第5話 変化の予兆は
正直な話、ある程度覚悟はしていた。
していた、が。
それでも衝撃的な話でもあったのは確かだ。
「……急っすね。分かりますけど」
当然だが部活動の運営費というのはタダじゃない。
グループが存在する。ただそれだけでも金はかかるらしい。
である以上、実績と言うか、活動している体は保たねばならないのが道理だ。
その理屈でいくと、井原南文芸部はてんでダメだった。
先輩は言いにくそうに頭をぽりぽりと掻きながら、俺と目を合わせないようにしつつ言葉を続ける。
「去年は人数もそれなりにいたし、数人がコンクールに作品出したりしてたんだけどね。ほら、今年は」
「……すいません」
「ああ、違うのっ。一宮さんを責めている訳じゃなくて!」
そうは言っても、だ。
原因はどう考えても俺を始めとした先輩以外の現役部員にある。
代が入れ替わってかれこれ半年。まるで部活動としての活動実績が無いのは、言うまでもなく俺を含めた一、二年の部員に意欲がないからだ。
同学年の
数回あったコンクールなども全スルーで、もう既に部活動としてはさほど機能していなかった。
そりゃあ廃部になってもおかしくない。
「一応勘違いはしないで欲しいんだけど、確定ってわけじゃないの。実績と言うか、こう……学校側に活動してますよってのを示せればいいんだから」
「活動を示す、ですか」
「そうそう。『あーこいつらも頑張ってるんだなあ』って思われる程度で良いの」
そう先輩は告げるが、さてそんな簡単な事ですら可能かどうか。
これは大前提だが。
先輩にお近づきになりたいという下世話な理由で入った俺は、文学にまるで興味がない。
そして残り二人も恋愛優先で部活のやる気ゼロとなれば、これはもう詰みではないだろうか。セコンドのタオルが待たれる。
「少なくとも」
能三先輩の凛とした声が響く。
狭い部屋に二人きり。だけど突然の出来事に劣情のれの字すら感じられなくなっていた。
どうやら俺は、それなりにショックを受けているらしい。
……ショックを受けているのか、俺。
「三学期の末までに、だね。それまでに何らかの形で学校側に『文芸部が活動している』という事を示さないといけない」
「言葉だけ聞くと最低限って感じですね」
「うんうん、そんな感じ。コンクールで入賞しろだとか、文化祭でメインを張れだとか、そういう話じゃないみたい」
要は、ケツを叩かれているという事だろう。
流石にこれ以上サボってたら廃部にするけど、どうする? みたいな感じで。
いやはやごもっともだ。何一つとして間違っていなくて涙が出る。
「……こういう事を言うのは恥知らずだと思いますが、先輩は手伝ったりできないんですか?」
「残念ながらね。ほら、廃部になるのは来年でしょう? 現二年生が来年にしっかり活動できるか、というのを注視しているらしくて」
そりゃそうか。
おんぶにだっこ、とはいかないらしい。
……まいったなあ、そうなるといよいよ廃部コースだ。
無論、別に無理に部活動へ籍を入れる必要は無い。
そもそも何もしないでも今年いっぱいは保つのだ。当初の目的であった能三先輩とお近づきになるという目的は達せられる。
だが、その後は?
今更他の部活動に入れるわけもない。となると帰宅部となる訳だが、それもなんだか寂しいというか、格好がつかない。
「……とりあえず、五十嵐たちにも回しておきますよ」
「ん、お願いね。私はこの後用事があるからさ」
そう言って先輩は荷物を手早くまとめる。席を立ち、俺の前を通り過ぎる瞬間、フローラルな、蕩けるような甘い匂いが広がった。
がららっ、と部屋の扉が開けられる。
小さく手を振りながら出ていく先輩を見送って、その後には俺一人が残された。
「廃部、ねえ……」
実感が湧かない。
なんとなく、自分の所属しているコミュニティは何もせずとも維持されるものだと思っていた。
壊れないよう、保たれるよう見えない力が働いていて、いざという時は助けてくれるのだと。
そんな楽観視が、突如として崩れ去った。
この場所が壊れようとしている。約一年半居続けた、文芸部という居場所が。
……まあ、けど。
悲壮感があるかと言われれば、正直な話まるでない。
無論ショックはあるが、これは予定調和だから。
なるようになったというか。壊れるべくして壊れたというか。
部室に真面目に来るのが俺だけになった時点で、そりゃあこうなるってもんだろう。
何一つとしておかしなところのない、当然の結末。
――だけど、なあ……。
悲壮感は無い。悲しいなんて微塵も思えない。
それでもどこか寂しいと感じてしまうのは、未練なのだろうか。
思い出が一つたりとも無いような居場所に対しても、どうやら人は感慨に浸ることができるらしい。
それが少しだけ不思議だった。
「まあ、なるようになるか」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
考えていても始まらない。何か事を起こすにしても、このまま自然消滅を受け入れるにしても、とりあえずは部員全員に情報共有をしてからだろう。
スマホを取り出す。校則違反だが気にしない。一々ルールを気にするほど誠実な人間なんかじゃないし。
通話アプリで『
手に持った端末の向こうから、声が聞こえてきた。
『なあデート中なんだけどぉ⁉』
「うるせえ!」
反射的にスマホから顔を遠ざけた。耳元で炸裂した音が残響し、脳にまで響く。
やたらガミガミとうるさい通話相手に辟易としたので、スマホを耳から離して言いたい放題言わせること二十秒。
そろそろ頃合いとみて再度耳元に端末を当てた。
「本題なんだが」
『さっきまでの話聞いてた? ……で、何さ』
ようやく本題。
俺はクイズ番組の正解発表のように目一杯の間をおいて、口を開く。
「――文芸部、廃部になるってさ」
『あー……』
俺の言葉を受けた五十嵐は、何かを考えるようにそう相槌を打ち、
『ま、そりゃそうかって感じでしょ。真面目に取り組んでるヤツなんて一人もいないしさ』
――と、結局はそう結論付けた。
分かってはいたが、あっけらかんとした答えだった。
俺と同じだ。まるで悲壮感がねえ。
「開き直りやがって」
『お互い様でしょ』
……まあ、その通りだ。
俺はあくまで部室に顔を出しているだけ。
本を読むのも珍しいし、書くだなんて以ての外。
堂々とサボっている五十嵐たちの方がまだ賢いだろう。結局、俺とこいつに大差はないのだ。
「……どーにか廃部避けられねえかな」
『何? 文芸部続けたいの?』
スマホの向こう側から意外そうな声が響く。
どうやら五十嵐はどこか人の賑わう場所にいるのか、後ろからは喧騒が聞こえてくる。隣から聞こえてくる高い声は彼女である四条のものか。
そんな騒がしい背景の中でもはっきりと彼の声が聞き取れるのは、ひとえに五十嵐の声が一般的な男子より高く通りが良いからだろう。
「続けたい、というか。どっちかって言うと帰宅部を避けたい。なんか肩書に箔が付かねえ」
『世間体を気にしすぎな気もするけど……。ま、続けたいなら続ければいいじゃない』
それが出来れば苦労はしないんだよバカ野郎。恋愛の過剰摂取で脳が溶けたのか。
内心でそんな悪態をつくが、存外に五十嵐は考えがあったようで。
『
「だよ。別に賞を取れだとかそういう難しい話じゃないんだと」
『じゃあ簡単だ。あの人を入部させればいい』
……………………。
猛烈に嫌な予感がした。いや、これはもう確信と言ってもいいだろう。
何故なら、その考えは俺の頭にも過ぎったのだから。
なんなら真っ先にだ。
『二階堂さん。彼女は柊の事が好きなんでしょ? 確か部活動には入ってなかったろうし、誘えば来てくれるんじゃないかなあ』
二階堂未央。現在進行形で実績を残している小説家。
なるほど。確かに彼女が文芸部に入れば安泰だろう。学校側がこの部活を廃部にする理由がなくなるどころか、むしろ宣伝にすら使うかもしれない。
だけど。だけど、だ。
「知ってるだろ。俺と二階堂の関係」
『好いてくれる女子と、気持ちに応えようとしない男子』
「分かってねえなあ。理由なく迫られる俺の気持ちにもなれって」
『いいじゃない可愛ければ。満更でもないでしょ』
「そりゃ――っ、そう……だけど」
言い淀む。確かに今となっては不安より喜びの方が大きい。あれだけの美少女に言い寄られることが嬉しくないわけがないだろ。
五十嵐はそんな俺の様子を電話越しに感じ取ったのか、けらけらと笑う。
馬鹿にしやがって。
『とにかく。僕と四条は積極的に参加するつもりは無いし、やるなら柊が頑張りなよ』
「他人事だなあオイ。寂しいぜ部活動仲間として」
『そんな深い仲でもないでしょうに。じゃ、そろそろ僕は』
「ああ、悪かったな。一応四条にも回しておいてくれ」
それだけ伝えて通話を切った。
部屋の中が再度静寂に覆われる。だけど頭の中は騒がしかった。
ぐるぐると巡る五十嵐の案。
二階堂未央を誘う? 文芸部に?
それは、どうなのだろう。
これまで、アイツの方から俺にアプローチしてくる事は度々あった。
鬱陶しい位に絡んできたり、俺の個人的な趣味趣向を何故か把握していたり、受動的な関係性は枚挙に暇がない。
だが今回はそれとは違う。俺の方から声を掛けることになる。
つまるところそれは変化だ。
受動的なそれではなく、能動的なもの。俺が二階堂未央という少女へと突っ込んでいくという明確な変化。
それは、確かに先ほど望んでいた事だ。二人の関係性を変えるためのスイッチのようなそれだ。
つまり、変わるんじゃないだろうか。
これまでの半年間で動かなかった関係性が、決定的に。
それが良い方に転ぶのか悪い方に転ぶのかは分からない。なぜなら、二階堂未央という少女はそのおおよそ全てがブラックボックスなのだから。
少し恐ろしい、と。そう感じるのも仕方ないだろう。
「……とりあえず、帰ろう。活動はしたって事で」
どうするのかは保留にして、俺が口から出したのはそんな言葉だ。
置いたばかりの荷物を抱え、帰宅の準備をする。
普段以上に、今は部活動に勤しむ気分ではなかった。
第二図書準備室を出る直前、妙な音に気付いた。
水滴が窓を叩く音だった。
曇り空から降り始めた雨は、次々と地面を濡らしていく。
傘を持ってきてないのに、どうすればいいのか――増えた課題に頭を悩ませながらも、玄関口へとつま先を向ける。
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