第12話 「デートをしようぜ」

 そう、知らない。

 やはり俺は二階堂未央にかいどうみおとかいう小説家同級生の事をまるで知らない。

 

 は置いておくとしても、そもそも趣味趣向やプライベートの素行すら分からないのは問題だろう。

 彼我の情報差を考えてみるといい。こっちは性癖すらバレていて、あっちは秘密のヴェールに包まれているなんて不公平だ。

 そして何より、このままでは能三のうみ先輩の期待に沿う事ができない。

 

 想像してみよう。


『じゃあ一宮さん。二階堂さんを入部させる前に知っておきたいんだけど……あの子ってどんな子なの?』

『それが――俺にはさっぱり分からないんです‼』


 解散だ、解散。

 その場の空気が凍り付き、先輩の視線が冷え込むことは間違いない。

 名目上とはいえデートに誘ってもらえた以上、そんな悲しい末路だけは避けたかった。


 つまり。

 俺は早急に、知る必要がある。

 二階堂未央。俺を好いているブラックボックスの少女の事を。



 朝。

 散らばったゴミ部屋の中で目を覚まし、諸々の支度を済ます。

 朝食は取らない。一食抜いたとて死にはしないのだから、その時間を睡眠に回した方が良いに決まっている。


 荷物をカバンにしまい、扉を開けた。

 快晴。天から降り注ぐ眩い光がどうしようもなく鬱陶しい。

 とはいえ雨は面倒なので、程よく曇ってくれないか――などと考えながら外付けの階段を降りる。


 そして、そいつはその先でいつものように待っていた。


「や」

「……ご苦労なこって」


 小さく手を振ってこちらに笑みを向けるのは、言うまでも無くくだんの小説家だった。流石はストーカー予備軍だ。

 小柄な体とショートヘア。見ようによっては中学生男子とも間違われそうなその女は、数か月前からこうして俺の家の前で出待ちをするようになっていた。


 始めは全力で拒否したのを覚えている。不快感が半端なかったし。

 それでも通い詰められる内に慣れてしまうのだから、人間の適応能力ってのは素晴らしく憎らしい。


 とととっ、とこちらに小走りで近づいてきて、俺の横に立った。


「今朝は早いね。何か用事でもあったのかい?」


 二階堂は俺の肩より少し下くらいの身長だ。

 くりくりとした瞳が上目遣いで俺を見る。


 ……くそ、中身はなのに外身はなあ。


「別に何でもねえよ。気分だ、気分」

「ふぅん?」


 高まった体温を悟られぬよう、俺は適当に返答し目を逸らす。

 目を逸らして――はっとした。


 違うだろ。

 俺が火急速やかに行うべきは、二階堂未央という女子を知る事だ。

 さもなくば日曜のデートがお通夜ムード一直線だ。それは避けねばなるまい。


「……………………」


 じっ、と二階堂の顔を見返してみる。

 整った顔立ちだ。顔のパーツ一つ一つが、お互いを邪魔していないというのか。

 穢れを知らないようなその瞳の向こう側に、俺が映っていた。


「ど、わっ、へ? な、何をそんなにジロジロとぉ⁉」

「…………ふむ」


 悔しい。

 悔しい、が。認めねばなるまい。

 やはり彼女は美少女だ。能三先輩と人気で肩を並べるのが理解できるほどに、可愛いのだ。


「なあ」

「ひゃい⁉」

「なぜ叫ぶ。なぜわたわたしている」

「むっ、無茶を言うなよぉ‼ いつもと違うパターンで来られたら驚くだろう⁉」


 忙しなく手をあちこちへ動かしながら、小動物のように暴れまわっている。顔が真っ赤だ。

 なにやら珍しく一人で舞い上がっている二階堂に対し、俺は問いかけてみる。


「お前、何が好きなの?」

「一宮柊」


 即答だった。

 先ほどまでの慌てようが嘘のような、即答だった。


 ……いや、そうじゃなくてだな。


「違う。野球観戦とか競馬とか。あるいは寿司や焼き肉とか。俺はそういう大衆普遍的なものの話をしている」

「あ、ああー。なるほど……なるほど?」


 なるほどと言いながら首を傾げるな。

 納得したのか納得してないのかどっちなんだよ。


「えっ、と。どういう風の吹き回しかな? や、ボクの事を知ろうとしてくれるのは嬉しいけどさ、これまで組み立ててきた一宮クン行動パターン表が音を立てて崩れ去っていくのは複雑な気分と言いますか」

「砕け散れそんなおぞましい表なんざァ‼」

「砕け散っているんだよ現在進行形で‼ ……で、なんだっけ」

「好きなもの」

「一宮柊。……いやごめん流石にネタだから睨むのはやめておくれよぉ‼」


 分かればよろしい。

 さあ、俺と能三先輩のデートを成功させるためにキリキリ吐け。


「うーん、そうだなあ。好きなもの、ねえ」

「ものじゃなくてもいいぞ。ゲームとか、スポーツとか」

「そうなるとやっぱり読書……というか、文字に触れることかなあ」

「けっ、普通過ぎてつまんねえ」

「酷いなあっ⁉」


 隣を歩いていた二階堂が憤慨するようにこちらに吼えた。

 いやだって、小説家が読書好きなんて予想できるだろう。俺が欲しいのはもっと意外性のある情報だ。

 こう、それを知っている事で二階堂未央を理解しているんだなと、そう能三先輩に思わせるくらいのとっておきが欲しい。


「えぇ……読書以外の趣味とか好きなもの? うーん、うーーーーーーーーん…………」


 ……こいつ。


「趣味ないの?」

「改めて聞かれると難しいんだよこういうのは。目に映ったものはとりあえず触れてきたからね」


 そういって彼女は親指と人差し指を顎に当てて、延々と唸っていた。

 そして地面にじっと視線を向けつつ歩く。歩き続ける。


「オイ、危ねえぞ」

「っと失礼」


 こうなるとコイツは前後左右全てが見えなくなる。

 当然のように赤信号に突っ込もうとしていたので、腕を抑えて取り押さえた。

 華奢な腕だ。強く握れば折れてしまうのではないだろうか?

 ともかく手放す。延々と掴んでいたら学校でどんな噂を流されるか分かったもんじゃない。


「……おやおや、照れちゃった?」

「感謝の言葉より先にそれが出てくんのか」

「ごめんって。そしてありがとう」


 すっかりと慣れ切ってしまったやり取り。

 それらを挟みつつも、気が付けば俺たちの足は高校の敷地を踏んでいた。


 教室に入り、席に座ってもなお。

 二階堂は延々と俺から受けた問いに頭を悩ませていた。


「ううむ、好きな物ねえ……」


 ……元々は二階堂未央を知る為の質問。


 その第一段階である『好きな物』を聞き出すのですら、こんなにも時間がかかる。

 どうやら、ただ単に質問するだけじゃない別の手段を考える必要がありそうだ。


 嘆息し、横目でちんまい少女を眺めながら出した結論はそれだった。

 だがどうする。

 別の手段と言っても精々取れるのはコイツの書いた作品を読む程度だが、それはもう既に能三のうみ先輩が実践済みだろう。


 二階堂の女友達に話を聞いてみるか?

 ありえない。ただでさえ孤立気味の俺が急に女子と絡み始めたら、もうそれは大変なことになるのが目に見えている。


「……んぅ? なんだい、こっちを見て」

「別に何でもねえ……あー……」


 そんな折だった。


 ふと、脳裏に浮かんだ。

 二階堂未央を知る為の最も手っ取り早い手段を。


「…………」


 流石に過剰と言うか、突拍子が無いだろうか。

 いや、けど元々俺は人間関係の構築がてんでダメな人間だ。

 順序立ててだとか、そんな行儀の良い手段を取れるほど利口じゃない。

 それに相手はあの二階堂未央だ。なら、多少一線を踏み越えたところで許されるだろう。


 だから、言った。


「なあ、お前次の土曜日空いてるか?」

「へ? んー、まあ空いてるかなあ。けど、なんで」


 首を傾げる少年のような少女。

 その純度の高い透き通った瞳を真正面から見つめ、粗雑に言い放つ。

 

 言葉の運びと展開は、奇しくも昨日先輩としたやり取りと酷似していた。


「遊びに行こうぜ。つまりは、まあ、デートってやつだ」

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