第20話 秋雨青春前線―④
それからのデートは、まさしく惰性で続けていたと言っても過言ではなかっただろう。
――先輩には既に思いを寄せている人がいる、という歴然たる事実。
それによるショックを必死で表に出さないように取り繕いながら、アパレルショップを見て、雑貨店を巡って、カフェで一休みをした。
本来であれば一つ一つがこれ以上ない想い出になるはずだったのだが、しかし今の俺にとっては心を傷つけるナイフにすらなり得た。
「映画、面白かったねー」
「そっすね。何というかこう、ほら……あー」
「こらこら文芸部。言語化能力くらい備えておきなさいな」
そうは言われても、と思った。
二人で見たのはこれ以上なく退屈な、やたら古めかしい構成のメロドラマだった。
何でこんなタイミングでこんな作品を――と思ったが、便宜上これはデートなのだから選択として間違っていなかったのだろう。
唯一の誤謬は、楽しめるようなメンタルを俺が備えていなかった一点のみ。
二人してふらふらと歩く。
大きなガラス窓がある端の方までたどり着いた時、先輩はふと声を上げた。
「あ。まっずいなあ…………」
「どうかしましたか?」
「いやー、ほら。外見て、外」
ガラス張りの一面。そこから見た外の景色は陰鬱だった。
ざあざあと降りしきる雨。風も強いせいか、眼下に立ち並ぶ木々が揺れ動いていた。
否応なく自分の心とその景色とを重ね合わせてしまう。重ね合わせて、何を浸っているんだと自分を鼻で笑った。
「雲はどこまでも厚いし、こりゃ
「一応傘は持ってきましたけど、もしかして先輩は、」
「ううん。持ってきてる。持ってきてるんだけど……」
荒れ狂う世界を指差して、先輩は困ったような笑みを見せた。
「これだけ風が強いと、傘を差してもびしょ濡れになりそうで、さ」
「ああ、それは」
鋭角に降りしきる秋雨。
これではどうしたって帰る頃にはびしょ濡れだろう。
このメンタリティのまま電車に乗って、それなりに長い帰り道を一人で歩いて、家に帰る――随分とまあ、寂しいデートの終わりだ。
ふと、旅行帰りの雰囲気と似ているなと思った。
夢の時間は終わり、あとは何の展望もなく日常へと帰っていくような、そんな。
この後の楽しみは何もない。むしろ、ワンチャンスすらなくなった世界が俺を待っている。
あるいは、だ。
だから俺は口を開いたのかも知れない。
「――先輩は、どうして」
ぼそっと、まさしく溢す様な言葉だった。
荒れ狂う秋空を見つめながら、数日前からずっと考えていたことを問いかける。
「どうして、俺をデートに誘ったんですか。二階堂を部活に入れるって、その話をしたあの日に」
「…………やっぱり気になる?」
「そりゃ、まあ」
その質問は、言うならば確信であった。
真剣な問いかけに対して、肩をすくめながら能三先輩は笑う。
ふわりと揺れ動いた長い黒髪から、甘い、甘い香りが漂った。否応なく、俺の心が刺激される。
そして先輩は、ピンと立てた指を顎に当てながら言った。
「ねえ、一宮さんは何でだと思う?」
「…………俺は、その」
突如として提案された今日のデート。その本意。
当初予想していた理由は、考えるまでも無く。
「二階堂未央って人間がどんなやつなのかを、俺から聞き出すつもりなのかと。あいつと一番交流が多いのは多分俺ですし、なにより部活に彼女を引き入れたのも俺です」
「そうだね。そう思ってもおかしくないと思う。だけど――」
くるくると人差し指が円を描く。
ふふ、と能三先輩は息を洩らしながら告げた。
「今、この瞬間に至るまで。私は一度もその話題を振っていないよね」
「……ええ」
そうだ。そうなのだ。
だからこそ、おかしいと思っていた。
昼食の時間から映画の待ち時間まで。いくらでも二階堂の話をする時間はあったはずなのに、終ぞ先輩はその話題を口にしなかった。
「そもそも私は二階堂さんをある程度信用しているからね。又聞き程度の話だけど、誠実で真面目だって言うのは知っていたし。だからわざわざ情報収集なんてしなくたって、受け入れてた」
「……つまり、違うって事ですか。このデートの目的は、二階堂未央なんかじゃないと」
「違うよ。全然違う」
ふるふると首を横に振りながらも、先輩はやはり笑っていた。
まるで迷宮に惑う挑戦者を
「まあけど仕方ないと思うよ。タイミングがタイミングだし、そう勘違いしてもおかしくないからねー」
――――だけど、さ。
先輩はまたしても小さく笑いながら、こちらに向きなおる。
そして、まさしくその瞬間だった。
ずいっ、と。
能三先輩はその美しい体躯を俺の方へと近づける。右肩を掴まれ、ぐらりと俺の身体が揺れた。
「な……ぁ、」
甘い、甘い香りがした。ふわりと漂うそれは、シャンプーや香水の類か、それとも。
脳がクラクラするような状況に酩酊する間に、瑞々しい唇が耳元へと近づく。
目の前の、ほんの数センチ先に憧れている女性の身体がある。突如として降って湧いたこの事実が、俺の脳を混乱させた。
なぜ、何が、どうして、どうなって。
視界がぐるぐるとする中、何か言葉を――と。
そんな風に口を開きかけた、その時だった。
耳元に、言葉が流し込まれた。
「――――――――
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は」
時間が、止まった。
それは比喩ではあるが、しかし決して比喩ではない。
先輩によって投げかけられた一つの地名。それを耳にした瞬間、完全に俺の脳は思考を停止させたのだ。
先輩は俺の身体から手を放して、一歩二歩と後ろへ下がる。
そしてその豊満な胸へと手を当てて、唄い始めた。
そう、唄だ。彼女の口から放たれる情報の濁流は、吟遊詩人のそれのように耳へと自然に流し込まれる。
「自然と古めかしい家屋が立ち並ぶその村の近くには、美しい湖がありました」
「ま、って。ちょっと、」
「安物のクレヨンとスケッチブックを携えたその少年は、その日もいつもと同じように湖へと向かっていました。あとは色塗りだけだ、って言いながらね」
何だ。
何だ、何だ、何だ。
開いた口が塞がらない。
一体、目の前の先輩は何を言っている。何を、口走っている。
――――いや、正確には違う。何を言っているのかは分かっている。分かっているが、理解が出来ない。
「待て。おかしい。だって、俺は確かにその話を先輩にしました。だけど、だけど、俺はそこまで――――」
「――――詳細な話は聞いてないね。場所なんて以ての外だし」
「じゃあ! じゃあ、なんで!!」
思い出すのは、今日の昼だ。
食事がてらに話した夢の話。俺と言う存在から切っても切り離せないような、遠い過去の記憶。
それを俺は、これまで殆ど誰にも言ったことが無かった。言ったとしても掻い摘んでだ。どこで、誰が、いつ、何を――だなんて、懇切丁寧に口にした覚えはない。
だけど。
だけど、だけど、だけど――だ。
「そして毎日絵を描きに冒険へ向かうその少年の隣には、いつも女の子がいました。村で知り合ったその子は少年が絵を描いているのを見るのが好きな変わり者でした」
「――――――――ま、さか」
歯車と歯車が、合わさる様な音がした。
いや、けど、そんなことがあるのか?
だって。
俺の予想通りなら、額面通りに受け取るとするのなら、まるで――これは。
「久しぶり」
そしてあの日の面影を漂わせながら、能三芽衣は宣言する。
それは即ち、答え合わせ。
唐突に与えられたのは、理解の範疇を超えた常識の崩壊だった。
「十年ぶりだね、今まで黙っててごめんなさい」
「な――に、を…………っ」
そう。世界は唐突に、なんの警告も無く崩壊する。
気が付けば、俺の足元には迫っていたのだ。
自らの過去と言う、逃れようのない現実が。
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