第2話 王都ダリュンベリ
晴れた日の街の賑わいは、今が市の立つ時間だからだけではないだろう。
城門広場や市街地を越えた居住区の通りの市場には見たことのない品が並び、珍しげに人々が屋台を覗いていた。
「隣国ラータニアの果物だよ!」
「フィルリーネ王女とラータニア王弟の、婚約記念の絵札はどうだい!」
婚約の発表は昨日のこと。街に向かってはおそらく昼頃だったと思うのだが、もう既に王女と王弟の絵姿が描かれた札があるらしい。街の人間はラータニア王弟の顔どころか王女の顔も知らないはずなのに、よく絵など描けるなとその絵札をとってみた。
「べっぴん王女フィルリーネ様と、ラータニア王弟だよ! 美男美女の婚約成立だ。記念品だから長く売られることはないよ。買った。買った!」
手に持っていたら、屋台のおじさんが限定品なんだからと高額な値段を言ってくる。ラータニア王弟の名前を知らないのだろうか、文字がフェリーネと王子になっていた。王女の名も間違っているし王弟は王子ではないし、しかも名前ですらない。識字率が低いので間違いにも気付かないのだろう。
ラータニアの王弟は第二王子と称されることが多い。王になった第一王子と年が離れており、子供のようだから民衆はそう呼ぶと言われている。年齢が若いため第二王子と言いたくなるのだろう。それで王子にしてしまったようだ。
絵札は黒一色で描かれていた。急いで作ったのだろう。それにしても、王女はともかく王弟は似ても似つかない。短く揃えられた騎士に多い髪型で、二割り増しで筋肉質に描かれている。王女の隣で歯を見せた笑顔の男は、一体誰がモデルなのだろうか。
そもそも、王弟は細身だし、どちらかというと女性のような、顎にかかるほどの髪の長さで後ろが意外と長いような、政務には邪魔そうな髪型をしていた。自分だったら机に向かって書き物でもしたら、髪が邪魔でイライラしそうだ。目の前にいたら、その両顎にかかる髪をちょん切ってやりたい。そんな気分になる。
普段は結んでいるのだろうか。ふと疑問に思って、まあどうでもいいやと首を振った。絵札には興味がないと、置いてあったところに戻す。
「まあしかし、商魂たくましいなあ」
いいことではあるが、王女と王弟の話はやめてほしい。内心全く不似合いな二人だと思う。ネタとしては購買層が広がるかもしれないが、本人たちにとってみれば冗談では済まないのだ。
まあやはりそれもどうでもいいと、別の屋台を覗けば、すぐに絵札のことは忘れた。
「こんにちは、おばさん。今日の果物って何が入ってます?」
いつも来る店に立ち寄ると、顔見知りの恰幅のいいおばさんは、エプロンで手に取った果物を拭き、それを手渡してきた。
「新鮮なヤッテの実はどうだい。丁度熟していて甘みが強いから、子供たちは喜ぶよ。一つ3ポラウだ」
「じゃあ、六つとっといてもらっていいですか? 後で来ます」
「待ってるよ」
果物屋のおばさんに約束して他の店を見回す。便乗商売が始まっているか、婚約祝いの商品が多いようだ。元々ラータニアとは交易があるのでラータニア産の商品は多いだろうが、価格を上げて販売しているように見える。適正価格で販売しないのは市場ならではだが、騙されずに購入してほしいものだ。
賑わいのある市場を過ぎると、日よけのために布で天井を作った通りを抜ける。道を隔て建物の屋上と屋上に大きな布を広げて日陰を作っているのだ。王都ダリュンベリは日差しが強い。最近まで冬だったのに、一気に気温が上がった。大国なので地方に行けばまだ雪もちらついているが、ダリュンベリはすぐ夏になる。
街を出た先にある森の茂みもすぐに深くなるだろう。そうなると魔獣が増えて、退治に街の警備騎士たちは忙しくなる。夏に合わせて魔獣を狩る狩人もダリュンベリに入るので、街は人がごった返す。婚約も重なってか、今日はいつもより人通りが多かった。人にぶつかりそうになりながら器用に避けて、入り組んだ道へと入り込む。大通りとは違った建物の陰に隠れた小道だ。
小道の先は急に廃れてくる。ゴミも増えて下水を好む小動物がうろついた。すえた匂いを感じるのは、地下下水の入り口が近いからだ。こちらは旧市街地で建物も古く、家賃も安いため、貧困層が暮らす居住地区になる。ダリュンベリの闇の部分だ。王は全てを一掃したいようだが、いつの間にか集まった人々は百や二百ではない。今現在放置されて、まだ数を増やしている。
日焼けた壁が古さを感じさせるが、今は日が当たらない。周りの建物が階層を上げているので、ここ一帯は常に日陰だ。ダリュンベリは規模の大きい街だが、それでも人が多いので、街自体の階層が上がってきている。城自体は最初から高台に作られており、更に高層建築物なので、街の建物が少しくらい階層を上げても大したことではないと、黙認されている。
首都の街に人が集まるのは当然だが、これには理由がある。その対処をしない限り、これからもどんどん人が増えるだろう。
「あ、フィリィお姉ちゃん!」
「わあ、お姉ちゃんだ!」
「久し振り。みんな元気にしてた?」
石畳の道で何かをしていたか、子供たちがフィリィに気付いて集まってくる。やっと歩き始めた幼児や、六歳くらいまでの子供たちだ。
「今ね、字、書いてた」
「みんなでやってたの。でも、分からないことあるんだ」
「偉いわね。じゃあ、今日は復習をして、それから計算の練習をしましょうか」
地面には石で書かれた文字が見える。前に教えた基本字母だ。母音と子音、補助記と覚えることはたくさんあるが、まずは基本を覚えなければ先に進めない。子供たちは親のいない時間に地面で練習をしていたようだ。
この時間、親たちは市場で仕事をしたり、門での下働きや下水処理の仕事したりしている。旧市街の子供たちはお互いで面倒を見合うのが常だ。赤ん坊のいる親が子供たちを見ていることもある。
ここでは、集団で協力し合うことを当然としていた。貧しいため、ある程度の年になると子供たちも働きに出る。そのため幼い子供たちは一緒にいることが求められるのだ。
「文字の順番は歌で覚えたでしょ? でも、書くのが難しいの」
「どこが分からなかったかな。一度みんなでゆっくり歌いながら書きましょうか」
フィリィの言葉に子供たちが頷く。各々拾ってきた石で石畳に文字を書き始める。単調な歌なので子供たちはすぐに覚えた。この歌を親に歌ってあげて親たちにも文字の歌を覚えてほしいものだが、道のりは遠いだろう。子供たちは少しでも働けるとなれば仕事に駆り出され、この集まりからいなくなる。簡単な単語を覚え計算ができるようになる頃には、働く年になってしまうのだ。
それでも、続ければ歌を歌い文字を覚える子供が増えるだろう。計算も覚えれば仕事に幅ができる。こういうものは根気よく続けなければならない。それを念頭にして、ここに来る時間はできるだけ作るつもりだ。ただ今後、その時間をどうやって捻出するか、目下考え中なのだが。
「おれ、もうそれ覚えたもん。フィリィ姉ちゃん、違うおもちゃないの?」
「じゃあ、マットルにはこれを貸してあげる。前のおもちゃに似たものよ」
フィリィは手に持っていた籠から、丸く削られた木の玩具を渡した。渡されたマットルは首を傾げている。前にも似たような玩具を渡しているので使い方は分かると、真剣に悩み始めた。
他の子もやりたがったが、あれは大きな子供でないと難しい。マットルは六歳になり、そろそろ親の手伝いをし始める年だった。基礎文字も覚えて単語もいくつか書けるようになっている。段階的に新しいことを教えないと飽きる年でもあるので、教育用の玩具などを渡すことにしているのだ。
「さ、みんなは文字を覚えたかな。じゃあ、文字を揃えて知っている言葉にしましょうか。このおもちゃで言葉を覚えましょう」
フィリィは籠から玩具を取り出した。地面に正方形の厚みのある木札を置いていく。
基本文字が一つ一つに書かれた木札だ。一箇所だけあえてあけて、その単語を想像させる。他の木札も籠から取り出し、地面に置いた。
「さあ、ここには何が入るかな」
五文字程度の単語だが、子供たちはうーんと唸った。ならヒントとしてもう一つの木札を後ろに置く。絵の入った木札だ。蝋燭の絵だと分かると、地面にある木札からその文字を探し始める。
「これだよ」
「違うって、これー」
「はい、正解。じゃあ、次は何かな」
そうやっていくつかの単語を覚えさせていく。飽きてきたら次は計算だ。同じように木札を出して木札の数を数えさせる。
「に」
「にだね」
「じゃあ、これが三つあると何枚かな?」
簡単な掛け算だが、口で言われると分からなくなるようで、子供たちは一様に唸り始めた。横からマットルが口を出したそうにしたが、内緒にするように人差し指を口元に当てる。
「ろく、ろくだ!」
一人の子供が大きく手を上げて発言する。他の子達も首を傾げながらも同じように言い始めた。
「本当に? 六でいいの?」
「え、待って」
「違うの??」
「え、いいんだよ。六だよ」
フィリィは木札でそれを可視化する。木札が二枚ずつ。それが三つ。答えがあっていることに喜ぶ子供たちを見ながら、次の問題を出してやる。何度か続けて行なって、今日の授業は終わりだ。時を知らせる鐘が一つ鳴るか鳴らないか。フィリィにとっては短い時間だが、子供たちにとっては長く感じる時間だろう。
マットルは渡した玩具に苦労したようで、今やっと玩具の性質を解いて球状の木をばらばらに崩したところだった。球状の木にはいくつかの文字が記されており、順番に辿れば単語となり球をばらばらの木片に崩すことができる。崩すにもコツがいるのだが、慣れているマットルは隠れていた単語に気付いて全て崩すことができた。
ただし次は組み立てる方なので、こちらは時間が掛かるだろう。これにも文字が記されて順番に組み立てれば単語になるのだが、組み立てるのもコツがあるため簡単にはいかない。崩したところでタイムオーバーだ。木片になったものを預かって、次の時に渡すことを約束する。
「じゃ、みんな行こうか」
子供たちがわくわくしているであろう、最後は勉強のご褒美である。手を繋いで連れ合って、フィリィは果物屋のおばさんの屋台まで行った。頼んでいたヤッテは六つ。そして値段は3ポラウだ。
「はい、今日の果物はヤッテです。六つ買うけれど、お値段は3ポラウ。さあ、いくらでしょう」
子供たちは各々考え始めた。これが最後の授業だ。
ヤッテは一つに八つほどの三日月型の実がついた果物だ。みんなで分ければいくつかは食べられる。計算が終われば食べられるので、皆顔が真剣だった。マットルが言いたそうなのを我慢している。早く食べたいのに子供たちが答えを言ってくれない。少し問題が難しいのはわざとだ。ご褒美があれば子供たちは真剣に考える。
「三が六つだから……」
ぶつぶつ言う子供たちの答えを待って、マットルを我慢させて、やっと出た答えにフィリィは果物屋のおばさんに答えを促した。
「答えは、十八ポラウだよ」
当たったー。と安堵の声を聞きながら、フィリィは五十ポラウを出した。お札一枚で済むので、お釣りをもらうことにする。そのお釣りの数も子供たちに答えさせ、やっとお釣りをもらえたところで、本当の授業が終わりだ。
「またね、お姉ちゃん」
「気を付けて帰ってね」
ご褒美のヤッテをもらってご満悦の子供たちは旧市街に帰っていった。マットルは覚えが早いので、もう少し上級の玩具を与えた方が良さそうだ。さて、次はどんな物をあの子に与えたら良いだろうか。
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