第3話 キャッチボールはできない
業後。クラス担当の教師が適当にあれこれ説明するホームルームも終わり、部活動の時間がやって来た。
むさくるしい筋肉の塊どもが我先にと駆けていく。随分とまあ士気が高い。いや、いい事だとは思うが。
俺も荷物をまとめて席を立つ。
隣から声があった。
「部活動かい?」
未だ座ったままの二階堂が、俺を見上げてそう言った。自然と上目遣いの状態となるが、まさかこれだけでドギマギするほど童貞臭くはない。
というか、だ。
こういうことを無意識か作為的にかは知らんがやり続けてくる女なので、流石に慣れた。
……慣れてしまった、と言い換えてもいい。
「知ってるだろ。俺は真面目なんだ」
「まあ確かに律儀な人ではある。それはよく知ってるよ」
やめろ。お前が『よく知ってる』なんて言うと若干怖いんだよ。
自然と苦虫を嚙み潰したような顔になっていたのか、二階堂は小悪魔のように「にししっ」と笑う。
わざとかよ、そのワードチョイス。
「けどさあ」
二階堂は小柄な体を机に預ける用に突っ伏して、首の動きだけでこちらを見上げる。
「聞くところによればまともに活動していないらしいじゃないか。ほら、最近は誰も来てないんだろう?」
「誰もってわけじゃない。部長はたまに来るし。ああ、ただ
「二人は?」
少しだけ考えに耽る。
今年の頭あたりに付き合い始めたカップル。
部活動を抜け出して、二人で、サボって、何をしているのか。
答えが出た。
「ま、しっぽりヤりあってんじゃねえの」
「ぶっ⁉ き、キミなぁ!」
がたん、と身体を揺らしながら彼女は吼えた。
何か耳元が真っ赤になっている。
「そういう表現はあんまりしない方がだねぇ‼」
「直接的な表現は避けただろ、うるせえな」
お互いガキじゃないんだ。色恋を覚えた男女が猿になることぐらい、そりゃあもう知ってるさ。
「てか、お前は小説家だろう。しかも恋愛モノの。書かねえのかよ、セックスの描写とか」
「直接的な表現を避けた意味っ!」
耳どころか顔を真っ赤にしながらツッコミを入れられた。
何をそんなに焦る事があるのか。今時コウノトリがどうのってわけでもあるまいし。
保健体育の教科書レベルの下ネタ程度で慌てている二階堂は、大きくため息をついて心頭滅却を試みていた。大袈裟な。
「……書かないよ」
不機嫌そうな視線でこちらを覗いていた。
「ボクのはもっとプラトニックな青春小説なんだ」
「ふぅん。けどそんな恋愛あんのか?」
「あるんじゃない? ボクは知らないけどね」
……いいのか、それで?
小説ってのは、もっとこう実体験を基に想像を膨らませて創作していくものじゃないのか。
いや、彼我の肩書を鑑みれば間違っているのが俺なのは明らかだけど。
コイツはそれで成功しているのだし。
「そりゃそうさ」
二階堂はくるりと人差し指を回す。
「ボクは恋愛というものをしたことがない。だからリアルな肉欲を表現できるはずもないだろう。書いているのは都合の良いファンタジーだよ、ファンタジー」
「…………俺は?」
「恋愛はキャッチボールだと言うのに、投げても返してくれないじゃないか」
そりゃそうか。一方的な恋慕をそうは呼ばない。
恋を投げて、愛を返す。
その行為をこそ、人は恋愛と呼ぶのだから。
「あーあ、誰かボクとキャッチボールしてくれないかなーっ。具体的には身長172センチで体重52キロで視力が平均して0.7で苗字に数字が入っている人がいいなーっ」
「どこ情報だよ詳しいな……。あと苗字に数字なら五十嵐のやつがいるけど」
「彼女持ちっ」
「じゃ、俺は部活動行くから。風邪ひくなよ」
「……いけずぅ」
いけずじゃねえ。
そりゃ確かに恋と愛のキャッチボールはいいさ。
誰かと好きあえたらどれだけ幸せか。
相手を抱いて、愛し合う事のなんと美しい事か。
だけど、それは互いを良く知っているからこそ成り立つものだろう。
俺は、二階堂未央という容姿端麗な天才小説家が何故、一宮柊というどこにでもいる平凡な男を好いているのか――それをまるで知らない。
彼女の投げるボールは、果たして本当に野球やソフト用のボールなのか?
手に取ったそれに時計と爆薬が付いている可能性だって捨てきれない。
だから、そのボールは手に取らない。
仮に取りたかったとしても、取れないんだ。
◇
鞄をぶら下げながら校舎を練り歩く。
昼食にも使用した文芸部の部室である第二図書準備室は、東校舎の四階最奥にある。
俺たち二年生が過ごすのが西校舎四階で、二つの棟を二階の連絡通路が繋げているため、移動にはそれなりに時間がかかる。
賑やかなグラウンドの音。それに対して校舎の中はやたらと静かだった。
少し前までは吹奏楽部が練習をしていたのだが、なんでも部活単位で感染症が流行って休止中との事。とはいえあと数日もすればまた騒がしくなるだろう。
演奏はまだしも、チューニングと言えばいいのか。単音を何度も鳴らすアレが耳に入ってくることを考えると憂鬱になる。
音楽室が近いのでまあまあうるさいのだ。
……これ以上なく、静かだった。
自分の足音、その反響が聞こえる位に。
そんな静寂の中に身を投じていると、どうしても想像が豊かになってしまう。
黒い短髪の髪。小柄な少年のような、無垢な顔が頭に浮かぶ。
――二階堂未央、か。
あいつは、一体何なのだろう。
初対面は今年度の頭。つまりは二年生へと進級した直後。
最初は精々何度か声を掛けられる程度だった。俺も満更ではなく、普通に会話していたのを覚えている。
それがある時からエスカレートして、気が付けばコレだ。
好意のぶつけ方は味付け薄めのメンヘラ風味だし、ストーカー染みた行動すら取ってくるのだから笑えない。
まあ別に。
ストーカーと言っても警察沙汰にするほどでもない。付きまとわれてはいるが、決してガチのプライベートを侵食しているわけでもなし。
勝手にやらせておけばいい、というのが少し前に出した結論だ。
だが。
俺は彼女の事をほとんど知らないという事が、少し気がかりではある。
今日のようにそれなりに仲良く話すし、一緒に昼食を食べることもある。
日常会話に花を咲かせるし、アイツは俺の普段を良く知っているだろう。
だけど俺は二階堂未央を知らない。
それなりに頭が良く、運動は苦手。そして天才小説家――これくらいしか手持ちの情報がない。
聞けばおおよその事は教えてくれる気もする……が。
俺は彼女の普段とも言うべきものを聞いたことが無かった。
それはなんというか、お互いの今の距離を踏み越える一手だと思ったから。
能動的に押しかけてくる二階堂と、受動的にそれをあしらう俺。その安定した関係性を。
さて。
ここで思考は原点に立ち返る。
つまり、俺にとって二階堂未央という少女は何なのか。俺は彼女の事をどう思っているのかという前提に。
……好きでは、ないのだと思う。
好意を向けてくれるのは嬉しい。それは間違いない。
だって二階堂未央は美少女だ。それこそ、何人もの生徒に告白されるくらいの。
だけど、だけどだ。
俺だって馬鹿じゃない。好きになった理由も好きな所もまるで語らず、ただ好意だけを向けてくる女。それを手放しで喜べるほど猿じゃなかった。
けど、それに惹かれているというか、興味があるのもまた事実で。
つまりこの行き詰まりを解消する手は一つ。
俺が、自分から彼女を知ろうとする事。
先ほど考えた、安定した関係性とやらを壊すそれこそが、あるいは俺に必要なものなのかもしれない、と。
――小説、読んでみるべきだろうか。二階堂未央を知る為に。
そんな事を考えながら、俺はようやく第二図書準備室に到着する。
ドアの引手に手を添えて力を込める。がららっ、という音と共に古めかしいその扉が開く。
そして。
「……ん、一宮さん。ごきげんよう」
鈴のような、透き通った声が耳に届いた。
部屋の中央。白い長机の上に本を広げて。
椅子の後ろに長い黒髪を這わせて。
にこやかに笑う
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