第6話 自白

その日、蜷川はビンを吐かせるに至らず一旦自宅へ帰すこととなった。蜷川の指示で、ビンには捜査員が張り付き一挙手一投足を監視する事になった。

「逃亡出来ないように、アパートのドアに張り付け。」

強引な指示命令に、捜査に当たる刑事等の動きは鈍い。行き過ぎ捜査という気持ちで悶々と不満が溜まっていった。

そこに新たな証拠が判明する。被害者の乳房周辺から、A型の唾液を検出。皮膚表面の状態から、事件当日に付着したものだと鑑識が伝えに来たのだ。捜査本部は混乱した。剪芽梨も慌てて捜査方針の再検討を再び蜷川に進言する為、大阪府警本部から警視庁に出向いていた蜷川の帰りを待った。

剪芽梨の元に、鑑識課、宏保ひろやすが来たのは、蜷川が警察庁から大阪府警に戻る15分前だった。

「実は、鑑定を続けてると、いくつもの物証が上がります。今回は、コートに被害者とは違うDNAが検出されました。」

「違うDNA?」

「はい、鑑定の結果、A型の血液と分かりました。」

「・・・。」剪芽梨に言葉はなかった。言えるはずがない。また出たのかといえば、捜査をやり直せと本部で指示しなければならなくなる。しかし、蜷川が戻るまでそれは出来ない。組織を裏切れるほど自分は強い立場ではないのだ。彼は、そう自分に言い聞かせ面目を保とうとした。

「剪芽梨さん、どうしました。」宏保の心配する声に返す顔もなく、剪芽梨は「分かった。報告は受けた。」そうトーンの低い声で下を向いた。

宏保は報告済みとなった為、捜査に関わる立場ではないと自認し鑑識課へ帰って行った。

残された剪芽梨本部長のやる事は一つだ。蜷川捜査主任である下の立場の者を待つ事だけだ。

「いいか、犯人はビンで間違いない。確たる証拠も積み上げた。逮捕に踏み切る!罪状は詐欺罪。取調べで殺人を白状させる。必ず落とせ!」蜷川は敢えて捜査員全体を集め、脅しまがいの指示を飛ばした。それをすることが一部の取調担当刑事にプレッシャーを与える事になる。引くに引けない状況に追い込み、何をしてでも犯人にゲロさせよう、そう取調官に思わせたかったのだ。

剪芽梨は、腕を組み、目を閉じ、微動だにしない。

捜査員全員が、絶対的グループリーダーの意志であると認識し服従心を表した。


蜷川が警察庁から戻って言った最初の言葉は「検察が味方に付いた。」だった。剪芽梨は、無意識に膝がガクつき、恐怖心が襲って来た。

「警察全体が、犯人では無い者を裁判にかける。俺も、その一人となる。」腹を括り、詰腹を覚悟した。

ビンは、母国マレーシアに逃亡しようとしたが、大阪空港ゲート前で確保された。抵抗し何人かの捜査員に怪我をさせたことで警察側に優位に事が進んだ。

取調は朝五時に始まり、夜中十一時過ぎ迄怒号が飛んでいた。休憩と称して経歴を何度も言わせる。ビンが間違えるたびに「経歴詐称」と罪をこじつけた。津母高刑事がマレーシアに飛び、既に素性の調べは終わっている。食事に飲み物を与えない。

「食事をちゃんと摂らしてるよな!」と嘲笑いを浮かべる時もあった。

ビンが喉の乾きで喋れなくなると、湯呑一杯の水を前に置き「上手いぞ。」と白状を促した。

それが一ヶ月続いたある日陥落した。「私が遣りました。」とビンがカサカサの唇を動かしたのだ。取調室のテーブル中央にあるICレコーダーを取調官が止めた。終わりの合図だった。

マジックミラー越しに見守っていた蜷川は笑い、剪芽梨は表情を硬くした。蜷川の手前、表情を読まれることを警戒しての事だ。

「剪芽梨、お前の部下でいる日は今日で最後だ。」そう肩を叩いて蜷川はその場を離れた。

取り残された寂寥感が津波のように襲って来た気がした。

検察はビン・グォン・タンを殺人容疑で起訴した。罪状は殺人罪だった。

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