィルリーネ様には、こちらのお色がお似合いかと」
「こちらのレースをあしらわれてみてはいかがでしょう」
女性たちは一様に並べられた布やレースを手に取り、どれがフィルリーネに似合うかを競うようにして見せてくる。
いつも通り警備の騎士二人と官務の一人を伴って、ルヴィアーレはソファーで微笑みながら、その様子を見守っていた。
「ルヴィアーレ様はいかが思われますか?」
あ、聞いちゃう?
フィルリーネはルヴィアーレの隣に座りながら、耳だけを傾けた。
「女性の服は種類が多いので迷われますね。フィルリーネ様に相応しい細微な装飾がされたものが良いのではないでしょうか」
どれがいいと答えるのではなく、曖昧だけれど並べられた布の中で特に高価そうな物を見遣って、ルヴィアーレは発言した。フィルリーネが反対しなさそうな布を選んでくるあたり、さすがである。
「そうですわね。この布はジラウッド産の細い糸を紡ぎ、クゥベラダの糸を混ぜ合わせ織り上げたとても珍しい布で、」
女性が手に取った布はお高い生地で、白でありながら光の加減でキラキラと銀色に光る、珍しい布である。
何に使うかって? 婚姻式だわ。
話すきっかけは、あるにはあるが、一番直近で行動を共にする事案が、早く婚姻式の衣装を手掛けなければならない。だった。婚約の儀式が延期されたとはいえ、それがすぐに行われる可能性もある。だとしたら、婚姻用の衣装作りは早めに始めなければならないと、王より言葉を賜った。
レミアは涙を流したフィルリーネを見ており、ムイロエはルヴィアーレとの婚姻に反対だ。フィルリーネを含む全員がいい顔をしなかったのだが、王の助言となるば反対もできない。
では、商人を呼び、布選びから始めようとなったわけである。婚姻の衣装であるため、ルヴィアーレも同席しなければならない。フィルリーネの衣装が決まれば、ルヴィアーレはその衣装に合ったものを着なければならないからだ。
そんな衣装作っても着ないよ? 布がもったいないし、お金ももったいないよ?
内心の声とは裏腹に、まあ素敵、これもいいわね。などと言わなければならない苦痛。
王の命令なので拒否できないこともあるが、王の要望を受け入れた体を取らなければならないため、フィルリーネは積極的に布選びをしなければならなかった。
「衣装の形によって布も変わるでしょう? わたくし、型も迷っていてよ?」
この際、すんごく悩んで縫製の進みを止めようという策を思い付き、あれがいい、これがいいを言いまくることにした。あまつ、今日は決めなくていいわよね? で終わらせるつもりなのだ。
私、天才。
もしくは、こんなもの選べなくてよ。と言うつもりだったのだが、商人にそれを言ってしまうと専属をクビにされる可能性がある。王女の専属をクビにされたら他の貴族からも契約がなくなるだろう。街の人間にそんな負荷はかけられないので、どれも良すぎて選べない戦法にしたのだ。
なにせ、ルヴィアーレもやる気ないしね。
にこにこ笑顔だが、全く興味ないだろう。人の話を聞いているふりをして、部屋に入ってきてすぐにフィルリーネの警備を確認した。いつもついている警備はフィルリーネ専用の護衛騎士、五人だ。他に王が選んだ騎士二人がいる。政務では一人だったのに、二人になったのを見て顔を確認した。
狭い部屋に七人も騎士はいらないので、フィルリーネ専用の護衛騎士二人は、廊下で扉前を守っている。後一人が部屋の中の扉前。そして、二人がフィルリーネの側に控えた。王が選んだ騎士二人は部屋の端におり、部屋の様子をうかがっている。
ルヴィアーレの側には、ルヴィアーレが連れてきた三人の他に見知った騎士が二人いたが、一人だけ知らない顔がいた。あれが王の監視だ。
アシュタルの話ではまだ監視はいるはずだ。ルヴィアーレの部屋に残っているのだろう。ルヴィアーレが部屋にいない間にルヴィアーレの部下が何かしないか監視しているのだ。
これだけ人が多ければ、ルヴィアーレに何か問うてもまともな答えは出てきそうにない。差し障りない答えだけでは欲しい答えは得られないだろう。やはり二人きりになる方法を考えなければならないが、婚約前の男女が側仕えもなしに早々二人きりにはなれない。
さて、どうすべきだろうか。
「あら、そちらの布はなあに? 全て見せてちょうだい」
商人は言われた布をすぐに出してくる。高価な布を少しずつ出してフィルリーネの興味を狭めるつもりだったようだ。一気に出しては迷うので、方向性を絞るつもりだったのだろうが、今日は決定しない予定なので邪魔させてもらう。
箱に入っている布を全部出せと命令して、机上は布だらけになった。立ち上がって見聞するふりをして周囲の様子を確認すると、ルヴィアーレの若手騎士が頰をひくつかせていた。長引くのを嫌がっているようである。
甘いな。女性の衣装選びはこの程度では終わらない。まだ一時も経っていないのに、終わるわけがなかろう。
あれがいい、これがいい、やっぱりあっちがいい。を何度も繰り返していると、若手騎士はイライラし始めた。
あの子短気だなあ。よくこの城に連れてきたね。隣にいる騎士が肘打ちをしている。
政務補佐だという眼鏡の男は、ルヴィアーレ同様表情が変わらない。ここは揺さぶってみたいところである。
「ルヴィアーレ様はどう思いまして? わたくし、この型が良いのですけれど、こちらの布も気になっていて。ですがこの布ですとあの型には合いませんでしょう?」
困ったわ。と悩ましげに頰に手をやって答えを待った。ルヴィアーレが優等生な答えをくれるだろうが、そこを蹴りつけるように反対したい。その時後ろがどんな反応をするのか見たいのだ。
しかし、ルヴィアーレも飽きてきていたのか、意外にはっきりと言ってきた。
「女性の好みは分かりませんので、迷うだけ迷われたら良いかと思います」
「まあ、使えないのね。見立てることもできないないだなんて! 未来の夫として力不足なのではなくて?」
「申し訳ありません」
ルヴィアーレはすぐに謝った。若手騎士は目くじらを立ててきたが、眼鏡の男ももう一人の騎士も特に何を表情に出すでもない。
「もう、ルヴィアーレ様には伺いませんわ。聞いたわたくしが間違っておりました!」
フィルリーネならそう言うだろう、その言葉を口にして、ふと気付く。
もしかして、わざとか?
フィルリーネは怒らせれば癇癪を起こし、その場から逃げるのが常だ。今は王の命令なので部屋を出て行ったりしないが、癇癪を起こせばルヴィアーレに二度と問わないだろう。
ルヴィアーレは申し訳なさそうにしながら、やはり笑んでいるだけだ。
考えすぎだろうか。
「これから一年かけて作られるのですね」
精霊との相性が悪ければ最悪一年はかかる。ルヴィアーレは自国の土地の精霊と相性がいいのだと、暗に言った。
時折垣間見える、笑顔でありながら冷静で蔑むような瞳。光に当たって雨上がりの露のように薄い水色に見えた瞳がフィルリーネの姿を捉えて、一瞬で消した。
ああ、本当に嫌で来たんだ。
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