第10話 「デートをしよっか」
『二階堂さんの事、どう思う?』という、能三先輩の言葉が俺の頭の中でリフレインする。
始めは適当に誤魔化そうとした。
何せ、先輩のこういった質問は初めてじゃない。
二階堂に付きまとわれ始めた今年度の頭、ぽろっと先輩に愚痴を溢してしまったことがある。
それ以降こうして先輩は茶化すように何度か俺に問いかけてくるのだ。
それは所謂恋バナのような、中身のない話題提供のようなもので。
――だけど。
「……どう、ですか。いや、そう言われてもですね」
「適当でいいよ適当で。ほら、いつも通りにさ」
「…………はあ。いつも通りにですか」
今は、この瞬間は、違う気がした。
いや、先輩の態度に殆ど不審な点は無い。いつもより真剣な目をしているが、それでも日常会話の延長線上だ。
空気だって普通だ。独特の緊張感に包まれているということもない。
なら、これはつまり俺の心の問題なのだろう。
アンドルディスでの会話が頭を過ぎる。
彼女が提示した風景画という条件が脳に焼き付いて離れない。
俺は昨日まで、二階堂未央の事をなんだかんだでそこまで警戒していなかった。
あいつが何故俺を好きになったのかは知らないが、ただ、その好意の出力の仕方が直球なだけの普通の女子だと思っていた。
やたら俺に詳しい事もあったが、それも調べれば分かりそうなことばかりだ。
傘の件だって、ゲームの件だって、絶対に知り得ない――という事はない。
だけど、風景画の件は。俺の過去の件は。
これまで一度だって他人に洩らしたことが無いはずなんだ。
だってそれは俺にとってこれ以上ない秘部で、暴かれると困る傷なのだから。
それを何故か彼女は知っていて、それでいてどうやら俺をこの
意味が分からない。
いっそ悪意に満ちていた方が分かりやすいのに。
だから。
だから、だ。
「……よく分かんないヤツですよ。あいつは」
短い時間で考え抜いた末に口にしたのは、そんな変哲のない言葉だった。
「よく分かんないかあ。ねえ、それってどういう意味で?」
「どうって事もありません。本当に、真意がまるで掴めない。それを掴もうとしたら笑いながら一歩下がってその手をすり抜けるような、そんなヤツです」
「捉えどころのない子って言いたいのかな」
「はい。常に俺の一歩先から俺を見ているような、そんな感じの。見守られている……とは違いますね。けど監視されているってわけでもなくて。すいません、言葉にしにくいんですけど」
ふむ、と先輩は俺の言葉を受けて眉を細める。
窓の縁に手を添えて、彼女は空を見上げた。口を開いて、閉じて、また開いて――その動作は、言葉を形にするべきか迷っているようにも見えた。
「二階堂さんの事、嫌い?」
その細い目で俺を見据えて、先輩が最終的に口にしたのはそれだった。
嫌いかどうか。
それはつまり、二階堂と話していたり一緒にいる事が苦痛なのかどうかという問いだ。
そういう定義でいくのなら。
「嫌いではないです。気味の悪いヤツですけど、悪意が無いのは分かるので」
「じゃあ、好き?」
「好きでもないですよ。そんなんじゃないです」
そもそも、俺が今一番惹かれているのは眼前に立つあなたです――だなんて、そんなキザな言葉は言えないが。
ともかく、二階堂に対して好きという感情は無い。そりゃあ可愛いし、好意を向けてくれるのは多少嬉しいけれど、それだけだ。
それよりも何故か俺の過去を知っているというインパクトの方が強い。
総じて、無視できない存在という形容が正しいか。
「ふぅん、そっか」
それきり、先輩は沈黙してしまった。
妙な空気だ。居心地が悪くて、俺も先輩に倣い窓から空を見上げる。
昨日の大雨が嘘のように、今日は快晴だった。彼方まで広がる青空は眩しすぎて、吸い込まれてしまいそうになる。
曇りの方が、俺は好きだ。
「ねえ、一宮さん」
沈黙の果てに、声があった。
窓に向いていた身体をくるりと回し、先輩はこちらに向きなおる。
また、甘い香りが振りまかれた。どうしてこう、女子って良い匂いがするんだろう。
「なんでしょう」
「……日曜日、空いてるかな?」
「はあ。いえ、暇ですけど」
思わず反射的に答えた。
先輩はくすり、と笑う。そして、まるで言い訳をするような口調で言葉を続けた。
「昨日聞いたでしょ? ほら、恋愛事ってどんな感じなんだろうって」
「ああ。まあ、はい……」
部室で交わした会話だった。確か、五十嵐と四条の二人が話題に上がった際だったか。
適当な返事をしたのを覚えている。だって、ほら。俺だって恋愛事の経験なんざ無いし。
「じゃあさ、ちょっと試してみようよ」
「……はい?」
その日、その瞬間。
俺はまた初めて、先輩の新しい表情を見た。
口角をわずかに上げ、小悪魔のように笑うその表情は、大人びた先輩からは想像できないもので。
ギャップ、と言えばいいのか。身体の内側にある器官が、ドクリと脈打つのを感じた。
「今週の日曜日にさ、デートをしよっか。私と、一宮さんで」
「デート……はい。――はい⁉」
目を丸くしたのは俺だけじゃない。
周囲を歩いていた人や、教室で勉強していた人。それらが一斉にこちらを見る。
「なんっ、いや、はあ⁉」
長幼の序――という訳でもないが、そういったものすら忘れて俺は先輩に対して大きく声を上げる。
しかしその相手はくすくすと笑うだけ。
その様子は、まるで俺の反応を面白がっているようにすら見えた。
なんだ。
一体何が起きているんだ、これは。
「そういう事で、ほら。いい加減連絡先交換しておきましょう」
先輩に言われるがまま、俺はスマホを取り出して(無論、これも校則違反だ)先輩のスマホに表示されていたQRコードを読み取る。
「終わりっ、と。うーん、久々だなあ。誰かと連絡先交換したの。一宮さんは?」
「俺、もですね。基本使わないので」
なんてことない顔をする先輩に対して、俺はまともに言葉を紡げない。
唐突すぎる展開に目を回しながらも、スマホの画面を見る。
追加された。
追加されてしまった。
あの能三芽衣先輩の連絡先が。
「それじゃあ日曜日に。あ、あと二階堂さんの件も後で連絡するね」
言うだけ言って、やるだけやって、先輩は満足とばかりにその足を教室へと向ける。
俺は呆然としながら、何度も液晶に映る夢のようなそれと先輩の背中とを交互に眺めていた。
嵐のような出来事に理解が追い付かず、廊下の中央で口を開けながら。
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