第9話 大阪高裁

「お前が被害者を殺したと認めるんだな。」

「はい、衝動的というか、カッとなって気づいたら、彼女の首に手があって…。」

「記録したか?」

「出来ています。」

剪芽梨は、愛人との関係がばれ、妻とけんかの挙句絞殺した男の供述を引き出し、本日の業務を終えた。

そしてこれを最後に彼は現場を離れる。


ネット通信社女性社員強姦殺人事件での地裁敗北は警察内部を混乱させた。

人事の総入れ替えが行われ、蜷川畦三府警補佐官は、大分県警へと出向になった。

所謂、地方に飛ばされたというやつだ。

本州に留まれなかったのも、今回の事件の大きさを表しているだろう。

代わって、同等の立場となった剪芽梨は異例の抜擢であった。

これで、逃げることのできない、組織の一部となったわけである。


「剪芽梨府警本部長殿、お先に失礼致します。」若手刑事が次々と業務を終え帰宅の途に就く中、一人デスクで報告書の確認を行う剪芽梨の心中に帰来するのはいつも現場だった。。

「現場百回、靴を減らして刑事とす。先輩方に教わったことは彼らに伝わっただろうか?」

そう考えると、自分にはまだまだ、現場を離れることが早すぎる気がする剪芽梨だった。


一審判決から3年が経過した。事件は日本国民の意識から遠のき、風化しようとしていた。


2004年3月24日、大阪高裁二号法廷。


「問題は、一審で上げた証拠の確実性だ。検察は、何を積み上げるのか?」剪芽梨は、刑事を引退したその足で、この法廷の傍聴席に座っていた。


「剪芽梨本部長、お疲れ様でした。」

大阪府警を早期退職する際、新人の婦人警官からその言葉と花束を渡された。署内全員が剣道場に集まり、剪芽梨の送別会を行ったのだ。「お前を失いたくなかったよ。」と握手しながら言う大阪府警察署長である鮫島さめじま 剣一郎けんいちろうの目には明らかに涙が滲んでいた。そこにいる全ての警察署員が剪芽梨の人柄を慕いそして尊敬していた。涙ぐむ人間は署長以外にも多くいた。それでも剪芽梨は桜田門を去ることにブレはなかった。それは、彼が冤罪を生んだ責任者だったからだ。自戒という重みから解放されたかった。家族に辛く当たってしまう自らの心の迷いを取り払いたかった。それが理由だった。


「審理を始めます。」裁判長は紅木あかぎ 悳乃助とくのすけ

検察側から被告人質問に入る。

「事件現場となった宗蓮アパート301号室の鍵の所有者ですが、事件後、証言として、被害者のものではなく、貴方が所有していたといった事実を得ましたが、貴方は、鍵を所有していますか?」検察官の表情は至って冷静だ。

「被告人。」

紅木裁判長の歳を重ねた重みのある一言にビンが証言台に立つ。

「持っている。」と言ってまた席に戻った。

検察官が再び発言する。「それは、宗蓮アパートの鍵ですか?」

ビンは、裁判長に促され、再び証言台に立つが、今度は黙秘した。


「ふん、黙秘したか。鍵が自分のものだとわかればビンは黒に近くなる。」

剪芽梨は、この裁判に検察側が勝つことはないと思ってはいた。しかし、辞した立場になっても、かつて警察組織の人間として逮捕した以上、判決でも勝利して欲しかった。

幾つもの矛盾点があるとわかっていても…。


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