第11話 目撃者

「ビンさん、貴方は私に隠し事をしていましたね。」弁護人は休憩の間にビンと接触し、体制の立て直しを図る。

「…。」

答えないビンを見て悟った弁護人は、買春を認め金額に関して警察に偽りをしたと言うよう促した。「なぁに、買春など大した罪にもなりませんよ。問題は殺人罪です。私は貴方を無罪にしてみせます。安心してください。」

ビンには、弁護士のその言葉からくる自信が、ハッタリではなく確信のあるものに聴こえた。

 

審理が再び始まり、冒頭でビンは嘘をついたことを認めた。あっさり認めたビンに多少の不満を覚えながら検察は質問から引き下がった。


「さすがは弁護士。もがけばもがくほど、ぼろが出るってことを知ってるな。」剪芽梨は敵に拍手を送りたい気分でそう考えた後、再び検察側の質疑に注目した。しかし、今度は弁護側が証人を一人、審理に加えてきた。白猪しらいエイコという50歳のその女性を見て、剪芽梨の脳はその顔を思い出そうとしていた。

「どこかで見た…。」


「弁護人証人喚問を。」ビンの弁護人が立ち上がり、自信ありげに質問を始める。

「白猪エイコさん、貴女は宗蓮アパートに行ったことがありますか?」


その一言で剪芽梨は、腰が抜けるほどのショックを覚えた。「あの女性は確かタクシーの目撃者…。ま、まずい。」


「中に入ったことはありませんが、家が向かい側なので良く知っています。」

「事件の夜、何か見かけたことはありますか?」

「はい、男性と女性が寄り添いながらタクシーを降りアパートに入っていきました。」

「それは何時ぐらいですか?」

「はい、丁度見たいテレビドラマが終わって、外を見た時ですから23時半です。」

「女性はどんな人だったか覚えていますか?」

「はい、亡くなられた樋上さとこさんです。」

「その女性は確かに樋上さとこさんでしたか?」

「はい、さとこさんとは、アパートの前で話したこともありましたから。深夜に彼女が、待ち合わせで人を待っていて、私が生ごみを出しに行った帰りに、そこを通りかかって。外套一つで暗いし気をつけてくださいねって話し掛けたんです。そしたら彼女、気を使って頂いて有難う御座いますって言って笑顔を向けて…。」

「それでは男性の方は知ってる方でしたか?」

「いえ、あまり見かけたことがない方でした。」

「この法廷の中にその男性はいますか?」

白猪は、法廷内を二度見回しこう言った。「いえ、ここにはいません。」

審理が止まるほど傍聴席が喧騒に包まれる。

「静かに。」裁判長が急いで制した。

「以上です。」

弁護人は勝ち誇ったように検察官を目で追いながら着席した。

「検察官、何かありますか?」検察は無言のまま首を横に振った。


この目撃証言に関して、警察も捜査本部で把握はしていた。しかし、目撃証言であり、家の中から覗き見た程度だからと改めて捜査をやり直すまでには至らず、いつしかなかったこととして処理していたのだ。

剪芽梨は両手の握りこぶしを強く握り震える膝を抑えた。

「なぜ、情報が洩れてるんだ。」証拠集めは検察側が優位に行動できる。時間、権限、何よりも絶対的な信用。弁護側は、短時間で、人が敬遠する弁護士という立場でそれを行わなければならないとなると証言ほど難しいものはない。時間が経てば、人の記憶は風化してしまうのだ。

法廷内は、弁護側に優位な空気に包まれた。完全アウェーの雰囲気の中、検察側が次に出したカードはビンの財布だ。

財布と紙幣がプロジェクターでスクリーンに映し出され、それについての説明がなされる。

「ビンさん、これはあなたの財布ですか?」検察官の敵意ある詰問にビンが逡巡する。弁護士に顔を向け答えを求めた。弁護士は仕方ないと頷く。

「そうです。」ビンの日本語は的を得ている。

「裁判長、この財布の中にあった紙幣について説明したいと思います。」検察の呼びかけに紅木裁判長は、「検察官は簡潔に述べるように。」と時間短縮を促す。

「この財布から採取された指紋に関して、時間を追って調べたところ、一番新しいと思われる指紋DNAは、ビン・グォン・タン氏のものと判明しています。その鑑定結果からこの財布を最後に手にした人物はビン氏ということは確かだと思われます。また、財布に入った紙幣からも経時変化を踏まえた新しい指紋が検出されています。ビン氏の指紋と更に、もう一人、ある人物の指紋が精液残渣とともに見つかっています。それは、被害者である樋上さとこ氏のものです。詰まり、このビン氏の財布にある紙幣は被害者が手にしていた紙幣という事になります。」

法廷内は何かを悟ったようにざわめきが起こった。



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