第6話 灼熱の日々

 それにである。そもそも、私自身が、高木美優のような美人で一部の熱狂的なファンを有する漫画家と親しくなれた事自体も、よくよく考えてみれば奇跡みたいな事でもあるし、高木美優とそっくりだったかっての北川昌代にしたところで、校長先生に直訴までして私と同じクラスを希望した事も、やはり今になって考えてみるととても不思議な話だったのだ。




 何故なら、私は、有名なスポーツ選手でもなければタレントでもお笑い芸人でもないこれといって取り得のない極々平凡な人間なのだ。




 結構、成績がいい事だけが、まあ取り得と言えば、言ったにはなるのだろうが。




 きっと、私のどこかに「面白い面」だとか「人とは違う何か変わった面」があるのだろうとしか私は自分の事を分析し理解する事ができなかった。それとも、単に運が良いだけの事なのかもしれないが……。




 この点に関しては、私自身も、以前、級友達に不思議がられた事がある。




「何で、お前だけが、あんな美人の北川さんに好かれるのや?何で、お前だけがもてるんや?」と。




「そんな事知るもんか。こっちが聞きたい程やわ」と私は内心思ったものだった。が、その理由を聞いてみる前に、北川昌代は死んでしまった。同じ事を高木美優に聞いてみたいと言う気持ちもあったが、既に、この頃は、そう言う事を聞けるような状態では無かったのは先程から述べているとおりである。




 漫画家:山本彩華の苦悩は急激に進んでいった。私は、このままだと近いうちに重大な何かが起きるのではないか?と感じ始めたため、高木美優を外に連れ出す事に気を遣つかった。




 地下鉄を乗り継いで心斎橋を歩いたり、道頓堀界隈を一緒に歩いてたこ焼きを食べたりして廻った。高木美優は、控え目に歩いているのだが、蟻のように大阪の道を行き交う人間達の大群と、すれ違うのは苦痛だったのだろう。時折、私達をちらりと見る視線に、その都度ピクリと反応していた。




 北川昌代の思い出ともダブった。北川昌代は、高木美優とは正反対の性格で、私が中学校までの長い登り坂を歩いていると、「おーい」とか「お早う」とか、大声を上げて走って来て私と並んで学校まで通うのであった。男勝りの性格であり、うまく表現できないが「押しかけ女房」のような形で、私と友達になってくれたのだ。




 ふと、高木美優にせめて北川昌代ほどの精神的な強さがあればなあ、と、思った事もあった。しかし、高木美優は北川昌代ではない。漫画家の山本彩華でもある。

 もし、高木美優に北川昌代ほどの精神的な力強さがあったら、逆にあのような天才的な漫画を描く事はきっとでき無かったであろう。


  


 私は、自分の勉強はそっちのけで、高木美優の苦悩と正面きって取り組まざるを得なくなってきていた。そうでなければこのままでは、高木美優が精神的に持たないであろう事は、認めたくはないものの、否定する事はほとんど不可能に近いようになってきていたからだ。




 高木美優は、次回作を生み出すために、自分が今までに書きためたメモ用紙や、ネットから打ち出された用紙を何回も何回も見ていた。また、私の話をヒントに小説も読んだりしていた。しかし、一旦、途切れた糸はなかなか元には戻りそうにも無かった。




 高木美優のため息や独り言は、もはや誰が見ても正常な域を超えつつあったのである。




 急激に私との会話が減ってきた。食後直ぐに吐くようにもなってきていた。




 私は高木美優を説得し、彼女がパニック障害の治療を受けているクリニックは勿論、最後には有名な大学病院にまで同伴して症状を訴えた。医者の新たな診断結果は、「パニック障害」に加え「抑鬱うつ状態」が併発していると言う話であった。しかもその鬱状態は非常に強いと言う。とりあえず、抗鬱剤を処方してもらい、毎日、定時に飲ませるよう指示された。




 私は、自分の体温を超える摂氏38度の「灼熱の日々」の暑苦しさを感じない日が無くなってきていたのだった。




 と言って、私にしてみても、もはや高木美優のいない生活は考えられなかった。例え男女の関係にまでは到らなくても、彼女のいない生活は考えられなかったのだ。




 私は、高木美優の天才的才能を充分に理解していたし、精神的にもの凄く弱々しい面やその心理的な葛藤を知ってしまった以上、彼女を見捨てる事は、もはや私には絶対に許されざる選択となってしまっていたのだ。




 私は、ある意味、彼女に対しての、ファンであり、恋人であり、共同生活者であり、保護者であり、批評家であり、アドバイザーであり、カウンセラーであり、そして多分、彼女の世界一の理解者となっていたのだ。




 12月の下旬に、一通の招待状が高木美優、いや、山本彩華まで届いた。




 何と、連載打ち切りとなったあの『セブンティーン・ソルジャー・SAYA』が、第22回全日本少女漫画大賞の新人賞に選ばれたという案内状であった。




 式典は来年の1月31日、会場は東京の某有名ホテルとあり、旅費及び宿泊費も二人分までは当表彰者のほうで負担すると言う。これは、高木美優、いや、山本彩華にとっては朗報となる筈であった。




 私は、その招待状を高木美優に見せたが、その時の高木美優には、その招待状すら重荷になって思えたのであろう。ほとんど乗り気ではなかった。しかし、ここで妥協しては全てが終わってしまう。私の必死の説得で、高木美優は出席の返事を出した。




 私はとりあえず山本彩華の兄と言う事で、同伴する事にした。




 誰も、山本彩華の詳しい経歴は知らなかった筈だから、兄が一人ぐらいいたっておかしくはないであろう……。私は、ほんの少しばかりの下心を持ちながら、その日を楽しみに待ったのである。




 新年に入った。




 徐々にだが、薬が効いてきたのか、高木美優の症状は急激に直りつつあった。




 医師達の話を総合すれば、例のパニック障害に加え、鬱病か、一種の「燃え尽き症候群」に近いかも知れないと言う事であったので、休養がこの場合一番薬になる事は素人の私でも理解していた。しかし、相も変わらず、高木美優、いや、山本彩華は、次回作の構想に余念がなかったのである。




「ねえ、これ読んでみて。私、昨日、梅田まで行って探して買ってきたの。新しい漫画の参考になるんかなってそう思ったんやけど」




「何、『亀の頭のスープ』って漫画本?」




「これ、私が尊敬している根本敬(けい)大先生の本なの。とっても面白しいし、きっと私の漫画の参考になると思って護さんにも読んでもらって、感想や漫画のヒントが欲しいんよ」




「ねえねえ、それって、亀頭(きとう)って言う意味でね、つまり男性のアソコの先っちょの部分って言う意味の題名だよね。そんな題名の本、僕、遠慮しとくよ。それに大体がこの漫画の描写って、もうこれは無茶苦茶そのものやんか。美優ちゃんの漫画を遙かに超えているやん」




「そこが私の尊敬する理由なんよ。ともかく大先生なんだから、絶対読んで読みなさーい」と、高木美優は子供のように甲高い声で言った。ホント、その言葉使いや仕草は、愛くるしい少女そのものだった。




 いよいよ、表彰式の日となった。




 私は、一着しか持ってない背広を着、乗り気でない高木美優を無理矢理に新幹線に乗せて、東京のホテルまで向かったのである。




 新幹線の中で、私は、色々と高木美優に話しかけたが、ほとんど返事は無かった。




「美優ちゃん、元気、大丈夫?」


「ちっとも大丈夫じゃない。もう、表彰式なんて出たくない。もういやっ!大阪へ帰りたい」




「そんな事言わずに、折角、ここまで来たんだし、それに賞金も当たるんやから、このまま表彰式に出ようよ」




「そんな賞なんか、一体、何なんなんよ!もう総てに疲れてしもうたわ……」




 だが、こんな調子で、果たして表彰式に出られるのだろうか?




 その予感は的中した。何とかホテルには着いたものの、高木美優、いや、山本彩華は今日の表彰式に出たくないと言い出した。ともかく、高木美優の見守りと言う意味も込め、お互い兄妹だと言う事で、シングル二つの部屋をダブルの部屋一つに変更し、まずは荷物を部屋に置いて高木美優の説得にかかったが、大声を上げて泣き出してとても説得はできそうになかったので、主催者に急遽それを伝えた。




 私は、一応、漫画家の山本彩華の兄という事で皆それを信じてくれたので、私が、代わりに表彰式に出る事になったのである。




「さっきは、急に取り乱してごめん、それに表彰式にも出てもらって……」




「いいよ、もう終わった事やし。僕のほうこそ、色々な有名人に会えて結構面白かったよ。それにこれでまた漫画家:山本彩華の神秘性が増したんだから、なお、有名になって良かったと考えたほうがいいよ。逆転の発想というか、災い転じて福って言うやつやろな」




いつのまにか高木美優は、初めて会った時のような、素直で落ち着いた状態に戻っているように思えた。先程の狂乱状態が嘘のようである。どうも、高木美優の精神の極限状態は、完全に峠を越えたのではないか?私にはそう思えてきた。




 そこで、少々高価なワインを用意してもらい、東京の夜景を見ながら二人で乾杯した。


 いつもは、安物の焼酎しか飲んでいない私にしてみればまるで一本が数百万円の高級酒にも勝るとも劣らない味に感じた。




 しかもである。


 


 高木美優の口から思いがけない言葉が出たのだ。例の可愛い上目遣いで、




「あ、あ、あのね、優しくしてくれるんなら……」と、それ以上は言葉にしなかったが、私は、それを全てを許すと言う風に受けとった。事実、高木美優の瞳は非常に恥ずかしがっていたからだ。




 ようやく、3ヶ月近くにわたる「蛇の生殺し」状態から解放されるとあって、私は、朦朧とした頭と心臓の高鳴りを自覚しがら、高木美優の手をそっと握った。




その日の夜遅くなってからの事である。




 高木美優は、私の横で、急に、不思議な話を私に話し始めたのである。




「ねえねえ、護さん、デジャ・ヴって知っる?」




「ああ、フランス語で既に見たと言う意味で既視感(きしかん)って言う意味やろう。心理学用語、勿論オカルト系の話やけど。何で急にそんな意味不明な事を聞いてどないしたん?」




「私、前々から、今日の日の事を夢で見た事があるような気がしてならへんの。そして、それが私を、今まで人嫌いにさせてきたり、苦しめたりしてきた元凶なのだと、今、やっと気がついたんよ。前に、発作を起こした時、護さんのスマホに電話したやろ。それもその時、一体何故急に、護さんに電話したのか今でも自分では理解できなかったの。でも、きっとそれも、今日の日の事へと繋がる必然的運命やったんやろうね」




「それじゃ、その夢の話って、いつの頃からの話なん?」




「多分、中学1年生の頃からやと思う。それも、それ以降も何度も夢に見て、私を苦しめてきたように思うんよ」




「なるほど、で、それが漫画家山本彩華の創作へと繋がっていった訳か。美優ちゃんの漫画家デビューは中学3年生の時にまで遡るもんな」




「うん、短編漫画ばっかりやったけどね」




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