第4話 婚約者の素性
「とても優秀な方と聞いておりますわ」
「王の補佐をしていたと聞いておりますが、実際は実権を握るほどだったとか」
女性たちの噂話に花を咲かせているのは、つい最近城へ入った、王女フィルリーネの婚約者、ルヴィアーレについてだった。
甘いお菓子に香る紅茶。日光を浴びるには日差しはきついので、窓から離れたサロンの一画で一時のティータイムである。
フィルリーネの学友たちはフィルリーネに与えられた庭園を眺めながら、ピンクや黄色の柔らかな砂糖菓子を口に入れた。
「一目見ただけで、驚きましたわ。なんて美しい方なのかと。フィルリーネ様には劣りますが、この国では見たことのない美青年でしたでしょう?」
「フィルリーネ様の元にいらっしゃる姿は、それはもう、うっとりとしてしまいましたわ」
広間に現れたルヴィアーレを思い出したか、ほうっと溜め息をつく。次いで別の学友も悩ましげに頰に手を当てた。ルヴィアーレは女性たちに受けがいいらしい。
学友同士であそこが素敵だった、あれが色っぽかっただの、王女の婚約者に対して、その相手の王女が目の前にいることを忘れたように、ルヴィアーレへの褒め言葉を続けた。褒め言葉というよりは、憧れの人が現れたかのような発言が続く。
頷き合って皆同じ気持ちを確かめ合ってすぐ、はっと一人が今日の主役を思い出した。
そろりと視線を向けて、皆に落ち着くように促す。
「フィルリーネ様は、そう思いませんでしたの?」
とってつけたかのように、一人がフィルリーネに問いかけた。
いつもならばフィルリーネを褒め称え、彼女の機嫌をとるのだが、ルヴィアーレへの驚きを共有したくてルヴィアーレの話ばかりしてしまった。失敗したと皆が思っただろう。フィルリーネは笑顔もなく、静かに砂糖菓子を口に入れた。
「当日のフィルリーネ様のお召し物は素敵でしたわ。フィルリーネ様がお選びになられたのでしょうか」
話がまずかったとみて、一人が別の話に変えた。初見で嫌味を言ったことを忘れていたわけではなかったが、ルヴィアーレの美貌には皆が驚いたのだ。フィルリーネも驚きはあったのだろうと思っていたが、そうではなかったのだと慌てて話を振る。
「そうですわ。素敵なお召し物で。あれはどこの職人が手掛けたのかしら。やはりフィルリーネ様の選ばれる職人は腕が違いますわ」
常ならば、ここでフィルリーネが当然のように職人を選んだ自分自身を褒め出すのだが、今日はやはり様子が違う。何も言わないフィルリーネに、学友たちは顔色を悪くして顔を見合わせ始めた。
「ルヴィアーレ様の話をしていてよろしくてよ。わたくし、あまり話を聞いていませんの。あなた方は何か知っていて?」
どうやら情報を得ていないことに不満を覚えているようだ。婚約が成されることは本人が話していたが、相手までは分かっていなかった。急遽決まったことは皆も知っていたので、初見で嫌味を言うほどのルヴィアーレを褒めちぎったことを不快に思ったわけではないと、学友たちは安堵する。
「わたくしが存じておりますのは、ルヴィアーレ様のお兄様であるラータニア王が、随分とのんびりとした方だということですわ」
「のんびり、ですか? 王であらっしゃるのに?」
「ええ。ルヴィアーレ様のお兄様であって、ラータニア王もとても整ったお顔をされているそうですが、雰囲気が、おっとりとされているとか。わたくしもお父様より伺ったのですけれど、お父様がお会いした時は、とても驚いたとおっしゃっておりました」
「ルヴィアーレ様を拝顔させていただいた限り、おっとりとした雰囲気は感じませんでしたけれど、城の騎士たちのような男臭さは感じませんでしたわ。まるで物語に出てくる殿方のような」
「ええ、まるで精霊たちを従えた、精霊の王のような」
「まあ素敵。わたくしもそう思いますわ。人とは思えないような」
「それで、王はどんなお方だったの?」
またもルヴィアーレの話になったところで、フィルリーネが不機嫌に止めた。ルヴィアーレの雰囲気などはどうでもいいようだ。皆はすぐに姿勢を正すと、ラータニア王についての話を黙って聞いた。
「四十歳前後のはずですが、とてもお若く見えて、王の威厳は全く感じなかったとか。ルヴィアーレ様の他に妹君がいらっしゃるようですが、その自慢話ばかり聞かされたとか」
「妹、ですか? わたくし二人兄弟だと耳にしておりましたが」
「側室の連れ子だそうよ。血の繋がっていない娘を王族として迎えたとか。愚かな真似をする王ね」
家族構成は耳にしていると、フィルリーネはつまらなそうに言い放った。側室の連れ子などと聞いて、皆は目を瞬かせる。王族の側室が別の夫の子供を連れてくるなど、聞いたことがない。
「王の子となったのだから、姪になるのでしょうが、妹のように扱っているそうよ」
フィルリーネは興味なさそうに言って、紅茶を一口飲んだ。
「では、もしかして婚約の約束があったというのも、その妹君でしょうか」
フィルリーネ以外の全員が、その学友に顔を向けた。
「婚約のお約束!? 何ですの、それ」
「フィルリーネ様とのお約束の前に、婚約のお話が出ていたということですの!?」
なんと失礼な話なのか。王女の相手とすればそんな言葉が出てもいいはずだが、学友たちは面白げにして話を聞き穿った。
「わたくしが耳にしたのは、婚約をするようなお話が出ていたというだけですわ。その方がそうとは存じませんが、ただとても近い身分の方だったとか」
「まああ。年齢的にご婚姻されているのが当然ですのに、ご婚姻されていなかったのは、その方の成人をお待ちになっていたのかしら?」
「ルヴィアーレ様と王であるお兄様は、年が離れているのでしょう? 妹君の成人を待つならば、わたくしたちと年が同じということかしら?」
そうであったらどうするのだろう。フィルリーネがいながら、学友たちは他人の恋話にとても興味があるようだ。その妹との婚約が行われる前にフィルリーネが奪ったとなると悲恋になる。それが楽しいのか、それともルヴィアーレにフィルリーネとは別の想い人がいることが嬉しいのか、どちらなのだろうかと思うところだ。
「ならば、その妹と婚姻でもなんでもすればよろしいでしょうに。なぜこの国にいらっしゃったのか、どなたか存じませんの?」
フィルリーネが、そんな話はどうでもいいと一蹴すると、周囲は急に落ち着きを戻した。フィルリーネがどんな反応をするのか、面白がっていたのかもしれない。予想外の反応に、やはり皆で顔を見合わせる。
フィルリーネの反応から見るに、ルヴィアーレ自身には興味がないようだ。出会ってすぐに嫌味を言うほどなので気に入っているわけがなかったが、それでもあの美貌を前にして何も思わないことに、皆は少なからず驚いていた。
年が離れすぎている、と何度も言い放っていたので、そこはどうしても譲れないことなのだろう。
「ルヴィアーレ様は二十四歳でありながら、政務の大半をこなしていたと聞いております。フィルリーネ様と同じく芸事に秀でていらしていて、フリューノートを吹かれるとか。魔導にも通じていらしていて、兄王をお守りするために騎士として同行されることも多々あったと。王はそれを知って、フィルリーネ様のお相手とされたのではないでしょうか」
「そうですわ。ラータニアは魔鉱石も多く採れる国。国にとっても利益のある、素晴らしいお話だと思います」
レミアが説明した話と大差ない情報しか彼女たちにも入っていないのだと、フィルリーネは大きな溜め息を吐いた。その仕草に皆がぐっと姿勢を正す。フィルリーネが期待していた答えと違ったのだと気付いたのだ。
「もう結構よ。わたくし、ここで失礼するわ」
「お、お待ちください、フィルリーネ様。よろしければわたくし、お父様に他のお話がないか聞いてまいりますわ」
「わたくしもです! フィルリーネ様のお相手となる方ですもの。色々な情報が必要ですわ」
「ええ。わたくしも騎士団に所属する姉の夫に、ルヴィアーレ様のお話を伺ってまいります」
三人が情報を集めてくると約束して、やっとフィルリーネは緩やかに笑った。
「嬉しいわ。皆様が協力してくれれば、ルヴィアーレ様がなぜこの国にいらっしゃったのか分かるでしょう。わたくし、天の司マリオンネの乙女たちに婚約の誓いに行く前に、お話を伺いたいの。皆様お願いしますわね」
その言葉に、三人は一瞬にして顔色を悪くさせた。
王族の婚約は、天の司であるマリオンネに赴き、婚約の契りを交わさなければならない。その儀式で、マリオンネにいる乙女たちの前で精霊に誓いを行う。誓いは精霊を通じ、契約となり、婚約が認められる。
婚約が認められれば、ルヴィアーレは国に帰れない。精霊の儀式が行われるため、王族の国の配置換えが成されるのだ。
「フィルリーネ様は、そうなる前にルヴィアーレ様を追い出されるおつもりですか?」
レミアは恐る恐る聞いてみた。フィルリーネが今回の婚姻をよく思っていないことは分かっている。しかし、王が決定したことは覆らない。いつもならばフィルリーネはそれで仕方なく納得するのだが、今回はどうしても従う気が起きないようだ。
「見知らぬ男を、いきなり婿になどと言われて、簡単に納得できると思って?」
レミアからすればルヴィアーレは申し分のない相手だ。むしろ、フィルリーネがルヴィアーレに合わないと思う。それは口にできないが、誰もがそう思っていることだろう。
優秀なラータニアの王弟。美しい容姿を持つ、文武両道の王族だ。王族の相手ならば、年の差があることは良くある話である。現王も十歳近く年下の女性と婚姻した。フィルリーネを産んで、すぐに亡くなったが。
フィルリーネを育てたのは、王の弟だった。フィルリーネが幼い頃、強盗に襲われ亡くなったが、それまでずっとフィルリーネを可愛がっていたという。その弟がフィルリーネを甘やかし、我が儘な性格にさせたというのは、有名な話である。王が放置しすぎたこともあるが、諸悪の根源はその弟だ。
「ルヴィアーレ様との婚約の儀式まで、あと数日もございません。皆様お話を集めることができるでしょうか」
「わたくしのために情報を得てくれるのでしょう? あの男を追い出すだけの話が必要だわ。わたくし、楽しみに待っていてよ」
無理難題を吹っ掛けるものだ。ルヴィアーレが噂通り本当に優秀ならば、学友たちはフィルリーネの望む情報を得ることはできない。その時、フィルリーネは学友たちをひどく罵るのだろう。
学友たちは、ルヴィアーレの相手となるフィルリーネが羨ましくて姪の話を出していたが、その時点で仕返されると思わなかったのだろうか。フィルリーネはルヴィアーレの話が出ている時から機嫌が悪かった。嫉妬心でフィルリーネの不機嫌に気付かなかった彼女たちが愚かだったのだが、言いたくなる気持ちも分かるので、同情はする。
フィルリーネは部屋に戻ると、自分にしか入れない魔法陣を施した部屋に閉じ籠もった。扉が開かなくなり、音や光が漏れなくなる魔法陣で、普通は会議などの重要事項を話す際に使われるものなのだが、フィルリーネは部屋に引き籠もるのにそれを使う。
とはいえ、フィルリーネが行う魔法陣だ。魔導が得意な者が魔法陣を解除すれば、簡単に開く程度のものである。勝手に解除すればフィルリーネが激怒するので、誰も入らないだけだ。
いつもその部屋で何をしているのか知らないが、フィルリーネが部屋に閉じ籠もると、途端に側仕えや警備騎士たちの気が緩む。気を張っていないと何をしでかすか分からない上、いつ叱責が飛んで来るかも分からないので、気が抜けないのだ。彼女が部屋に引っ込んでいる間、周囲はやっと息をつくことができた。
「なんで、あそこまでルヴィアーレ様のことを嫌がるのかしら」
側仕えの一人、ムイロエは呆れるように言った。
彼女も他の女性たちと同じく、ルヴィアーレの美貌に心を奪われた一人だ。遠目に見ただけだったのに大興奮し、フィルリーネがいないところで散々文句を言っていた。もちろん相手がフィルリーネであることに対してだ。
学友たちも、余程悔しかったのだろう。王が勝手に決めた婚約者があそこまで完璧であるとは、誰も想像していなかった。王族でありながら二十四歳にもなって婚姻していないのだから、何かしら問題があるのだと皆が想像していたのだ。
「フィルリーネ様には想う方でもいらっしゃるのかしら。そんなご学友、思い付きませんけど」
「私も思い付かないわ。とにかく年齢が許せないのと、小国の田舎者と何度も言っていたから、それだけなのかもしれないわ」
「年って言ったって、たかが八つでしょ。大したことないわよ」
「でも、本人は嫌がってるのよ」
それくらい我慢しろとムイロエは気色ばんで呟いた。本気でうらやましがっているようだ。
あの対面の後、ルヴィアーレに直接会ったが、フィルリーネの嫌味にただただ静かに笑んでいるだけだった。大人しい性格というのとは、少し違う気がする。しかし、フィルリーネが自分の自慢をしはじめた時は、緩やかに笑みながら質問をしていた。
学院を最優秀で卒業したというルヴィアーレの前で、自分がどれだけ芸術に秀でて学問ができたかの自慢をしはじめた時は目を剥きそうになったが、ルヴィアーレは穏やかに笑顔で対応していたので、なんて心根の優しい方だと心から思ったものだ。
その姿を見たせいか、ムイロエはルヴィアーレに本気でご執心である。見ているだけで幸せと言いながら、隣にフィルリーネがいるのがどうしても気に食わないようだ。だが、それを言っても、である。
「早く機嫌を直してもらわないと困るわ。卒院式の後には、マリオンネで婚約の儀式でしょう。その前に卒院の試験があったわ。勉強されているのかしら」
「してるわけないでしょ」
それでは困る。成績が悪ければ怒られるのは側仕えだ。ムイロエも分かっているのに、今はフィルリーネを助けようと思わないらしい。その気持ちも分かるが、怒られて給料が減らされたら、たまったものではない。
フィルリーネは成績が良いわけではないが、悪いわけでもない。卒院前で留年するような成績をとるとは思わないが、ルヴィアーレに自慢した手前、少しでもいい成績を残してもらいたい。主人の恥は、自分の恥でもある。
「卒院式の後の方が面倒でしょ。フィルリーネ様、ロブレフィートの練習なさってるわけ?」
頭の痛いことを言ってくれる。鍵盤楽器のロブレフィートを弾かなければならない催しがあるのだ。精霊に祈り音楽を捧げる催しで、毎年王の第二夫人が弾いていたのだが、今回王は、何故かフィルリーネに弾くよう要求してきたのだ。フィルリーネは笑顔で返事をしていたが、ここ最近、いやここ数年、フィルリーネがロブレフィートを弾いている姿を見たことがない。
「だって、ロブレフィートを引き籠もり部屋に入れてしまったんだもの、いつ弾いているかなんて分からないわ。練習しているのかって聞いても、してるとしか言わないのだし」
フィルリーネは練習をしろとあまりに口うるさく言われていた数年前に、練習するから部屋に移動させろとロブレフィートを引き籠もり部屋に運ばせたのだ。それからずっと、練習をしているのかレミアは知らない。王には練習していると報告しているので、今更弾いているのか分からないとは言えないのだ。
「突然指が痛くなったとか言って、弾かないんじゃないのー。そうやって逃げるの、得意じゃない」
「そうなればいいけれど」
そうであれと祈った。フィルリーネは、大したことのない実力を、本気で大したことがあると吹聴し行うこともあるからだ。今回も上手く弾けると自分で思えば、当たり前の顔で披露する可能性がある。その時の王の顔を見ることができるだろうか。いや、恐ろしさに、その場から立ち去りたくなるだろう。
今から胃がシクシク痛んできた気がする。フィルリーネを宥めるのは骨が折れるが、まだ甘い方だ。王は違う。王はこの国で絶対であり、可も不可もなく王の一言で雌雄を決する。その王がレミアを側仕えとして不要とすれば、人生に不可の烙印を押されたも同様となるのだ。
それだけは避けなければならない。フィルリーネが弾きたくなくなるように、何か手立てを考えなければならなかった。
「まったく、本人はいい気よね」
婚約が決定し卒院が決まれば、これから嫌でも城の政務に関わらなければならなくなる。
王が手伝わせるとは思わなかったが、学院で学んでいる傍ら、書類がフィルリーネのための執務室に届けられており、フィルリーネはそれを嫌々ながら行なっていた。
最近ではそれを手伝う政務官たちも追加で選ばれており、前よりも重めの書類が届いている。フィルリーネが嫌がって行わないこともあったが、これからは難しくなるだろう。
「形だけでも関わっているようにさせたいのかと思ってたけど、政務の者たちの中には王の側にいた者たちもいるのよ。本気でやらせる気かしらね」
「そうかもしれない」
今までの奇行は学院で許されていたが、これからは国を担う者の一員として動かなければならない。放置しておいて今更な話だが、ルヴィアーレを婿として迎えたことを考えると、王はフィルリーネを次の王と考えているのだろう。
「寒気がするわ」
ムイロエの言葉にレミアも大きく頷く。王が簡単に席を譲るとは考えられないが、第二夫人の王子が幼いことを考えると、王に何かがあった場合、王を継ぐのはフィルリーネになる。
王の命が短いとか病気を患っているとか、そんなことは全くなかろうが、ルヴィアーレをフィルリーネの補佐として、いやむしろ、フィルリーネの王配として、彼に政務を行わせるつもりなのかもしれない。
「マリオンネでの婚約の儀式は、もうすぐだわ。婚約者となったルヴィアーレ様は、国に帰ることができなくなる」
「それは嬉しいけれど、嬉しくないわね」
フィルリーネは自分の立場を分かっているのだろうか。学院を卒院してその後どうなるのか、考えているのだろうか。
本来ならどこかへ嫁ぐはずの王女が、婿を取ることで女王となる可能性がでてきた。第二夫人に王子がいるので今まで考えてこなかったが、婿を取ると聞いた時点で気付くべきだった。
「盲点過ぎて驚くわ。誰も女王なんて考えないもの」
「怖い未来しか浮かばない」
二人の会話に、扉の前で警備をしていた騎士まで震え上がった。
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