第11話 『好き』という気持ちは
放心と言えばいいのだろうか。
魂の抜けたような感情のまま時間が過ぎてゆき、気が付けばその日の学校が終わっていた。
ふらふら、ほわほわと浮ついた足取りで帰宅した際の記憶すら
俺が、というより一宮家が澄んでいるのは何の変哲もないアパートだ。
学校から歩いて十分前後。三階建てのその建物は、最新の耐震基準が制定された直後に建てられたものだ。
つまり築二十年前後。
途中で改築もあったのか決してオンボロではないが、白い壁面は所々黒ずんでおり、まあキレイとはお世辞にも言えない。中途半端だ。
その建物の二階。ど真ん中こそ、一宮家の二人が住む我が家である。
――そう、二人だ。
扉を開ける。
狭く短い廊下を抜けると、どうにも生活感の無い部屋が広がっている。
無論、人の気配はない。俺の父親は仕事、出張中だからだ。
男手一つで子供を育てるというのは、存外に大変らしい。
「ただいま」
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、棚の上に雑におかれた写真に挨拶をする。
写っているのは色素の薄い、今にも消え入りそうな印象の女性。
手足も身体もやたら細く、しっかり食っていたんだろうかと心配になるが、父さん曰くそれなりに元気であったらしい。
さて、実際はどうだったろうと十年強ほど前の記憶を辿ろうとして、やめた。
死者の墓を暴いたところで、見つけられるのは虚しさだけだ。
そもそも、俺は過去に囚われている場合じゃない。
一宮柊は死者ではなく生者であり、そして現在を生きる存在なのだから。
写真の女性を一瞥し、俺はベッドにダイブしてスマホの電源を入れた。
灯った画面。メッセージアプリの中に、その名前がある。
――『
「~~~~~~っっっ‼‼」
我慢できずにベッドの上で悶えた。
右へ転がり、左へ転がり、数回その場で跳ねたところで上の階からズドンと音がした。
うるせえよ。こっちはそれどころじゃねえんだ。
「マジか……マジかぁ……」
壁にもたれかけ、座っているベッドの表面を撫でつつ俺は感慨に浸っていた。
だってそうだろう。
あの能三先輩の連絡先だ。学校トップクラスの人気者、挑戦と玉砕の連鎖は数知れず、井原南における難攻不落の鉄壁要塞。
その牙城に、俺は手を掛けたのだ。
能三先輩を狙っている男子なんてこの学校には山ほどいるが、さてその何人が彼女の連絡先を知っているのか。
しかも、しかもだ。
――『今週の日曜日にさ、デートをしよっか。私と、一宮さんで』
床を叩きたくなる衝動を抑えつつ、俺はその場で強くこぶしを握った。
だって、デートだ。
それはもう、なんというか、付き合っているんじゃないか。
だってデートだし。デートだぞ?
と、連絡先を眺めながら感動にむせび泣いていたのはいいが、ここで一度冷静になってみよう。
すなわち、なぜ先輩は突然俺にデートを申し込んできたのか?
「……俺の事が好きだからだろう。間違いない」
ねぇよ、と心の中の冷静な部分が否定した。
スマホの電源を閉じ、がらんどうで生活感の無い部屋を眺めながら思考を巡らせる。
視界の端には、埃を被った筆や画材の山が転がっていた。
「……なら、捉え方が違う?」
一番ありそうな線だ。
悪意とかではなく、一緒に遊ぶことを冗談めかしてデートと言ったとか。
それにデートの意味だって様々だ。そもそも本来の意味は男女が時間を決めて遊ぶことを指すらしいし、先輩にとっては日常の延長線上なのかもしれない。
だが、そうなるとそもそもの問題に突き当たる。
なぜ俺と遊ぼうと思ったのか、という一点に。
そして、その解はあっけなく思いついた。
「二階堂の話かね。多分」
この学校で二階堂未央という少女の事を一番知っているのは、恐らく俺だ。
つまり先輩は部長として彼女を迎え入れる為に、まず二階堂という少女の事を知ろうとしているのではないか。
確かデートの話も、二階堂の話からの流れで決まったはずだ。
なるほど、筋が通っている。
……俺としては前者の考えを推したいのだが、その望みは薄いらしい。
先輩が俺の事を好いているはずがない。だってきっかけが無いし。
「――いや、そもそも」
ぱたん、と倒れて天井を見上げた。
先輩の言葉を思い出す。
――二階堂さんの事、嫌い?
――嫌いではないです。
――じゃあ、好き?
「…………」
そもそも、好きって本質的になんなんだろう。
俺はそこからしてよく分からなかった。
勿論能三先輩の事は憧れている。これはきっと、好きなんだろう。
だけど、その理由は?
顔が良い。スタイルが良い。胸が大きい。
そんなもんだ。そんな性欲の延長線上のそれを、好きと言っていいのか。
「……いいはずがねえだろ」
恋を投げて、愛を返したらそれは恋愛となる。
恋愛という箱に収まった二人はやがて結婚し、子供を作り、そしていつかは分からないが、死ぬ。
ちょうど、俺の父さんと母さんのように。
そんな大切なものの起こりが、その程度の理由でいいはずがない。
好きって気持ちはもっと高尚であるべきなんだ。
だからこそ、俺は二階堂未央が分からない。
内心で考えているのならともかく、理由も無く人を好きになった挙句に日常的に『好き』と真正面から好意をぶつけてくるなんて、そんなのアリなのだろうか。
「…………いや、待て。待てよ」
おかしい。
能三先輩の事を考えていたはずなのに、気が付いたら思考が変態小説家の方へシフトしていた。
レールを元の位置に戻す。とにかく、日曜日はデートだ。場所も決まってねえけど。
恐らく先輩は二階堂の人となりを俺から聞き出そうとしてくるのだろう。俺も出来る限り協力するつもりだ。
新入部員と現役部員の軋轢でコミュニティが崩壊なんて、笑えねえからな。
……まあ、元々崩壊してるようなもんだけど。
とりあえず質問と回答だ。
予想される質問を頭で考えつつ、その解答と言う手札を用意しておかねば。
そんな事を考えた折だった。
俺は、思い出した。
――二階堂未央という少女について、俺ですらロクに知らないという事に。
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