第16話 少年と少女と―④
五十嵐と四条の二人に別れを告げた俺たちは、また適当にぶらぶらとモール内をうろつき始める。
百均、カフェ、アパレルショップ――それらの横を通り過ぎて、本当に当て所も無く。
「ふん、ふふふーん、ふん、ふーん」
俺の真横で鼻歌を歌う少女は、随分とまあご機嫌だ。
こうして見るとどこまでも純粋無垢に見えるのに、その内側は謎だらけだというのだから人ってのは難しい。
「……なあ」
「ふふーん、ふんっ、ふふーん」
「聞けよ」
「聞いてるよ。けどサビだったんだ。キリのいいところまで待ってくれてもいいじゃないか」
知らねえ。そこまでの思いやりを俺に求めるんじゃねえよ。
彼女のちょっとした抗議は無視して、俺はマイペースに言葉を続ける。
「さっきの映画の話。あれもお前は知ってたんだな」
「……ああ、断った話かい? まあね、それにボクもあまり得意じゃないんだ、ああいう描写は」
特撮自体は大好物だけどね、と二階堂は補足する。
ああいう描写という濁した言葉だったが、相互の認識が正しければ恐らく指す描写は一つだった。
きっと。
怪獣が現れて家屋やら人やらを吹き飛ばしていく十八番のシーンの事を言っているのだろう。
「……創作でも、だめかい?」
「別に、ダメって程でもねえよ。好んで見ないってだけだ」
「そっか。まあ、ならいいさ」
「本当に、どこまでも知ってんのな」
十年と少し前の記憶がフラッシュバックする。
美しい自然に囲まれた片田舎。あの場所に、きっと俺はまだ取り残されている。
それを眼前の少女は知っているのだ。何故かは、分からないが。
「時に一宮クン。案外いい友人を持っているんだね。ボク少し安心」
ふらりと雑貨店に立ち寄りつつの言葉だった。
特に欲しいものがないまま歩き続け、ファイルやラックやらの収納が並べられたコーナーへと差し掛かる。
「友人って程じゃないけどな。プライベートで遊んだことはないし」
「うわーぼっち気質。一宮クンの十八番が出てる。もっと人との関わりを大事にしなよ」
「……分かってるよ」
分かっていても、難しい事だってあるんだ。
どこまで踏み込んでいいのか、だとか。嫌われてしまったらどうしようか、だとか。
いらない事を考えて自縄自縛に陥るのは人の常だ。
「人との関係なんてそんなに難しく考えること無いんだよ。気が合いそうだとか、話が合いそうだとか、そういうふんわりとした始まりから繋がりを深めていけば自然と輪の中に入れているさ」
「そういうもんかね」
「そんなもんだよ。それに、これは別に友人に限った話じゃない」
何やら気に入ったのか、棚から二階堂は一つの黒いブックエンドを取り出した。
小説家だ。家の本棚はそれこそ本でいっぱいなのだろうし、ああいうのも必要なのか。
教科書程度しか本がない俺には無縁の話だが。
「それこそキミが常々考えている好きの気持ちだってそうだよ」
「そうなのか?」
「そうさ。好きって気持ちに大層な理論理屈は必要ないというのがボクの持論でね」
それは、俺とは全く真反対の考え方だった。
過去の経験と、今に至る影響。それによる執着こそが『好き』の意味なのではないかと考える俺とは。
「人を好きになる場合だってそうだ。一目惚れって言葉があるだろう」
「あんなのはフィクションか、あるいは即物的な考え方だ。他に魅力的な人物Bが出てきたら移り変わってしまうような、単純なものだろう」
「けど好きって気持ちには変わりない。だからいいのさ、きっかけなんて何でも。全てに理屈をつけられる程、人の感情は簡単じゃないよ」
「……じゃあ、お前もそうなのか」
正面に立つ小柄な、少年のような少女。
白いワンピースに身を包んだ、何故か俺を好きな小説家。
これまで俺を好きな理由を聞いたことは無かったが、彼女がそう語るという事はそうなのかと。
「……違うね。ボクの場合は、また話は別だ」
しかし彼女は首を横に振り、以降しばらくの間会話は無かった。
購入することに決めたらしいブックエンドを片手に会計へと向かう彼女の背を眺めながら、俺は思う。
一目惚れではない。きっと、もっと複雑な理由。
だとしたら、彼女は一体何を理由として俺を好きになったのか。
この半年間繰り返した問いに、まだ答えは無い。
◇
鞄を見た。服を見た。食事処を見て回って、映画館の横を通った。
あちこちを適当にフラついているだけでも、存外に時間は早く過ぎる。
時計を見ると時刻は午後五時半。今から電車に乗る事を考えると、そろそろ切り上げる時間帯だった。
「うーん、楽しかったねえ」
「……そうだな」
モールを出て、秋めいた夕暮れの中へ。
今日明日は不安定な天気と予報では言っていたが、今はそれなりに快晴だ。明日も雨が降らない事を祈ろう。
横を見た。
本当に楽しそうに、俺の横を歩く少女の姿。
今日のデートは彼女を知る為のそれだったが、途中からはその根底さえ忘れていた。
ああ、そうだ。
楽しかった。
「ん……なんだいボクをじろじろと見て。惚れた?」
「惚れねえよ。俺は先輩一筋だ」
「ふふふ、安心したよ。まあ色々と下見も出来たし、余程下手を打たなきゃ明日も成功するだろうよ」
笑顔。真っ白い歯が見えた。
眩しいそれに苦笑を浮かべる。
何となく、本当に何となくだが。
たった数日前と今とで、二階堂未央という少女との、その距離感が変わったような気がした。
それが良い事なのか、悪い事なのかは分からないが。
「好きって気持ちは単純でもいい、か」
「どうしたんだい急に」
先ほどの二階堂の言葉を内心で反芻する。
俺が能三芽衣先輩を好きな理由は、言ってしまえばただの一目惚れだ。
だからこそそれは欺瞞で、偽物なのだと思っていた。
だけど、それでもいいのだろうか。
誰かを好きになるっていう事に、積み重ねや相互理解なんていらないのだろうか。
どうにも納得しがたい。だけど、そういう考え方があるということくらいは、頭の中に入れておこう。
改札口を通り、数分後にやってくるであろう電車を待つ。
隣から声があった。
「今日はありがとう。こうして連れ出してくれて」
「別に」
感謝される事は何もない。
彼女も知っての通り、今日のこれは殆ど明日のデートの予行演習みたいなものだ。
いっそ怒った方がいいはずなのに、彼女はしかし俺に笑いかける。いつものとおりに。
心の内側にあるこのしこりは、罪悪感なのか。
ストーカー予備軍の少女。こちらの事を考えずぐいぐいと押しかけてくる小説家。
だからこそたまにはこちらが雑に扱ってもいいのではと思ったが、しかし最後に芽生えたのはそんな感情だった。
だから、だろう。
俺は自らのそれを少しでも和らげたくて、口を開く。
「朝、言ってたよな。その服が似合ってないとかなんとか」
「ん……まあね。中々着慣れない服だし。正直制服の方がマシなんじゃないかって思ったよ」
やはり自己評価が低い。
どうやら彼女はこの純白のワンピースを着た自分があまりお気に召していないらしかった。
だけど。
だけど、だ。
それはあくまで彼女の考えだ。俺は違う。違うから、口にした。
「……そうでもねえよ。似合ってる」
「へ」
轟々とした音と共に、電車がやって来た。
そそくさと乗り込む。背後では、呆然と立ち尽くす二階堂の姿。
「乗らねえのか」
「ぇ、ぁ……の、乗るっ!」
ばたばたと忙しない。
そんな彼女の様子を見ながら、二人して人気のない車両で佇んだ。
顔が熱い。あるいは、言うべきじゃなかったかもしれない。
「……何か言ってよ、ねえ」
「何かってなんだよ。言いたい事なんざねえ」
顔を背けて窓から外を見る。
次々と追い抜いていく景色。それらが全て目に映っているはずなのに――しかし、何も頭に入ってこなかった。
意識が背後に向いている。ちょっと褒めるだけでこれかよ。情けねえな、俺。
「ああ、ちくしょうめ。何で急にデレを見せてくるんだい、キミは」
「デレちゃいねえ」
「けどありがとう。うん……うん、本当に嬉しい」
ちょこん、と感触があった。
背中。服の端をわずかに摘ままれた。
手を繋ぐには遠い距離。抱き合うなんて以ての外。
だからこそこれが、今の俺たちの正しい姿なのだろうか。
夕暮れ時の電車の中で。
脳裏に浮かんだのは、そんな考えだ。
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