第17話 秋雨青春前線―①

 二階堂未央とのデートを終えた夜。

 または能三芽衣とのデートを控えた夜と言ってもいいか。


 俺は、夢を見た。


 生い茂る草木がどこまでも続く様な森林の中で、俺は立っている。

 振り返ると遠くにはオンボロな日本家屋が立ち並んでいた。

 きっとその地域は、町と言うより村と言った方が正しかったのだろう。


 歩きなれた獣道を歩く。

 隣に誰かがいた。

 腰にまで伸ばした艶やかな黒髪が印象的な、お嬢様みたいな少女だった。


 俺も、その子もまだ小さい。

 少しの遠出は冒険だったし、森の木々は巨人だった。


『あと少しで完成だね、その絵』

『まあね! 出来たら見せてやるんだ、母さんに!』


 無垢な声だった。

 世界の穢れも誰かの不幸も知らない、どこまでも純粋な声が小さな俺の口から響く。


 だから、やめてくれ。


『あとちょっと色を塗れば完成! やっぱ俺って天才かぁー?』

『調子乗りすぎでしょ、しゅう』

『っるせーなあ、■■! 俺は褒められて伸びるタイプなんだよ、褒めろよ!』


 楽し気に会話をしながら、森の中を歩いて行く二人。

 頼むから。お願いだからそいつらをそっとしておいてやってくれよ。


 何も、奪わないでやってくれ。


『……なん、か』


 だけど、そんな願いは叶わない。

 これは夢だ。俺の過去だ。

 だからこの世界は、あの日起きた出来事をどこまでも正確に描写する。


 かくして。

 世界が、流転した。



 ◇



 騒がしいスマホのアラームを停止して、むくりと体を起こした。

 そのまま液晶画面から時間を確認すると、朝の七時。集合時刻は十時半の為、まだまだ余裕がある。

 だが万が一にも遅刻は厳禁だ。二度寝などせず、素直に起きておいた方がよいだろう。


 頭がぼんやりする。

 未だ拭い去れない眠気を払うべく、洗面所へ。

 鏡に映った自分の顔を見て、思わず笑ってしまった。


「……ひっでえ顔」


 不細工だなんだとそういう話がしたいんじゃなく。

 さながら俺の顔は、幽霊か悪魔に憑かれたかのように翳りを見せていた。


 何故かって、簡単だ。

 今朝見た夢。大方あれのせいだろう。


 しばらくは見ていなかった夢。かつての記憶。全てが変わった日。あるいは終わった日。

 いっそトラウマと言う方が正しいそれを想起したのは、きっと二階堂のせいか。


 風景画。それを描くということ。

 彼女自身があの過去を知っているからこそ持ち出してきた、あの提案。

 きっとそれに、意識が引っ張られているのだ。


「あー、やめだ。今日は先輩とのデートだろうが」


 自分に言い聞かせるように言葉を発し、棚から取り出したブロック状の栄養食品を口にする。

 腹はあまり満たされないが、一々料理なんざするのは面倒なので重宝している。


 デート、デートか。

 昨日の二階堂とのそれとは違う。

 憧れている、好いている先輩とのそれは言ってしまえば本番だ。


 もちろん先輩としては、本気のデートというわけではないだろう。

 二階堂がどういう人間かを聞き出したり、あとはちょっと遊んでみたりと、きっとその程度の認識の筈だ。


 だけど、それでもだ。

 デートはあくまでデート。俺はこれから井原南イチの人気者と一緒に遊ぶのだ。


 期待と不安と、その両方。

 それを抱えながら朝の支度を済ませ、集合場所に辿り着いたのは十時ちょうどだった。

 場所は昨日と同じ駅前。行く場所も同じなので、相手以外は再放送染みている。


 行き交う雑踏。

 駅に入っていく人々の中に、仲睦まじいカップルの姿があった。

 初々しくも手を繋ぎ、笑い合いながら歩く二人。


 あるいは。

 俺も今日を経て、あれになれるかもしれないのだ。


 だってそうだろう。二人きりのデートなんて絶好のアピールタイムだ。

 待て。そうなるとかなり緊張してきた。しっかりと髪は整えてきたつもりだったが、寝癖が残ったりはしていないだろうか。

 服も必死になって選んだが、不格好ではないだろうか。

 今日になって昨日の二階堂が理解できた。他人にどう見られているかを気にしだすと、一気に不安になる。


 そして。

 人影が見えた。

 俺は息を呑んだ。


 長く伸びた黒髪。どこまでも整ったプロポーション。

 見紛えるはずもない。こちらにむかって歩いてきているのは能美芽衣先輩だ。

 思わず心臓が跳ねる。緊張を悟られぬよう、深呼吸をした。


「ごめんね、待たせちゃったかな?」

「い、いえ。むしろお互い早く来すぎちゃいましたね」

「あははっ、だねー」


 若干たどたどしい俺とは対照的に、先輩はどこまでも自然体だ。

 大人の余裕、と言うやつなのだろうか。いや、一学年差だけどさ。


「ああ、場所選んでくれてありがとうね」

「ありきたりな場所で申し訳ないですけど」

「女の子は誰だってショッピングモールが好きなものなのです。……ああゴメンやっぱ無し。昨今は主語が大きいと怒られちゃうからね」


 そういって先輩はあははっ、と笑った。

 なんとなく、普段学校でやり取りをしている時よりもラフな雰囲気があった。

 日常的に取り繕っているというわけではないだろうが、やはり休日のプライベートでは心の持ちようが違うのだろう。

 そんな様子を俺に見せてくれるのは、何というか特別感があって嬉しかった。


 俺たちは歩きながら改札口を通る。丁度、昨日と同じように。


「何か買う予定あるんですか?」

「どうかなー。服とか、あとは本とか。ああ、けど何よりも食事だよね食事。美味しいもの食べようよ、一宮さん」

「実は前から思ってたんですけど、よく胃に入りますよね」

「普段から良く食べるのが秘訣だよ。胃が大きくなる」


 淑やかな先輩から覗き見える腕白な部分。

 こういうギャップにやられる男子は非常に多い。かくいう俺もその一人だ。


 かくして電車がやって来る。

 二人してそれに乗り込む。相変わらず人気が少ない。

 隣に立つ憧れの人。その魅力に呑まれて無様を晒さないよう今一度気をしっかりと持って、俺は一つ息をつく。


 窓から空を見上げてみた。

 昨日の帰りは晴れていたが、対照的に今日は遠くにまで厚い雲が続いている。

 曇天。いつ雨が降り出してもおかしくない悪天候スレスレ。


 どうか今日と言う日が終わるまで雨が降りませんようにと、小さく心の中で願う。


 デート。その本番。

 始まったそれがどこに行き着くのか、俺はまだそれを知らない。

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