第5話 後に勇者となる人物
労いの言葉をかけるオレに金髪メイドが唖然している。まるで幽霊でも目撃したかのように閉口している。
(まあ、そうなるよな。昨日までのアランがこのような優しい言葉を使用人にかけることなどあり得ないことだからな)
「お坊ちゃま? 本当に大丈夫ですか? まだ頭が痛むのではありませんか?」
ミシェルが不安そうな顔で白い指先をオレの額に伸ばしてくる。オレはとっさにのけ反ってしまう。
「お坊ちゃまはやめろ! オレを子供扱いするな! どこも痛くない!」
アランの鼓動が早鐘を打っている。
無理もないだろう。アランの記憶に寄ると、早くに母親を亡くしたアランにとって幼少の頃からの世話係であるミシェルは母親にも等しい存在なのだ。
そして、ミシェルもアランのことを息子のように想っている節がある。
(ただ複雑なのはアランにとって彼女が『初恋の人』でもあることなんだよ)
しかもさらにややこしいことに――麗しいこの金髪女性がアランの亡き父親の
アラン少年は真夜中に彼女が父親の寝室にたびたび呼び出されていたことを知っている。そして、父親の寝室から漏れ聞こえてくるか細い声も。
(キツイキツイ……そりゃアランの性格もややこしいことになるって……)
アランがこれまでずっと『胸元がふくよかな上品な年上の女性』だけを好んできたのはそういうことだろう。
本人は無自覚だが、アランが女性関係で派手に振舞っていたのも、心のどこかにミシェルを振り向かせたいという気持ちがあったからだ。
ここまで拗らせてしまうくらいなら、直接、本人に気持ちを伝えたほうが早いと思うわけだ。しかし、父親の妾であった女性に気持ちを伝えるなどプライドの高いアランには絶対に許されないことだった。
もっとも、アランが気持ちを伝えたところで、ミシェルがアランの気持ちに応えることは永遠にないということだ。
中世ヨーロッパ調のダンジョンライフⅢの世界では貴族に第二婦人や第三婦人がいることは珍しくはない。妾にしても同じこと。
(ミシェルは真っ当だよ。さすがのアランも彼女の気持ちはなんとなく分かっていたみたいだけどさ……)
だからこそアランは行き場のない鬱屈とした感情に苛立ち、苦しみ、はけ口として周囲に当たり散らしていたのだ。
転生してみて気づいたことだが、世の悪役貴族は悪役貴族なりに複雑な想いを抱えているのかもしれない。
(もう少し環境に恵まれていれば、もう少し誰かが愛してくれれば、彼ら彼女らも悪役にはならなかったのかもしれないな……)
とは言え、悪役貴族の残念な顛末に異議を唱える気はない。自業自得。因果応報。悪いことをすればそれは必ず自分に却ってくるものなのだ。
(ある意味、健全だ。裏を返せば、善いこと行えばそれも必ず自分に却ってくるってことなんだからさ)
アランが死亡エンドを迎えたのも、無謀にも魔物の大群に挑んだからではない。確かにそれが直接的な原因ではあるが、トータルそこに至るまでの悪行の積み重ねが招いた結果なのだとオレは思うのだ。
(今から間に合うかは分からないが、これからはなるべく善い行いを心がけて、これまでの悪役ムーブで稼いだマイナスポイントを少しでも減らさないとな……)
オレは気を取り直して金髪メイドに尋ねる。
「それよりミシェル。今すぐオレの部屋に『シエロ』を呼んでくれ」
ミシェルはハッとした表情を浮かべて深々と頭を下げる。
「この度はシエロが大変な失礼をいたしました! すべての責任は母親である私にあります! 罰は私めが! どうかシエロに寛大なご対応をお願いいたします!」
ミシェルが背中を震わせる。この必死な態度を見ても分かるように、これまでのアランがいかに厳しい処分を下してきたのかは明白だろう。
「誤解するな。シエロに罰を与えるために呼び出そうというわけではない」
「あら? では……どのようなご用件で?」
「ふん! このオレを見事に打ち倒したことを褒めてやろと思ってな!」
「はい? 褒める? お坊ちゃまがシエロのことをでございますか?」
突然、猫が二足歩行で歩き出して人間の言葉を喋り出したのを目の当たりにしたかのようにミシェルが目をぱちくりと瞬かせている。
「驚きすぎだろ! オレだって褒める時は褒める!」
「あらまあ……左様で、ご、ございますか」
金髪メイドがあたふたと取り乱している。
「ミシェルが戸惑うのも分からんでもない。これまでは『労う』だとか『褒める』だとか『感謝』だとかそうした態度を積極的には示してこなかったからな」
「お坊ちゃまは昔から素直に気持ちを伝えるのが苦手でございますね」
「だがしかし! 今後は示してゆく! オレは気付いたのだ! 良き領主となるためには寛容であらねばならんと!」
熱弁するオレの額にミシェルが真顔で手を伸ばしてくる。
「あらら、お坊ちゃま? やはり、お熱があるのではありませんか?」
「熱などない! オレは正常だ! いいから! さっさとシエロを呼べ!」
声を荒げると金髪メイドが「かしこまりました!」と恐縮して去ってゆく。
「……ったくオオカミ少年の気分だよ」
オレは白髪を片手でかき混ぜる。まるで信じて貰えない。いかにこれまでのアランの態度がひどかったか。しばらくこんな反応が続くのだろう。
案の定、しばらくして現れた金髪美少年は部屋に入るなり床にひれ伏す。
「アラン様! 申し訳ございません! アラン様にお怪我を負わせてしまうなんて……どんな罰でもお受けいたします!」
その小さな背中は小刻みに震えている。
「気にするなシエロ。別に怒っちゃいない」
「…………え?」
シエロ・マドリードはなにかの聞き間違えではないのかと大きな目をパチクリと何度も瞬かせている。
「むしろオレはお前を褒めるために呼んだのだ」
「…………え?」
シエロは傍らに控える母親と顔を見合わせている。互いに『明日、世界が亡びる』とでも聞かされたかのような表情を浮かべている。
「ああ! もう面倒だ! シエロ! いいから椅子に座れ!」
オレはシエロを対面の椅子に促して「ミシェル! 飲み物を頼む!」と母親には部屋から出て行ってもらう。
シエロは遠慮がちにちょこんと椅子に腰掛ける。それから落ち着かない様子でオレのことをチラチラと窺ってくる。アランの変貌ぶりに戸惑いが隠せないでいる。
オレは構わず尋ねる。
「ところでシエロ。お前は今年で何歳になる?」
シエロが恐る恐る応える。
「えっと……今年16歳になります」
咄嗟、オレは膝の上で拳を握り締める。
「よし……二年の猶予があるぞ」
「二年の猶予……?」
シエロが怪訝に眉をひそめる。
「気にするな。こっちの話だ」
オレがなぜシエロに年齢を尋ねたのか。
それはシエロ・マドリードこそが『後に勇者となる人物』に他ならないからだ。
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