第7話 テーブル越しの問答
カフェ・アンドルディスの店内は、落ち着いたレトロな内装だった。
それなりに広い。店員に案内されるまま、木目の床を歩く。壁紙は一面が真っ白でどこか清潔感がある。
だが中央にある、やたら存在感を主張しているコーナーが店の雰囲気から浮いていた。
「……喫茶店で水がセルフサービス。なんかサラダバーとかスープバーとかあるし」
「元々はファミレスみたいな感じだったんだよ、ココ。店長さんの趣味で喫茶店方向へ舵を切ったから、中途半端に文化が混ざってるみたい」
「行き当たりばったりだなオイ。やりたい放題じゃねえか」
「それで経営が上手くいっているんだから、まあ正解だったんじゃないかなあ」
「それもそうか。……そうなのか? いや、釈然とはしねえけど」
とはいえ全体的な雰囲気はかなり良い。
存外に落ち着けそうだと感心していると、隣で何故か二階堂が自慢げに笑みを浮かべていた。お前の店じゃねえだろうが。
案内された席は最奥のテーブル席。外が雨な事もあってか、客足はまばらだ。
荷物を置き、息をつく。
正面に二階堂が――というより、女子が座っていることに違和感を感じるのは、これまでの人生経験を考えれば仕方の無い事だろう。
「いいだろう、ここ。ボクのお気に入りなんだ」
「へえ。……メニュー表は」
「ああ、これだよこれ」
そう言って彼女は席の端にセットされた端末を指差す。
実に現代的な事に、この店では注文をタブレットで承るらしい。
人差し指で二階堂がそれをタップすると商品のメニューが表示されるのだが、その中に見覚えのある一品があった。
「ああ? これって……」
馬鹿みたいな量の生クリームにチョコレート。カロリーの爆弾みたいなそのパフェは一度見たら忘れないインパクトである。
脳裏に浮かぶのは我が文芸部の食いしん坊部長。つまりはそういうことだった。
「……食べるのかい? 中盤から味に飽きてきてしんどくなってくるからおすすめはしないけれど」
「何で頼んだことがあるんだよ……。いや、能三先輩がこれを食べたらしくてな。丁度昼に写真を見せられたよ」
「ああー、能三先輩。なるほどねぇ」
「なんだ。この話知ってたのか」
「そりゃあキミ、こんなものを完食したら噂にもなるでしょう。どころかこの喫茶店の常連からも認知されてるしね」
そりゃそうだ。
大方同行していたという四条辺りから話が広がっていったのだろう。話のネタとしてはインパクトが抜群だしな。
「ホント、あの身体のどこにあの量が入るんだろうねえ」
「だなあ……」
珍しく二階堂に同調した。
身長がそれなりに高くスタイルの良い能三先輩だが、それでも線は細い方だと思う。
胃のサイズだって相応だろうに。人体の摩訶不思議だ。
「…………」
「おや、どうしたんだい一宮クン。今日は雨って事もあって髪が跳ねてるからね、じっと見られるのは少し恥ずかしいんだけれど」
「言う程跳ねてるかァ? 別に気にならないけど」
「しっかり対策はしてるからね。けど万全じゃないからよく見るとダメな部分もあるさ。……そういうとこ、気付ける男になりなよ?」
「どこ目線だよ。お前は俺の何なんだよ」
「んー、将来を誓い合った仲かなあ」
「誓ってねえよ契約破棄」
「ああっ、酷いっ」
しっしっ、と手で払いながら乱雑に言い放つ。
言い放ちながらも思った。
せっかくこうして能動的に接触しているのなら、もう少し踏み込んだ方が良いか、と。
「やっぱ、アレか」
とはいえ特別真っ先に知りたい事も無い。
俺は喋りながらも質問を考え、適当に吐き出す。
「こういう所で書いたりすんのか、小説」
「んー? や、ボクはもっぱら自宅かな。外に出るのも面倒だしね」
……何てことないやり取りだったけれど。
こうして彼女の普段を知ろうとしたのは、あるいは初めてだったかもしれない。
少しずつだ。少しずつ知っていこう。
こいつを部活動に誘うのならば、今後より積極的に関わるのならば、人となりは理解しておかねばなるまい。
「大変だろ。いきなり有名になって」
「…………え、どうしたんだい今日は? その、何というかぐいぐいくるね?」
しまった。食い気味だったか?
いや、けどお互い様だ。そもそも二階堂の方が遠慮なく俺の方へと殴り掛かってくるのだし、俺たちの関係性はこんなもんだろう。
「ま、大変って程でもないさ。やりたい事をやってるだけだし」
「やりたい事、ねえ」
やりたい事をやって、お金と名声を得る。
……それは、純粋に立派だと思っていた。
俺たちは高校二年生。まだ未来の見通しすら立っていないヤツが大半なのに、俺の前で笑う短髪の少女は地に足付けて今を生きているのだから。
「ま、生憎と小説に興味は無いが」
「キッツいなあもう。まあ無理に読むこともない。何となく気になって手に取った人が読んで、ああ面白かったなと言ってくれればそれでいいからさ」
「そんなもんか」
「そんなもんさ」
言いながら二階堂はタブレットに表示されたパンケーキをタップする。俺も同じものを頼んで注文のボタンを押すと、しばらくお待ちくださいのポップアップが表示された。
一々店員とやり取りをしないで良いのは楽でいいな。
「ま、そんなノリで小説家やらせていただいております」
「ほお。……ま、凄いよなあ」
「凄い、かな?」
「やりたい事を仕事に出来るのは珍しいってよく言うだろ。そこは誇っていい事だと思うが」
これは本音だった。真正面から尊敬の念を伝えてみる。
好感触が返ってくるのかと思ったが、案外そうでもなく。
「どうだろうね」
と、彼女はどうにも曖昧な返事をした。
「…………」
――あるいは。
俺は初めて二階堂未央という少女の顔が曇る瞬間を見たような気がした。
俺へと突っかかってくる時は決して見せない表情。それが、ほんのわずかに能動的な接触を試みるだけでこうも簡単に浮かび上がってくる。
これまでの関係性がいかに浅いものだったのか、それが浮き彫りになるようだった。
「いや、実際ボクも分からないんだよ。伝えたい事があって書いているだけで、それが好きでやっている事なのかは、全く」
「伝えたい事……?」
「そうだよ。伝えたい事、だ」
そこで、彼女は。
なぜか俺の顔をまじまじと見ていた。
いや……違う、のか?
俺の奥か、あるいは向こう側か。その眼は、俺を通して何かを見ているかのようで。
そこで、二階堂は両手を合わせてぱんっ、と乾いた破裂音を響かせる。
「やめやめっ。それよりほら、一宮クンの話をしようよ」
「……話すこともねえだろう」
「いやいや、あるだろう。例えばキミが先月買ったゲームの話とか。メインヒロインのおっぱいがおっきいやつ」
「テメエどうやってそれを――ッ⁉」
「へへへっ、ボクに隠し事は出来ないと思った方がいいぜキミぃ」
こいつは時々こういう所から油断ならない。
どこからか俺の趣味趣向等を仕入れてきて、俺の解像度とやらを勝手に上げてくる所のような、ストーカー染みた部分があるからこそ、好意をぶつけられても手放しで喜べない。
何なんだよコイツは。
「うーん、やはり一宮クンは胸の大きい女性の方が好みなのかな。そうなるとボクはご期待に沿えないわけだけど」
ぽすん、と自分の胸に手を当てて彼女はため息を吐く。
まあ確かに色気は無い。そもそも顔が少女と言うより少年って感じだから、胸が無い方が似合っているとすら言えるかもしれない。
悲しい話だ。
「沿わんでいい。そもそも胸にそこまでの執着はねえよ」
「えー、男の子っておっぱいに命を賭けるものでしょう」
「テメエの男子像は何なんだよ。んなワケあるか人の魅力は胸だけじゃねえ」
「けど能三先輩のスタイルは?」
「……最高だな!」
「キメ顔でいうことじゃないね。まあ、そういう欲望に忠実な所も好きだよ」
さらっと『好き』とか言いやがる。
本当に訳が分からない。コイツと出会ってからの半年間。碌にイベントすら発生していないって言うのに、どうして惚れたんだ。
いっそ長期的なドッキリと言ってくれた方が理解できる。
――じゃあ、聞けばいいんじゃないか?
「……注文、来たぞ」
脳裏に浮かんだ考えを実行することは無く。
俺は誤魔化すように口を開いていた。
ついに現代の飲食店は接客と言う概念を放棄したらしい。
注文したパンケーキを運んできたのは、三段の棚を備えた妙な形のロボットだ。棚から商品を取り出して、額にあるセンサーに触れる。
機械音声の感謝の言葉と共に、それは店の奥へと消えていった。
温かみってもんがない。
「あ、飲み物注文するの忘れた」
「ひとまず水でいいだろ。取って来るからその間に注文しておけ」
「おっと優しい。未央ちゃんポイント一プラスだね。で、何を頼む?」
「今すぐ百ポイントほどマイナスしておいてくれ。オレンジジュースで」
「コーヒー飲めない人?」
「気分じゃねえだけだよ」
そう言って席を立つ。
店に入った時に確認した通り、水はセルフサービスであり、店中央にコップと一緒にサーバーが設置されていた。
やはり喫茶店と言うよりファミレス感が凄い。今からでも店のジャンルを元に戻した方が良いんじゃないだろうか。
ともかく容器をセッティングし、ボタンを押す。水が流れている間、ちらりと外を見た。
酷い雨だ。昼間はあれだけの快晴だったのに。ゲリラ豪雨、ってやつだろうか。
席に戻り水をテーブルに置く。
律儀にも二階堂はパンケーキに手を付けず待っていたらしい。二人して手を合わせ、それに手を付け始めた。
――やはり、不思議な気分だった。
これまで二階堂との関係は基本的に学校行事の中での、閉じられていたものだった。
その上、されるがままというか、彼女が押しかけて来るのを俺があしらうような、そんなお決まりの流れが出来ていたのだ。
それが、たった一日であっけなく崩れつつある。
良い事なのか、悪い事なのかは分からないが。
ナイフでパンケーキを切り分けて、フォークで刺して口へと運ぶ。
ふわふわとした生地が、さながら口の中で溶けるかのようだった。
「美味いな」
「そりゃ良かった。紹介した甲斐があったってもんだよ」
にこりと笑う二階堂は、やはり可愛い。
こいつの意味不明な距離感とか、やたら尊大な肩書はさておいて、やっぱりこのボーイッシュな少女は可愛いのだ。
想像してみた。
もしも彼女を部活動に誘えば、きっとそれはそれは楽しいだろう。
だけど。
彼女の事を詳しく知った時、俺は彼女のことをどう思うのだろうか。
誰もが扱える機械学習システムが、その全容を知ると法律スレスレの危険なものであるように。
二階堂未央という少女と関わっていけば、その裏側だって知る事になるのか。
俺の事を好いているのは何故なのか。それを知った時、俺たちの関係性はどうなるのか。
友人でも恋人でもないような、この奇妙な関係性は。
分かっている。
一歩が怖いだけだ。
残念なことに、俺は人間関係というものに詳しくない。
能三先輩とはただの先輩後輩の仲だし、五十嵐や四条とだってプライベートで遊んだことは無い。クラスの中にだって、まともに世間話をするような相手はいない。
必要ないと、そう思ったからだ。
そんな中で、二階堂未央という少女だけが俺に声を掛けていた。
自らの選択で孤立していた俺に、鬱陶しいくらいに近づいてきてくれていたんだ。
……縋ってみるのもいいかもしれない。
もしもそれが毒ならば、吐き出せばいいのだし。
あるいは、毒を毒だと知ったまま喰らいつくしているのだっていいかもしれない。
ああ、そうか。
どうやら俺は最初から、ある程度答えを決めていたらしい。
二階堂未央。
彼女が文芸部に入ったら、一緒に何かを成し遂げようとするのなら、それはきっと楽しいのだろうから。
だから。
「二階堂。提案と言うか、話があるんだが」
「部活動の事だね」
「――――」
言葉を先回りされ、息が止まった。
相変わらず、コイツは。
「本題はそちらだろう?」
「……喫茶店に誘ったのは知っていたからか」
「まあね。勘違いしないで欲しいんだけど、盗聴とかじゃないよ? 文芸部が活動していないのは知っていたし、仮に廃部寸前になるならボクに声がかかるのは既定路線だからさ」
「随分とまあ、自信過剰なんだな」
「それくらいの優良物件って自覚はあるよ」
そういってくすりと笑う二階堂の表情は、どこか艶やかだった。
少年のような無垢な顔の内側に、何かヴェールに覆われたものが潜んでいるような、そんな想像をしてしまう。
だが、それは知っていた事だ。
知った上で、俺は踏み込もうとしているんだ。
だから。
「……お願いがある。文芸部に入部してくれ」
テーブル越し。懇願に限りなく近いその言葉。
対して、少女は。
「いいだろう。ただし、条件がある」
――と、僅かに口角を歪めながらそう宣言した。
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