第5話 死刑制度

さとこは、今日も仕事に明け暮れた。然し、それに不満は全くなかった。

IT事業専門校を卒業し、大阪ネット通信社に就職した。幼いころから友達と遊ぶよりもネットの世界で、様々な人々と関わっている事に生きる希望、そして、自分の存在意義を感じていた。

会社では、ネットトラブルの対応に追われる。パソコンの基本的な操作の説明から、専門的な情報通信事業の説明等、幅は広い。時には、企業に出向き、データ通信の構築なども行う。

会社にある自らのパソコン画面には、離れた所にポツンと灰色のファイルアイコンがある。

目立たぬように作られたファイル。徐に、さとこが開くと、数十人の個人情報が表示された。

アジア系ばかり、しかも男性。スクロールしながら、それを物色する。一人のマレーシアと国籍の書かれた行で止まる。「ビン・グォン・タンね。」さとこの口角が上がる。

その日の仕事は、定時に終わった。体力に余力が残っていた。携帯電話を開くと、会社のファイルから入力した電話番号を表示する。電話マークの小さなボタンを親指で押す。

「ビンさん、これから、飲まない?」彼が断わる筈もないと確信はあるが、自意識抑制の為、一応聞いた。「どこ?」の一言だったが、日本語に似せている言葉遣いに感じた。矢張り、外国人の言葉は、日本人の言葉とは違っている。「そうね、妖艶で。」

「わ・か・た・よ。」ふと、ビンの言葉に微くそ笑んだ。「気を抜いたわね。」


さとこの行き付けラウンジ妖艶は、何時ものように、客柄が悪い。大概は、モテないサラリーマンが、優越感を求めてやって来る。何よりも客が少ないのだ。それが彼女には好都合なところなのだ。今日、店には、二人の男性客がいた。一人は、みすぼらしい恰好の、髭面の中年。もう一人は、度の厚い黒縁めがねの肥った男。ママも、従業員の知里も嫌気がさしている事をおくびにも出さない。一度だけ、知里に聞いた事がある。「もし、この店に普通の男が客として現れたら、直ぐにでもあげちゃうわ。」そう笑っていた。それほど、この店に来る客は酷い風体だという事だろう。

ビンとテーブル席に座ると、さとこのキープボトルが、ママから置かれた。白字で、うさちゃんと書かれている。これといった意味はない。ただ、可愛さを強調した言葉だ。さとこはまだ一度もママと会話した事がない。「いらっしゃい。」の一言以外を聞いた記憶がないのだ。店を出る時は、身体が上気してるのか周囲の音を認識出来ない。もしかしたら、「有難う御座いました。」とでも言っているのだろうか?

その日も二万円で、セックスを請け負った。ビンは、私に夢中なようだ。


「あの女が殺されたのか。」ビンは逃亡先のマレーシアレストランの地下室で、携帯用のテレビ画面を凝視していた。携帯を売りさばいていた事がばれたのだと思い込んでいた彼の胸中には「俺は知らない、あの女を殺しはしない。」という反感が渦巻いていた。


剪芽梨以下、本部はビンを任意で引っ張る決断をした。罪状は、詐欺罪。先ずは携帯の販売会社から偽造申請により携帯をだまし取ったとしたのだ。勿論、実際その行為をビンはやっている。然し、それはあくまでも別件だ。本部の目指す所は、強姦殺人と金品強奪。二つ以上の罪で裁判にかける事が出来れば少なくとも無期懲役が確保出来るのではないかと考えたのだ。更に、被害者の爪の中から皮膚片が検出された。男性、しかもO型である事が分かり勝負に踏み切ったのだ。そしてアジトがばれたビン・グォン・タンは、大阪府警で任意聴取を受ける事になった。


死刑制度の問題は世界でその様相を変えて来ている。死刑撤廃に進むべく法は動いているのだ。裁判は被害者救済を目的とし、罪犯者に対する更生を促すものでもある。その罰として判決がある。然し、死刑判決は現代に至っても被害者家族の悲痛な心情を癒す効果さえもない。死んでしまった者は還らないという意見だ。アメリカ司法は既に死刑を撤廃する法案を閣議決定した。仮釈放の無い無期懲役を成立させた訳だが、日本の法律は犯罪者に対する更生意識が高く、真面目に刑に服する人を監禁し続け一生を無きものにするという行為自体を受け入れるだけの被害者意識に欠けているのが現状だ。目には目を、殺人には死刑をという極刑で臨む。侍ソウルとでも言うべき日本の概念が邪魔をしていた。


取り調べを担当したのは、捜査主任の蜷川畦三府警補佐官だ。これを待っていたかのような表情を見せる蜷川は警察の威信にかけてビンを落としにかかった。

「ビンさん、貴方は、宗蓮アパートを知ってますね?」

「?・・・。」

「3月2日深夜、そのアパートに行きましたね?」

「・・・。」

「そこで、女性とセックスをした事が有りますね?」

「・・・。」

「ずいぶんと口が堅いですね。確か日本語は分かりましたよね。上手いんでしょう?日本語。貴方の知り合いの日本人は皆、異口同音に流暢な日本語を使っていたと証言していますが…。」

「・・・。」

ビンは、取り調べに近い任意聴取に頑なに口を閉ざした。黙否権の行使だ。ビンの中には既に、別件逮捕という警察の手口を使って逃げ道を作れるという思惑があった。彼の恐れている一件は、強姦殺人ではない。それに対して自分は無実だという確証がある。しかし、携帯違法販売についてはどうにもならない。警察の取り調べは、的外れで笑ってしまうようなものばかりだった。

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