第14話 自殺未遂シーケンス

「さあ、いよいよですね!この日がやってきました!ダダくんにとっては、アース人生で最も重要な日です。〈アース最大深度実習〉、ここ数ヶ月の集大成です!…」


 天使さまはいつも歌うように念じるが、今日の〈諸注意〉は素に戻っている。〈念〉は厳しいが顔が笑っているので違和感を感じるが、まぁいい。

 両サイドにヘルプで来て頂いた天使さま2魂が、優雅に漂っている。


 今日オレは〈アース〉にダイブして〈自殺未遂シーケンス〉を体験する。クラスでも数人しか立候補者がいない〈深度98%〉に挑む為、安全対策も充分に用意され、ヘルプのガイドの皆さんも数が多い。なんか特別感がある。

 

 隣には、クラスメイトの〈ワワさん〉がオレに親指を立てて〈応援〉の念を出してくれている。彼女は〈アース〉で〈深度98%〉に落ち込み動けないオレの意識を〈深度95%〉まだ引き上げてくれるのが役目だ。


 つまり、間違って〈自死〉してしまうリスクを、減らすための〈保険役〉として来てくれた。

 前にオレもワワさんの保険役をやらせてもらったので、今度は交代だ。


 「では、今日の体験者ダダくんから一言お願いします!」


 オレは縦長に伸びて姿勢を正し、みんなに向き直ると、〈ハイ〉になっているのを悟られないように念じる。

 

「えー、〈深度98%〉という事は、一度潜ったら私は完全に自我の中に囚われるので、オレは感じることだけしか出来ませんが、その分しっかりと体験を漏らさず記憶するつもりです。皆さん宜しくお願いします。」


オレは持参した〈絶望がループする編集済みの記憶〉を眺めながら、高鳴る胸を抑えた。その〈エディットボール〉は、真っ黒に美しく光っていて、〈黒〉も色のひとつなのだと改めて感じた。



 妻を殴ったオレは妻が被害届を出した事で1週間ほど警察署に留置され、取り調べを受けて解放された。


 マンションに戻ると、妻と子供の荷物がなくなったガラ空きの部屋になっていた。何もかもなくなったはずなのに、気配だけはまだ残ってて、子供の壁の落書きでさえ、強烈な存在感でオレを傷つける。


....突然、いろいろな絶望感をともなって恐ろしい記憶が勝手に頭の中で再生され始める。

それはとても強い勢いがあって、気をそらす事を許してくれない感情の流れだった。


(子供がいない、お前が悪い、オレは正しい、なぜオレは暴力をふるったんだ、オレは悪くない、後輩に怒鳴られたオレ、あんなに頑張ったのになんでオレが悪いのか、オレのことはどうでもいいのか、なぜオレの家族を奪うんだ、返してくれよ、もう帰ってこないんだ、オレは全てを失ったんだ、そういう男なんだ、オレは暴力をふるう男なんだ、仕事もミスだらけのダメな人間なんだ、家族には相応しくないんだ、、家族を愛していたんだ…

その愛する子供がいない、お前が悪い、オレは正しい… )


 ネガティブな感情の洪水がものすごいスピードで突如発生し、これが耐えられない痛みをともなう。感情なのに痛いのだ。

 最初は5分続いて5分おさまって〈虚無〉があり、また始まって…を繰り返し、

「感情の洪水」が続く時間が段々と長くなってきて

苦痛が耐えられなくなり

死ぬ事が〈救い〉に感じられるようになる。

楽になりたくなる。


(もうだぶん次の大きな波は耐えられないだろう。

 もう折れたい。次の波に耐える自信がない。

 もう痛いのはイヤだ。逃げたい。

 死ぬ準備をしておこう。

 いつ折れてもいいようにしよう。)


 こうしてオレは、マジックで心臓の位置に印をつけて、肋骨のスキマに包丁をセットした。



「あの〈エディットボール〉は100点の出来ね。彼は優秀だわ!一発で〈絶望の無限ループ〉に自我を閉じ込めたわよ。タダくんと繋がってるパイプの細さはギリギリなので注意して、ワワさんとの間に繋がった〈運命のパイプ〉のエネルギー弁解放準備。こっちとの繋がりはワワさん経由でバイパスし安全を確保します。さぁ、ここからは秒単位の戦いです!何秒持つのかしら?ネガティブ深度をカウントして下さい」


 天使さまはまるでAIのように素早く正確に指示だす。


「目標深度98%まで、5秒前、4、3、2、1、目標深度到達。そのまま維持しています」  


 その時オレはその殆ど全てが自我そのものとなり、完璧に一体化して、暴走する〈絶望のループ〉を最高の解像度のクリアさで体験していた。


(もう、ダメだ。もう耐えられない…)


 オレは包丁の柄の部分を床に押し当て、体の力を抜きさえすれば刺さる体勢を取りながら、限界の時を待っていた。


「10秒経過…天使さまもう限界だと思います。」


「分かりました。20秒の所でワワさんとの〈運命のパイプ〉を接続状態にしてください。」


「大丈夫ですよ、もうすぐ終わりますから。」


 オレは何も聞こえない真っ暗な〈絶望の記憶〉のループの中で、唐突に友人の顔が思い浮かぶ。〈今のオレと似たような経験をした事のある友人だ。

 

 (夜中の3時でもしも電話が繋がったら、オレの命を〈保留〉にしよう。そして、全て話してすがりつけば、オレをなんとかしてくれるかも知れない。)


「それではアニマルスピリットさん達は、張り詰めた糸を切ってください、3.2.1…カット!」


 天使さまの合図でフクロウのスピリットが、ハサミでチョキンとオレの張り詰めた糸を切る。


その頃〈アース〉のオレは、友人に電話で何かをわめき散らし、まるで嘔吐物のような大量の涙を吐き出していた。

 バイブレーションがシフトする時、涙は出る。

 下がり切ったバイブレーションが、限界を迎えて少しずつ上がり始めた証拠だ。


 それから、深度が95%に戻るまでの永遠のように長い1時間、涙は流れ続けた。


 こうしてオレの〈深度98%〉体験は、万全の体制で安全に滞りなく無事終了した。


 終わって見れば、〈自殺未遂シーケンス〉はアースジャンキーのオレでも引くくらいに最低のクソ体験だった。完全に自我と一体になると、1ミリも〈ワクワクするような興奮〉を感じる事が出来なかった。


 ただただ、苦しかった。


 天使さまの評価はグッと上がって褒められたけど

 もう2度と体験したくない。それだけは断言したい。

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