第5話 山本彩華の漫画

 知らない人が見れば、どんな変態や変人が書いているかに見える山本彩華の漫画の多分百%が、空想、いや妄想にも近い高木美優の想像力のみで描かれたものであったのである。




 これは、ある意味大変な苦痛を伴う作業だったかもしれない。それなのに、高木美優、いや山本彩華に、更に過激さを要求するのは、要するに嫌がらせか、あるいは無理強いであると言うのも、あながち嘘ではなかったろう。




「あの編集長の甲、私が護さんと同棲していると知って、きっと意地悪してるんじゃないかって思うの?前にそう電話で話してしまってから、急に態度が変わったんよ。ねえ、護さんもきっとそうやと思ってくれるやろ。これは、私に対しての嫌がらせ?挑戦?単なる邪魔?同棲への妨害?嫉妬?ううん、一体何なの?ねえ、教えて。私、これ以上はでけへんのにこれ以上どないしろって言うんよ?」と機関銃のように話す。




 またもや高木美優の目が急にぶっ飛んだような表情になっていた。私は、ひたすら聞き役にまわって、なだめるしかない。




「ああ、確かにそうやね。あれ以上の漫画は、誰にも書けないよ。美優ちゃん、いや彩華ちゃんは天才さ。天才に天才以上の事を求めるのは、求めるほうが馬鹿なんだよ。編集長は天才バカボンのパパと同じ、つまり馬鹿だから馬鹿なのさ」




「う、うえーん、あ、ありがと。ホント、私、護さんがいなかったら、とっくに死んでたか狂ってたかも知れへんけど、でも何なんか、元気が出てきたみたい。本当にありがとう」……と、幼児のように泣き伏すのだった。




 私は、実は、ほんの少しだけ気になっていた事があった。高木美優の発作は、もしかしたら彼女の漫画にしょっちゅう出てくる覚醒剤等の薬物反応フラッシュバックではないかとの疑念である。私は、高木美優の両手をさすりながら、シャツの両袖をまくりあげて、両手の肘あたりをこっそりと見てみた。白い美しい一の腕であった。注射の跡など全くない。




 しかし、左手首に数本の傷跡があったのも見逃さなかった。「リストカット」である。私は、自分の知らないもう一人の高木美優、つまり、山本彩華の精神の悩みの奥深さに暗澹たる想いを抱かざるを得なかったのだ。


 


 その後、高木美優と編集長の甲との間で、数回のやりとりがあったらしい。いつもは他人に対して非常に弱気な高木美優も、この時は、自分の意見を押し通して、例の漫画は変更せずにそのまま掲載となった。




 しかし、この件で編集長と揉もめた結果、週刊『J』誌の編集長の甲は激怒、青少年の教育上良くない漫画だとの大義名分を理由に、何だかんだと理由を付け、あと2週で打ち切りと言うところまで急に話が進んでしまったのである。




 ようやく、熱狂的なファンもでき、漫画家:山本彩華の地位が固まるかに見えた時のこの事件で、高木美優は、精神的にそして経済的にも大きなダメージを受ける事になってしまったのだった。




 最初の単行本『運命のビッグバン』は、その売り上げ数は、あまりにマニアックな漫画だっただけにそれほど多くはなかった。そこに、山本彩華の最大のヒット作となる筈であった『セブンティーン・ソルジャー・SAYA』は打ち切りが決まってしまった。




 漫画家:山本彩華は、次なる漫画に挑戦しなければならなくなったのである。それは、だが高木美優の心的エネルギーを大きく削る作業でもあったのだ。




 山本彩華の漫画には、他の漫画家と大きく異なる点があった。それは何かと言うと、登場人物の日常の何気ない会話等に、その会話の根底に秘められた人間心理を非常に細かく分析し、それを漫画に表現していると言う点なのである。




 その微妙な心理描写の場面は、きっと高木美優自身の体験に基づくところが多いのだろう。これはストーリー性を重んじる今の流行(はやり)の漫画とは若干のズレがある。

 だから、初期の作品を集めた『運命のビッグバン』は、その漫画の持つ底知れぬ奥深さに気付いたファンには理解して貰もらえたであろうが、そうでない一般の読者には、それほど歓迎はされなかったのだ。




 ただ、『セブンティーン・ソルジャー・SAYA』は、今までの山本彩華の心理漫画の描写に、主人公がエイズウイルスに自ら感染して復讐を遂げていくという新たなストーリー性を持たせたためと、教育界から徹底的に叩かれたため逆に人気を呼んで、この漫画で山本彩華の名は、知る人ぞ知ると言う具合に有名なものとなっていったのだ。




 高木美優は、その人嫌いの性格もあってマスコミには全く登場しなかった。いわば秘密のベールに包まれていたのである。山本彩華の写真や略歴は、単行本の『運命のビッグバン』にすら載っていなかったのだ。この完全な秘密主義も、ある意味、尚更ファンの好奇心を煽ったのであろう。雑誌社の編集部には熱烈なファンレターが何十通も届いていたらしい。




 だが、ファンがどう思おうが山本彩華は自分の漫画にはほとんど妥協しなかった。




「私は高校中退なんです、アホなんです」といつも自分で言ってはいたものの、漫画の材料を集めるために、小さなメモ帳は肌身離さず持っており、ネットでの検索などで最新のニュースや情報を集める努力は毎日のように欠かさなかった。




 私の知らない色々な漫画家や小説家、まだ世に出ていないインディーズの音楽グループに対する造詣も深かった。だから話をしていても、そこらの大学生よりもはるかに知識は豊富なのだ。ただ、金銭感覚はいい加減だし、行動も、部屋の中にいるのと一歩外に出るのとではガラリと変わってしまう。




 ……多分、高木美優の人嫌いの性格には、中学校か女子高校時代のイジメ体験が大きく影響しているように感じられた。




 しかし、こんな美少女で頭脳も賢い高木美優が何故イジメられたのだろう?この回答が、どうしても私には見付けられなかったのだが……。




 恐れていた『セブンティーン・ソルジャー・SAYA』の連載が打ち切られる日がやってきた。ようやく人気に火が付いてきたところでもあり、この急な連載打ち切りは、私のような一ファンですら納得できなかった。本人にとっては更に、納得のできるものではなかったろう。




 漫画家:山本彩華は、再出発を余儀なくされたのである。再び、かっての短編を主体とした作品に戻るか、『セブンティーン・ソルジャー・SAYA』を遙かに凌駕する次なる作品を考えだすかである。




 私が見る限り、高木美優は、漫画とか小説に対して、一種の自分なりの信念を持っているようなのだが、その信念とは、漫画や小説は、自分の中から泉のように溢れてくるように考えていると言う事だった。これはある意味、天才のみが持つ感覚である。




 しかし、天才の持つ感覚にこだわり過ぎるため、自分から敢えて作品を作り出す事、つまり、「適当に創作する」と言う行為ができなかったのではなかろうか?




 世の中の漫画家や作家の多分ほとんどがよほどの天才でない限り、皆、各作品を確信犯的に作っている事に、例えそれがどんなエログロものや、ホラーや、残酷残虐なものであってでも、その作品自体を頭の中で冷静に計算して組み立て、読者の反応つまり「受け」を狙って書いていると言う事に、理解を示そうとはしなかった。世間で「ヘタウマ」と言われている漫画家など大方がそうなのだ。




 私は口を酸っぱくして、いい加減に漫画を書く事、つまり妥協して漫画を書く事、あるいは、最初から読者の「受け」だけを狙って漫画を書く事を、蕩々と話し、説明し、言って聞かせた。




 が、理解できないのか、理解しようとしないのか、ともかく高木美優は、山本彩華になったとたんに全く聞く耳を持とうとしない。まる一日説得して、私は、諦める事とした。




 しかし、このまま突き進んでいけば、高木美優としてならばまだしも、漫画家としての山本彩華は、結局、この世に居る事ができなくなってしまうのではなかろうか?




普段、他人に対しては、非常に敏感で、排他的な壁を作りながらも、私だけには少女らしい純粋さを見せてくれていて、どこかまだ多少の安心感もあったのだが、何時しかその面も危うくなってきたのである。




 猛烈なため息、苦悩の叫びが、頻繁に、高木美優の口から、洩れるようになってきていた。




 例えばある日の事である。高木美優は、急に私のところに寄り添ってきて、漫画を描く用紙の最初の一頁にたった一言「虚」とだけ大きく書いて私に見せた。そして次のような話をして私に喰ってかかるのであった。




 高木美優は、知らない他人には相も変わらず非常に敏感に応対していたが、こと、私だけは信頼されていたためか、まるで幼稚園児のように、甘え、そして無理難題を言うようになってきていたのだ。




「ねえ、ねえ、これ見て、この漫画どう?これでも結構、考えたんよ」




「美優ちゃん、それ、新しい漫画の題名?表紙?」




「ううん、これ自体が漫画なの。どっか、変?」




「て、それって、漫画じゃないやろ、単なる字じゃないがけ?それじゃとても漫画じゃないよ」




 そう私が言うと、高木美優は急に目をつり上げて、また例の機関銃のように話し始めたのだった。




「どうせ、この世は虚構の世界じゃない。だって、人間なんて、何千年も前から、世界中で戦争を繰り返してきたのに結局何も学んでないでしょ。ねえ、そうは思わへん?だって軍事費の年間予算って世界中で合計したら多分百兆円もある筈よ。このお金を全部、ガンや難病の治療薬の開発に回せば、あっと言う間に治療薬が完成される筈でしょ。でもそうはならへん。




 あるいは、アフリカや低開発国の飢餓で苦しんでいる人に、食料を買ってあげたらいいと思わない?でもやっぱりそうはならへん。




 これっておかしいわよ。そうでしょ?一体、何が真実で何が虚構なのか?護さんなら私の言っている事わかる筈よ? そうよ、この世の全ての出来事は、ホントなのか嘘なのか?真実なのか虚構なのか?そんなの一体誰が理解しているって言うんよ?




 それやったら、私のこの一言の字でさえ漫画になるって言ったら漫画になるんよ。ねえそうは思わへん?私の言っている事間違ってる?私って、何処かおかしい?何処か変?ねえ、何と言って。そうやないと、私、苦しくて苦しくて、また、あの発作が起きそうで苦しいんよ」




 私は、ウンウンと相づちを打ちながら、高木美優をなだめる事に専念した。このままだときっと危ない。私は、高木美優に内緒で、色々、心理学や精神医学関係の本を読み漁あさる日々が続いた。




 何とか、高木美優を救ってやりたかったのだ。例え、漫画家の山本彩華はこの世から消えて行くことになってもいい。それが私の結論だった。




 もう充分に山本彩華の漫画は「カルト的漫画」として世間に認知されているのだ。きっとこれからも、特定のファンに語り継がれ残っていくだろう。だが、高木美優は、この世にたった一人しかいない私の大事な恋人であり、共同生活者である。以前に、自分の不注意(?)で同級生の北川昌代を自殺に追い込んだと言う追い目のある私には、二度目の失敗は許されなかったのだ。




 色々と本を読んでいる内に、私は、大きな事実に気が付いた。何度も言うように山本彩華の漫画は、よほどのアバズレが描いているような面があるように見えるのだが、高木美優の言葉によれば、男性経験は実は全くないと言う。




 つまり、全ての作品は、何かしら心の中から湧き出る泉のような感じで、「性的な欲望や他人に臆する自分への」精神的な代償行為だと言うのだ。だから、どんなドギツイ場面を描いていても、あくまで他の漫画やエロビデオを見ての自分なりの空想なのだと言う。


 この話は、現代のような御時世では、とても信じられないであろうが、高木美優のあの澄んだ清楚な瞳を見ると、本人の言葉を信じざるを得なかった。




 高木美優自身は『俗悪な世間の沼に咲いた花』みたいな存在であって、少女をそのまま大人にしたような感じだった。一緒に住んで既に一ケ月も経とうとしているのに、せいぜい、キスをするか、背後から冗談で抱き締めるぐらいしかできなかった。




 それ以上の行為に及ぶ事は、今までの高木美優の性格を考えると、全てが壊れそうでどうしても怖くてできなかった。……若い、男女が暮らしていてそんな事が可能だろうか?と思われるだろうが、これはれっきとした事実である。




 私の目から見て、高木美優は繊細な「ガラス細工」のような存在だったからだ。




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