第19話 秋雨青春前線―③

 回転寿司で腹ごしらえを済ませた俺たちが次に向かったのは、書店だった。

 相変わらず気が遠くなるような人混みを抜けて辿り着いたそこには、これまたいつも通りに覚えのある作者の名前が刻まれた小説が並べられている。


 脳裏に浮かんだ渾身のドヤ顔。

 それを吹っ切りつつ、俺はため息を吐いた。


「凄いよねー、二階堂さん」


「……まあ、否定はしませんけど」


 隣で微笑みながら口を開いた能三先輩の言葉に対して、俺はそんな曖昧な返答をする。

 凄いのは間違いない。間違いないのだが、それを認めたくないのは普段のヤツの素行のせいだろう。

 ほら、腹が立つし。何となく。


「私も書いたことはあるけどさー」


 目を閉じ、昔を懐かしむような声色だった。

 ちらりとそちらを覗きながら、俺は次の言葉を待つ。


「やっぱり凄いよ、大勢に認められるものを作るって言うのは。別格だね、別格」


「先輩もお上手じゃないですか。去年、部活内で品評会を開いた時も好評でしたし」


「誰かさんからは酷評だったけどねー」


「……すいません」


 言ってから失言だったと反省した。

 思い出すのは約一年前。まだ部員が大勢残っていた頃、部活動の一環としてそれぞれが持ちあった作品を読み合うという機会があった。

 無論俺が作品を用意しなかったのは言うまでもない。書けないし。


「あの時に書いてたのは、恋愛小説だったかな。いやー、手厳しい言葉だったよ、一宮さんのは」


「むしろ今思い出すと俺の方が分かってなかったと思いますよ。反省してます」


 部員全員が文章表現の巧みさ、キャッチ―な展開に目を惹かれて先輩の作品を褒めちぎっていた。

 俺もその流れに乗って作品を手に取り、そして思わず首を傾げたのだ。


 面白かった。それは間違いない。

 作品として間違いなくあの日読みあったものの中で最高峰に位置していた。

 だけど、それでもだ。


「心の描写が納得できない、だったっけ? なんでこいつらは初対面から少し経っただけで付き合っているんだーって」


「納得がいかなかったんですよ。今は、少しだけ違います」


 先輩がそう書いた。

 昨日、二階堂も似たようなことを言っていた。

 つまり、そういうことだってあるんだろう。


 相手を深く知る事や、互いを理解し合う事など必要なく。

 ただ波長とも言うべきそれが合うだけで付き合い始める――なんて事も。

 無論納得が出来ているわけでは無いが、しかしそんな考え方もあるのだ。


「先輩は」


「んー?」


 そこまで考えて、俺は無意識的に問いかけの言葉を口に出していた。

 両手を後ろに組んで、首をこちらに向けている長い長い黒髪の人に向かって、俺は聞く。


「一目惚れとか、それに近しい何かを信じますか? こう、互いのあれこれを一切知らずとも、きっかけ一つで大好きになる――みたいな」


「信じるよ」


 即答、だった。

 能三先輩は寸分の迷いも無く、そう言い切った。

 まるで答えを最初から持っていたかのように。悩む素振りなど一切見せず、真っすぐに。


 ……嫌な、予感がした。


 だって、その言いぶりは。

 まるで体験談を経て、その末に持論として結論を持っているような早さの返答は。


「――えっと、その理由を聞いても?」


 あるいは。

 聞かない方が良かったのかも知れない。

 それでも問いかけてしまったのは、きっと条件反射のようなもので。


 そんな問いかけに、先輩はあっけらかんと答える。


「簡単な話。


「…………っ、そう、ですか」


 言い放たれた言葉が、聞き間違いであって欲しい。

 そんな事を願っても、しかし現実としてそこにあった。

 能三先輩には、明確に好きな人がいる。そんな事実が。


「そう、ですか」


 もう一度だけ、呟いた。

 先輩に聞こえないような、本当に小さな声で。


「よ……っと」


 そんな俺の様子に気づかず、先輩は眼前の棚から二階堂の小説を一つ手に取った。

 くるりと裏返す。そこにあるのは、つらつらと書かれたあらすじ。

 かつての夏休み。ほんの短い間であった少年と少女が、大きくなって再び邂逅する。

 そして、紆余曲折の果てにかつての思い出の地へと向かう――そんな、よくある話。


「凄いんだよ、これ」


「凄い、って言うのは?」


 耳鳴りがした。動悸もしていた。

 そりゃそうだ。能三先輩だって女の子である以上、好いた人の一人や二人はいるだろう。

 だけど、しかし、でも。

 じゃあ、なんて言葉を使わなくても良かったじゃないか。

 希望を与えられ、笑いながらそれを奪われた気分だった。


 ただ自分が淡い期待を持って勘違いしていただけ、というのも理解はしていたのだが。


「正直展開はありきたり。よく見るテンプレートなんだけど……でも、読み手を夢中にさせる魔法がかかっている。一文一文に続きを読みたくなるような熱があるというか。きっと二階堂さんは魂を込めたんだろうねー」


「…………書きたいものがあるって、言ってました」


 そんな俺の内心を、しかしここで暴かれるわけにはいかない。

 だって恥ずかしいじゃないか。

 勝手にワンチャンスを望んで、勝手に転んで。

 そんなのを意中の人に悟られるだなんて、俺には絶対に耐えられない。


「書きたいもの?」


「はい。自分の中にどうしても伝えたい事があって、それを文章に込めたんだとか」


 それが何なのか、俺は教えられていない。

 だけどそれだけの強い想いがあったからこそ、きっとこの作品は大勢の人にとっての大切なものとなったのだろう。


 その言葉を聞いた先輩は、軽く息をついて小説を眺め、そして言う。


「へえ。じゃあ、これが……」


「…………先輩?」


「ああ、ごめんね。なんでもないの」


 笑いながら先輩は、手に取ったそれを棚に戻した。

 買わないんですか、と言いかけたがやめた。よく考えずとも、既に購入済みなのだろうし。


「……………………」


 右の棚へ、左の棚へ。

 ジャンルを問わず本をあれこれと楽しそうに漁っている先輩の横顔は、やはりどこまでも魅力的だ。

 惹かれる。惹かれてしまう。俺は先輩の事をロクに知らないのに、それでもどこまでも美しく映ってしまう。


 これが一目惚れと言うやつなのだろうか。

 そして俺にはその一目惚れってヤツを肯定する言葉が二つもあったのに。


 だけどきっと、これは仕方の無い事だ。

 誰かが誰かを好きになる事を、止めることはできない。俺の気持ちだって、誰にも邪魔されたくないのだし。


 それでも、だ。


「あの、誰なんですか?」


「誰っていうのは……あー、一目惚れの相手? 何、一宮さんって恋バナとか好きなの?」


「気になっただけですよ。だって、ほら。先輩って誰からの告白も断ってるじゃないですか」


「まあねー。気になっている人がいる以上、失恋するまではオーケーすることはそりゃないよ」


 棚を漁りながら、横目でこちらを見ながらの言葉。

 その言葉の続きを待つ。

 誰なんだ。能三未央という絶世の美少女を射止めた男って言うのは。


「んー、そうだなあ……」


「教えられませんか? デリケートな話題ですし」


「や、そうではなく」


 ここで。

 全く突拍子も無く、先輩はくすりと笑った。

 笑って、そして俺を見る。


 笑みの理由も分からぬ間に言葉の続きがあった。


「後で教えてあげるよ。だからほら、今はこのを楽しもう?」


 大人びた容姿。にこりと笑ったその表情はやはりどこまでも魅力的で。

 書店巡りを終え、歩く先輩の背中を追う俺の足取りは少し重い。

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