第3話 バルノルジ

 果物屋のおばさんに礼を言って、フィリィは次の場所へ向かった。


 市場を通り抜けて、今度は店の並ぶ市街地の東へと進む。市街地東部は街から出る東門に繋がり、商人の通りの多い場所だ。そのため店が多く、宿や食事処が並ぶ。


 一般大衆向けの店の通りは門近くにあり、城へ近付く大通りにはランクが上がった店が並んだ。その丁度真ん中辺りに位置する、開けた酒場に入る。昼時でごった返しており、既に酒を飲んでいる者も多い。今日は少し暑いので、喉が乾くのだろう。



「フィリィ、こっちだ」

 賑わった店の給仕を避けながら奥へ入ると、段差のある奥のテーブル席にいた一人の男が、フィリィに手を振った。


「バルノルジさん。会えて良かった。今日、混んでますよね。婚約のせいかな?」

「そうだろ。王女とラータニアの王族の婚約だ。街も賑わう。ラータニアは魔鉱石も多いし、精霊が多い。おこぼれにあずかれるなら、喜ばしいとさ」


 赤褐色の肌を持つバルノルジは、日に焼けた金髪を掻き上げた。年は三十を過ぎたところだが、見た目は四十代の、いかついおじさんである。昔兵士だったらしく、その名残で丸太のような腕に傷が残っていた。魔獣狩りに行った時に魔獣に削られたらしい。顔にも数箇所引っかき傷が残っていた。今は兵士を辞めて、この辺りを仕切る豪商になっている。


 いかつい顔で客が逃げないのかと思うのだが、奥様がまた華奢で守ってあげたくなるような美しい方で、そこで緩和されているようだ。ちなみに出会いは豪商の娘である奥様の旅路で魔獣を退治したのがきっかけだとか。娘と結婚する代わりに兵士を引退し店と娘を任されて、今ではすっかり商人だ。

 元兵士としてつてもあって、東部地区は警備も厳しい、安全な場所となっている。


「久し振りにこの街に来たのは、それが目当てじゃないのか? 第二都市の商人様は相変わらず神出鬼没だが、時期を見ているな」

「そういうわけでもないんですけどね」


 フィリィはちらりと周囲を見て、バルノルジに相席させてもらった。

 混んでいて座る場所がなかったので助かる。昼時にはいつもここで食事をしているのを知っているので、ここに来たわけだが。


「バルノルジさん、ラータニアからどれくらい人が来ているか、分かります?」

 飲み物だけ頼んで小声で話すフィリィに、バルノルジは片眉を微かに上げた。


「街は賑わっているが、実際のところそこまでではない。婚約について知らない商人もいたくらいだ。婚約自体、急な話のようだな」

「でしょうね」


 フィリィだって婚約について聞いたのは一ヶ月前だ。しかも婚約という話を聞いただけで、一体誰が相手なのかも分からなかった。


「地方では精霊が逃げたという話がある。最近そんな話ばかりだ。一部の村では農作物がひどく不作で、ほとんど収穫がなかったらしい。だから、魔鉱石や精霊の多いラータニアの王族を手に入れたって、街で噂されている」


 精霊が土地から逃げる。それはその土地に与えられる精霊の恩恵がなくなるということだ。それがなくなれば、どんなことが起きるのか。土地は痩せ、食物ができにくくなる。浄化する力がなくなり、水は汚れ、空気は停滞する。魔獣が増え、人々は家から出ることもできなくなるだろう。その内、土地は死んで、土は灰のような砂となり、生きるものが住める場所ではなくなっていく。


「精霊が逃げるのは、天の司マリオンネの女王に逆らったからだとか、王としての使命を果たしていないからだとか、地方は噂しているようだが、実際精霊がいなくなるって現象は、あり得るのか?」

「あり得ますよ。精霊も心があります。その土地に住まう理由がなくなったならば、そこから逃げることもあります。ただそれは余程のことをした時です。魔導で土地に大きな損害を与えた。つまり毒の攻撃を与えたとか、多くの精霊を殺したとか、人道的ではない方法を行えば、精霊も怒りでその土地を放置するでしょう」

「さすがに、毒を撒いたとは聞かないが……」


 それはフィリィも聞いていない。だが国王は、精霊を集めるために何かをしている。それに嫌気がさした精霊が、土地から逃げ出しているのだ。

 それを、地方は知らない。


「精霊を見られる人間は限られているだろう? 王族か、余程の魔導に長けた力を持った者か、精霊に愛された者でなければ精霊の動きは見られないはずだ。この街の魔導士様だって見られる人間は少ないって聞いた。だから、そんなの噂だと思うんだがな」


 見られる者が少なくても、土地が死んでいくのを住む者たちは感じているのだろう。現実に目の当たりにしていれば、精霊がいなっていると思ってもおかしくない。


「それで、今回急な婚約だ。ラータニアの王族が来たのならば、精霊も増えるんじゃないかって期待したくなる。あの国は小さいが精霊が多く、土地も潤った豊かな国だって、よく聞くからな」

「王族だからって、精霊をお持ち帰りできるわけじゃないですよ」

「そうだろうがなあ」


 バルノルジは溜め息交じりだ。この辺りの店を取り締まる傍ら、そんな話を旅商人から聞くのだろう。

 しかし、地方の人々が住居を移動せざるを得なくなっているのは事実なのだと、困ったように言った。バルノルジは地方にも顔が利くので、住処について相談を受けているのかもしれない。


「ここ数年は、大都市に人が集まってきているからな。住む場所も少なくなってきている。困ったもんだ。第二都市だってそうだろう?」


 フィリィは頷く。第二都市カサダリアも、この街に負けず劣らずの大都市だ。住居は高層化し、お金のない貧困層は、日陰で住む生活を余儀なくされている。王都ダリュンベリに比べて税金が安いので、むしろ第二都市カサダリアに人が集まりつつあった。


「都市に人は集まり、地方はどんどん死んでいく。だから、ラータニアから王族が来たって喜んでいる奴らが多いのは確かだよ」

「そうですか……」


 この世界は、天の中枢であるマリオンネの女王が、全てを取り仕切るとされている。

 初代女王は、土地を区切り国とし、王を選びそれを与えた。王族は土地を守るため、ひいてはマリオンネの女王の世界を守るため、与えられた国を潤していかなければならない。


 王族が減るのは、その守り手が減るということ。王族は多くいた方が有利なのだ。マリオンネの女王より土地を守るために与えられた力は、王族にしか使えないのだから。

 それを、ラータニアの王は手放した。年の離れた弟でも、優秀で魔導にも長けているという噂の王弟を。


 グングナルドにとってみれば、これとない、願ったり叶ったりの話に聞こえるが、その土地にいる精霊との相性もあるので、王族が他国へ嫁げば同じ力を使えるとは限らないという。


「他国の王族が嫁いだりすることは稀なので、本当に王弟が国のためになるのかっていうのは分からないんですよ。その国の精霊と相性が悪ければ、逆に精霊の怒りを買う可能性があるって聞いたことがあります。相性ですから、曖昧なものですけれどね」


 王族が他国に嫁ぐなど、本当に例がない。婿に入るなど、歴史上あるのかと疑問になるくらいである。今回が初なのではないだろうか。


「例えば水の精霊がいたとして、ラータニア産の水の精霊と、グングナルド産の水の精霊は性質が違います。その土地の精霊なので、育ちが違えば質は変わるって感じですね。同じ種でも場所が違えば、同じものができるわけではないってところかな」

「そうなると、何で婿に来たのかって話になるのか。ラータニアの王弟は、王の第二夫人の連れ子と婚約する噂があったらしいから、王弟は本意ではないんだろう。大国の国王に命令でもされたかもしれないな」

「婚約、ですか。お兄さんの側室の連れ子と」


 ルヴィアーレはラータニア王と年の離れた兄弟だ。兄王の第二夫人の連れ子がルヴィアーレと年が近くてもおかしくない。


「らしいぞ。ラータニアの商人が言っていた。第二夫人の連れ子といっても、前王の外戚に嫁いでいたらしく、夫が事故で亡くなったのを側室として引き取ったそうだ。その事故が王の失態だったらしくてな」

「王の失態で亡くなった者の奥さんと子供を、王が側室として引き取ったんですか??」


 どれだけ甘いのだろうか、その王は。いくら失態があっても、王の子でもない娘を王族として迎えることにしたのだ。王族に属したことで、その第二夫人と連れ子は王族特有の力を得られることになるが、しかし、王の子にするのはどうかと思う。

 フィリィが理解できないと首を傾げると、バルノルジは苦笑した。


「そんな王らしいぞ。ラータニアの王は。とはいえ、まだ二十代の頃の話だろう。生まれたばかりの娘ごと引き取ったって話だから」


 だからといって、側室とは。この国だったらあり得ない話だ。国王がそんなに甘くては、この国では成り立たない。ラータニアが自国の領主から軽んじられているわけである。そんな隙を作っていたら、老獪な者たちから国を奪われるのではないだろうか。


 そんな、頭にお花が咲いている王がいる国から、優秀な王弟を引っ張ってきてしまったのだ。ラータニアから恨まれる気がする。


 しかも、相手はあのフィルリーネ王女だ。


「うわあ。地獄絵図ができそう」

「なんだ。その感想」


 フィリィはぶるぶると首を振った。できるだけ関わりたくない案件だ。


「それより、王都に来ているんだ。何か新しい商品を売りに来たんじゃないのか?」

 話を変えられて、フィリィは当初の目的を思い出した。マットルがバラバラにした木片を籠から取り出す。


「木片一つずつに文字が二つ。それを順番に組み合わせると単語ができるんです。組み立て方を覚えちゃったら文字なんて関係ないんですけれど、簡単なヒントとして入れてるんですよね。文字を覚えたてなら、何の単語なのか想像するかなって」

「前に正方形の木片を作っていたな。あれと要領は同じか?」

「あれは簡単な組み合わせだったじゃないですか。乗せるだけだし、すぐ崩れちゃうしだけど、これは組み立てたら簡単に崩れないし、取れないんですよ」


 接着面は研磨して、つるつるにしている。平面が美しいので、ぴったりはまればどこが切り込みなのか分からなくなるくらいだ。

 バルノルジが難しい顔をしながら組み立て始めた。最初の形を見ていないので、尚更難しいだろう。


「これも、知育玩具として売るのか。段々物の水準も上がっているし、凝ってきているな」

「これ削るの、すっごい大変でしたもん。もう二度と作りたくないですね!」

「だろうな。球体か。これは量産が難しいだろう。第二都市ではどうするつもりなんだ?」

「いえー、採算合わないって言われました。私もそう思う」

「ダメじゃないか」

「なので、これはただの教材にします。聖堂で子供預かることができるようになったら、置いておこうかなって。木片も大きいから、小さい子たちが口に入れても飲み込めないし」


 第二都市カサダリアでは、旧市街の子供たちのように、両親が働いていて一人で留守番をしなければならない貧困層の子供たちを預かる制度を作る予定なのだ。まだ計画段階だが、可能となれば子供用の玩具を置いておきたい。それに使おうと考えている。


「売れない物か。またそういう物作って。よく商人が成り立つな」

「私は商人というよりも職人なので、売る人間は別なのです。なので、好きに作ります」


 ふふんと偉そうに言うと、バルノルジが呆れるような顔を向けた。

「売れない物を作る職人なんぞ、いらんと思うぞ」

「うぐ」


 もっともなことを言われて、フィリィは口ごもる。

 けれど、作りたいのだ。面白いと思うならば、とりあえず作るがモットーである。それだけは譲れない。


「流行らせそうな物があったら教えてくれ。こちらでも購入する。第二都市カサダリアの職人は腕がいい。こちらでは無い物が手に入る。フィリィの商品は売れるからな」

「えへへ」

「たまにはこちらでも権利が欲しいがな。カサダリアの商人の専属でないなら、時にはこちらにも商品を持ってきてほしいもんだ」

「そうしたいのは、山々なんですけれどね」


 王都での販売を主導では行いたくない。そんな心があって、販売は第二都市カサダリアからと決めている。カサダリアは副宰相が王都と違って目溢ししてくれるので、商売がやりやすいのだ。そして、税金が安い。カサダリアで売るのとダリュンベリで売るのとを比べたら、カサダリアで売る方が粗利があるのだ。これは手弁当で行う材料費を考えると、とても大きかった。

 カサダリアで売れればダリュンベリでも売れる。まずはカサダリアでお試しする方が都合がいい。


「また来いよ。王都の情報も欲しいんだろう?」

 バルノルジの言葉に苦笑いすると、フィリィはお金を置いて店を出た。


 熱風が吹いて、金色の髪がかぶっていたフードからはみ出す。それをフードに戻して、フィリィは遠くにある城を見上げた。

 城の大時計が大きく動いて、鐘を鳴らしている。それに遅れるように、街の塔に飾られた鐘が鳴り響く。

 昼の時間は終わりだ。もう帰らなければならない。


 フィリィは大きく溜め息を吐いて、大時計が見える城のモニュメントを見つめた。城の鐘の音はほとんど聞こえない。大時計と言われているが、街から見ればその大時計が小さい粒にしか見えなかった。

 街と城との境にある高い城壁は街からの侵入を拒み、その城壁ですら低く見える高さに大時計のモニュメントが建てられている。まるで街と城との距離が分かるように、わざと巨大に作っているようだった。街からの侵入など許さない。そんな手の届かない場所にあるのだと。


 この国は現王によって統治されている。王都ダリュンベリを活性化したいのか、地方を捨てたいのか、王は大都市へ力を入れ続けた。


 地方から発掘される魔鉱石は大都市へ運ばれる。魔鉱石は魔導を帯びる不思議な石だ。航空艇や移動式魔法陣などの魔導機化に大きな役割を担っている。魔鉱石を作るのは精霊で、巣を作るように地下で生成する。精霊がなぜ魔鉱石を作るのかは究明されていない。そのため、王はとうとう精霊までも集め始めた。


 反対派が何を言っても止まることがない。王は反対派を粛清し始めた。王としての権利を笠に着て、反対派を地方へ追いやったりする程度ならまだいい。その内、事故や強盗に合い、命を失う者が増えてきたのだ。

 今ではもう反対派が動くことはない。秘密裏に動いているのかもしれないが、少しでも表立って動けば、王から粛清を受けるだろう。


 王が求めるのは権力の一極化だ。王にかしずく者だけが恩恵を受けて、楽な生活が行える。


 この国は、既にその道を走っている。


 それを止められる者は、未だいないのだ。

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