第15話 少年と少女と―③

 フードコートは地獄だった。

 いや、比喩でも何でもなく。


「くっそ、マジでか……」

「休日昼間ってこんなものだよ。また一つ学習したね」


 右を見ても左を見ても人の山。

 僅かに感じた吐き気を抑えながら俺は二階堂を見た。

 彼女も口元を若干引き攣らせている。分かるぜ、流石にしんどいよな。


「うむぅ……でもどうするかな。一階もかなりの列だったし」

「外で食うか? 近場に何かあるだろ」


 何せここは駅前だ。食事ができる場所なんて所狭しと乱立しているだろう。

 二階堂も俺の言葉に賛同し、さて一階に戻ろうか――というタイミングだった。


「あれ、柊……?」


 真横から、聞き覚えのある透き通った声。

 近頃ほとんど顔を合わしていないが、それでも流石に分かる。

 分かるからこそ、俺は先ほどまで以上に顔を歪ませる。


「やっぱ柊だ! 珍しいねこんなとこ……で?」


 俺より少し小柄な、柔な体躯の男。

 文芸部メンバーの一人――五十嵐康生いがらしこうせいがそこにいた。


 二つ分のラーメンをお盆に抱えた彼は、俺の隣に立つ二階堂を丸い目で見つめ、そのまま視線を俺の方に。

 その往復を二度三度と繰り返していた。動きがやかましい。


「……えっと、二階堂さんだよね?」

「どうも、二階堂未央です」


 ぺこり、と頭を律儀に下げる。

 釣られて同様に首を少し下げた五十嵐は、「そうではなく!」と声をあげた。


「まさか、柊ってば遂に受け入れたのか……!」

「ええ、ええ。そりゃあもう抱きしめられて愛を囁かれましたよ。ぴすぴす」

「いやー、いつかはこうなる気がしてたんだよね。おめでとう、柊!」

「……帰るわ」

「こらこらちょっとした冗談でしょうが」


 冗談にも言って良い事と悪い事と耳障りな事があるんだよ、分かれ。

 思わずげっそりとした俺の顔を見てけらけらと笑うのは五十嵐だ。


「で、二人はデートって感じかな」

「そうだね。もっと言うとフードコートがだから外で食事をしようかと」


 親指で指した惨状を見て、なるほどねと一言。


 一瞬の無言。彼は何やら考えているようで、ゆらゆらと盆に乗ったラーメンのスープが揺れる。

 かくして、声があった。


「……良ければ一緒にどうかな? 僕は四条しじょうと来てるから、必然的に相席になる訳だけど」

「いや、いい。邪魔する気は――」

「いいね! じゃあボクたちもお邪魔しようじゃないか、なあ一宮クン!」


 言葉を遮る様な大声を携えながら、二階堂が俺の肩に手を置いた。

 やめろ。こんな場所で大声を出すな。そして肩に触れるな、鬱陶しい。


「どうせ今後は部員同士だ。今ここで交流しておくのは、悪い事じゃないだろうさ」

「あのなあ……」

「……? まあ、いいっていいって遠慮せずに。それにホラ、四条は二階堂さんのファンだからさ、きっと喜ぶ」


 『部員同士』の部分には首を傾げながらも、五十嵐はそう言った。

 受け入れ態勢万全の人と、受け入れられ態勢万全の人。結果俺の言葉など誰の耳にも届かず、全自動的に相席が決まる。


 民主主義ってやつか、ちくしょう。


 仕方なしに人混みの中を歩き、窓際の四人席へ。

 二人なのにわざわざ四人席を占領とは、こいつらも良い性格をしている。


「いやーごめんごめん。四条お待たせー」

「別に待ってないし……ってぇ⁉」


 席に座っていたのは、茶色い短髪の女だった。

 特徴的なのは紺色のミニスカート。羞恥心ってものが無いのか、少し歩くだけで下着が見えそうなほどのそれがひらひらと揺れる。


「え、二階堂さん⁉ うわ、びっくりしたあ……」

「たまたま会ったんだ、そこで。柊とデート中だとさ」

「……あー、なるほど。イチってば遂に捕まっちゃったかあ」

「デートじゃねえ。捕まってねえ」


 どいつもこいつも。

 人と人とをやたらとくっつけたがるその恋愛脳をやめろ。


 二つ分のラーメンを席に置いた五十嵐は、四条の対面へと座る。

 ここまできたら断ってもいられない。諦めて俺は五十嵐の横に腰を落ち着かせた。


「イチ、なんか買って来なくていいの?」

「列が邪魔だ。空いたら行く」

「……ほぉ、キミって四条さんからはイチって呼ばれてるんだねえ」

「っるせえ」


 にやにやとした笑みを隠そうともしない。

 俺はしっしっと手でその顔を掃きながら、近場のたこ焼き屋へ視線を向けた。

 そこそこな列が出来ているが、まああと数分もすれば空くだろうか。


「にしても驚いた~。いっきなり二階堂さんとお目見えだもん。あ、五十嵐から聞いてるとは思うけど、あたしファンなの」

「ははっ、ありがたい限り。ああ、丁度ここに新品の本があるんだ。サインを書いて渡してあげよう」

「オイコラ待て」

「冗談だよ。本気にするなってキミ」


 鞄から取り出していた、先程購入したばかりの本をしまう。

 残念そうな顔をするのは四条だ。対して二階堂はそんな彼女に笑いかけながら、ちらりと俺に目配せする。


「まあまあ、今後は部活で一緒なんだし、サインなんていくらでもあげるからさ」

「うぅん、ならまあ……え?」


 五十嵐と四条が同時に目を丸くする。

 説明は俺がしろって事かよ、さっきの目配せは。



 二階堂未央の仮入部。その話を終えた時、すでに俺の目の前には出来立てのたこ焼きが並べられていた。

 暇になった二階堂が買ってきたものだ。アツアツのそれを口に運びつつ、雑談を続ける。


「いやあ、あたしびっくり! まさか二階堂さんがねえ」

「ははは、まあそういうワケでよろしく頼むよ」


 目をキラキラさせている四条を見て、五十嵐はなにやら満足げな表情をしていた。

 お前は何もしていないだろうに。


「……にしても、ホントにまさかだよ」


 眼前で姦しく雑談を続ける女子組に聞こえないくらいの声量だった。

 何が、という言葉を返す間もなく、二の句がやって来る。


「焚きつけたのは僕だけどさ。そんなに部活が名残惜しかったの?」

「……さあな」


 その辺りは、実際自分でも分からなかった。

 言ってしまえばどこまでも突発的な行動だったのだ。

 あの日、雨が降っていなかったら。二階堂未央が待っていなかったら。

 あるいは面倒になっていたのかもしれない。


 つまり、なる事はなかったのだと。


「まあ幸せになりなよ。彼女はいいぞ、世界が美しく見えるようになる」

「違ぇよ黙れ。そんな関係なんかじゃない」


 何を言っているんだコイツは。

 舌打ちをしながら否定するが、しかし五十嵐は笑みを隠そうともせず揶揄うように言葉を続ける。


「はははっ、まあそんな照れずにさあ。別に嫌いってわけじゃないんでしょ?」

「まあ、嫌いではねぇけど」

「ならいいじゃない」


 良くねえよ。どういう理論理屈の方程式なんだ。


「そもそも俺は別にそいつの事が好きじゃねえんだ。なのに付き合うだのなんだの、ありえねえだろ」

「……うーん、柊って潔癖症? 初めての性行為は結婚の後じゃないと許せないタイプの人種かな?」

「しばくぞコラ」


 別にそこまで純粋なわけじゃない。

 好きあう相手がいれば、身体を重ねたくもなるだろうさ。


 だが待ってほしい。

 って感情が無いなら話は別だろう。

 お互いの好意をより深める行為が、その営みなのだから。


 相手を良く知って、自分の全てをさらけ出して、その果てにお互いを好きになるものじゃないのか。

 その手段として付き合ったり身体を重ねたりするのは――それは、何というか順序があべこべだ。


「うーん……柊は考え込みすぎるタイプだねえ」


 だから、俺はそんな五十嵐の言葉にも首を傾げざるを得ない。

 俺には分からないんだ。

 本当の意味での好きって何なのか。肉欲や即物的なそれを超越した、正しい意味での好意。

それはどうすれば心に宿るのかが。


「でででっ、このあとあたしたち映画見に行くんですよ。良かったらお二人もどうっすかねと聞いてみたり!」

「映画ァ?」

「イチも知ってるでしょ? ほら、あの怪獣映画。リブート作のやつ!」

「ふむ、話題になっているからね。いくら世間知らずでぼっちで斜に構えた人生を営んでいる一宮クンでも確かに知っていそうだ」

「おーし帰るわ。じゃあな二階堂、二度と会うことは無いだろうぜ」

「冗談を流す器くらい備えてなよ、柊……」


 立ち上がった俺の肩を五十嵐が掴み、ぐぐぐっと席に戻す。

 せめてもの抵抗にぎろりと下手人を睨んでみたが、しかし彼女は舌を出して笑うだけだった。


「で、どうすんのイチ? そして二階堂さん」

「他人行儀はやめておくれよ。未央でいい」

「あ、ホントに? じゃあ未央ちゃんで」


 距離の詰め方が爆速だった。一応四条は一学年下の筈なのだが、あまりそれを感じさせないのはそのがっつくような態度が原因か。


「時にどうする一宮クン。ボクは映画でも構わないけど」

「俺が構う。怪獣映画なんて見てられっか」

「およ、イチって特撮アンチだったりすんの?」

「そういうんじゃねえよ。そういうんじゃねえけど……」


 そこまで言って、言葉に詰まる。

 どう説明をすればいいのか。いや、そもそも説明なんてする気が無いのか。

 喉元にまですら出てこない言葉を代弁したのは、訳知り顔の二階堂だった。


「悪いねお二方。彼は映画館の大音響を聞くと蕁麻疹を起こす悲しい体質なんだ。ましてそれが怪獣映画の大迫力ボリュームとなると……ああ、考えただけでも恐ろしい!」


 わざとらしく身体を抱いて震えるジェスチャーをする馬鹿女一人。

 流石の二人も冗談だとは気づいているが、併せて遠回しな遠慮という事にも理解が及んだらしい。


「おっけーおっけー、じゃああたしたちで楽しんでくるね」


 言葉と共に五十嵐と四条が立ち上がる。

 両手に持ったお盆のラーメンはどちらも空だった。スープまで飲んだのかよこいつら。知らねえぞ病気になっても。


「ああ、ところで今後は文芸部に二階堂さんが顔を出すんだよね?」

「うん、来週の月曜日から」

「じゃー久々にあたしたちも顔を出そっかな。ねえ五十嵐?」

「僕はどっちでもいいんだけど、まあサボって遊びに行くのも食傷気味だったしねえ」


 二人がサボり始めた理由は言うまでも無く付き合い始めたから。

 だがそれはきっかけに過ぎない。


 まあ話は単純だ。

 部長が来なければ部室にいるのは俺と五十嵐と四条の三人だけ。

 こいつらがイチャイチャし始めたら俺はたった一人でその空間に佇むこととなる。

 俺は全く、全く気にはしないのだが二人が遠慮をしたのだろう。気まずい空気になる事を事前に避けた、というわけだ。


 しかし二階堂が来れば四人。『はい二人組作って』が即死呪文ではなくなる。


「というわけで僕たちはこれで。また来週」


 器用にもお盆を持ちながら小さく手を振り、二人が立ち去っていく。

 

 来週、か。

 今からでは全く予想もつかない事だが、今後文芸部はどうなっていくのだろうか。

 天才小説家の仮入部。それがもたらす変化を、俺は二人の背を眺めながら薄ぼんやりと想像していた。

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