第3話 接客
あたしは、あたしを買った男の人に、とある建物の小部屋へと連れ込まれた。
これから何をされるのか分からないほど子供じゃない。
体が震える。
──怖いっ。
今ずく逃げ出したい。でも手の甲につけられた奴隷の紋章がそれを許してくれない。逃げようとすれば、途端に体が動かなくなる。
男の人は、距離を詰めると、あたしの身体を確認するように念入りに観察した。
奴隷商人の家を出るとき、
……こんなの殆ど裸みたいなものだよ。
この街に来るまでお父さん以外の男の人に裸を見られた経験なんて無かったから、すごく恥ずかしくて、死にそうだった。
耐えよう耐えよう耐えよう。そう思っていても、言葉は漏れてしまう。
「い、いや……」
そんなあたしの空気に溶けてしまいそうな小声を聞いた途端、男の人は腰に携える剣に手をかけた。
その動作に恐怖を覚えて、あたしは尻餅をつく。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
他に何を言えばよかっただろう。怖くておしっこが漏れそうだった。人前でお漏らしなんてしたら、あたしの人間としての尊厳は完全に無くなってしまう。それでも、死んでしまうよりはよっぽどマシだ。そんな妥協をしてしまっている自分に嫌気がさす。
怖くて目を瞑る。
けれど、いつまで経っても痛みがやってこない。もしかしてもう死んでしまったの?
あたしは覚悟を決めて、目を開けた。
「──え?」
そのとき、自分に付けられていた金属製の首輪と腕輪が真っ二つに割れて床に落ちた。
切られた首輪と腕輪を見ると、断面が果物をナイフで切ったときのようにスパッと切れている。
状況が飲み込めず呆然していると、今まで無言だった男の人が口を開く。
「うん。やっぱり、
男の人は剣を鞘に収めると続けて言う。
「服を用意している。さっそく着替えたまえ。その格好はとても冷えそうだ」
*
男の人が用意してくれた服は、タブタブだった。というか男性用の服。
でも
「いやーごめんね。急なことだから服とか用意できてなくて。これから揃えるから今は我慢してね」
「は、はぁ…」
拍子抜けだ。なんだか緩い人だな。
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。オレはルー。ルー・サミミトス。28歳独身。特技は料理。貯金残高は──て、これじゃまるで口説き文句みたいだね」
貯金残高が口説き文句の世の中とは一体……。
「それでえっと、君は確かユリアちゃん?だったかな。歳は18って聞いてるけど……本当かい?」
男の人……ルーさんはあたしを……特にあたしの胸を見てそう訊いてくる。
しばき倒したい気持ちに駆られたけど、ぐっと押し殺して、あたしは答えた。
「い、いえ……14です……」
「あーやっぱりかー。これだから奴隷商人は信用できないね。まぁ、若いだけまだマシか」
「そ、それであの……」
「ん? なにかな?」
「さっき言ってた客商売って……」
「あぁ、その話もしないとね」
そう言うと、ルーさんはあたしの肩にぽんと手を置いて、爽やかな笑顔で言う。
「君には僕の店で接客をしてもらう」
「……」
接客。
奴隷身分の女性がする接客といえば、何をするかはだいたい決まっている。分かっていた事だ。
「……その、あたし、そういう経験が全然なくて。何をどうすればいいのか……」
「あー大丈夫、大丈夫。オレが手取り足取り教えてあげるから」
「え、」
「何なら今から教えてあげよう」
「えっ⁉︎」
まさかの急展開。……そ、そんなっ。この人があたしの初めての……。いや、まだ心の準備が……!
後退するあたしにルーさんは言う。
「大丈夫。オレ結構教えるの上手いんだよ? 前にも似たようなことやった事あるけど、オレの手解きは、また受けたいっていう人が続出するくらい評判良かったんだから」
「ちょ、調教師⁉︎」
「……調教師って。まぁ、確かにジャンル的には同じようなものだけどさ」
「あ、あたし、初めてでっ!」
「誰しも初めてはあるものだよ」
「か、噛んじゃうかもしれないし……」
「それは練習でカバーさ。誰でも練習すれば上達するものさ」
「体、何日も洗ってないから、汚い、です……」
「そう? 確かに身なりは大切な要素だけど、そんなには臭わないよ?」
「……っ!」
に、匂いを嗅がないで……っ!
もう逃げ道がないと覚悟を決めたあたしは、ヤケクソ気味に言う。
「や、優しくお願いします……っ」
「あぁもちろん」
ルーさんはそう言うと、着ているベストに手をかけて、それを脱ぎ捨てた。
*
「よし。じゃあ腹から声を出すように滑舌良く──いらっしゃいませ!」
「い、いらっしゃいませ!」
「うんうん。いい感じだ。それじゃあ次は──」
「……あ、あの」
「ん? 何かな?」
首を傾げるルーさん。
あたしは恐る恐る尋ねた。
「これは一体なにを……?」
なんか思っていたのと違う。もっとこう、大切なものを奪われて悔しさのあまり涙が流れる系の展開だと思ってたのに。
「何って、接客で挨拶は基本だろ?」
「た、確かにそうかもしれませんけど、少し堅苦しくありませんか? それよりは媚びるようにしたほうが良いのでは……?」
て、なんでエッチなお店のアドバイスしてるんだろ、あたし。
ルーさんは考える仕草を取ると、やがて口を開く。
「なるほどね。確かにそれもいいかもしれない。けど、それだと男性客だけに限られたサービスになってしまうだろ? オレは女性客にも来て欲しいと思ってるんだ」
「お、女の人もですか⁉︎」
「あぁ、万人向けの店を目指していてね。出来るなら、子供にも来て欲しいと思っている」
「子どもまで⁉︎ そんな、あたし……」
「子どもの幸せそうな顔を見ていると、不思議とこっちも満たされる。そうは思わないか?」
「ふ、不潔です‼︎」
「え?」
と、とんでもないところに売られてしまった。まさか子どもにまで身体を売らなければならないなんて。まずい。……このままじゃあたし、人間としての尊厳を失うどころか、変態への道を上り詰めてしまう。
「なぁ、君さっきから何か勘違いして──」
「あたし頑張ります! どんな服でも着ますし、どんなに恥ずかしいプレイにも耐えますから! だから──」
そしてあたしは大声で叫んだ。
「真っ当にエッチなお店やりましょうよ‼︎」
*
「という訳で、僕は『喫茶店』の従業員として君を買ったんだ。あぁ、ちゃんと健全な喫茶店だよ?」
そう説明するルーさん。
あたしは俯くことしかできない。
「……殺してください」
「まぁ、まぁ、オレも説明不足だった訳だし」
「……殺して埋めてください。地中深くに」
「これまた面倒な娘を引き取ってしまったものだ」
もう嫌。数分前の自分を絞め殺したい。そしてあたしという存在をこの世から完全に隠蔽したい。……あぁ、三角座り落ち着く。
「過去のことを考えてくよくよしても仕方ないよ。それよりは明るい未来のことを考える方がよっぽど建設的だ」
「……そもそもあたし、奴隷の身分なんで未来とかないんですけど」
「それもそうだね。こりゃ一本とられた。ははは」
……この人、天然なのか。いちいちイラつくな。
「うん。それにしても君は思ったより喋れるね。その様子だと、生まれつきの奴隷じゃないだろ?」
「え、まぁ……」
「どういう経緯で奴隷なんかに?」
「……」
あたしは自分が奴隷になった経緯を話す。
「なるほど……それは大変な思いをしたね」
ルーさんは深刻そうな顔でそう言ってくれる。
あれ、この人、もしかして良い人……?
「けど不用心な君にも非はある。この街は王族のお膝元といえど、治安は決してよくない。自衛は立派な義務だよ」
「……」
全然優しくなんてなかった。
納得いかない。だって、あたしは何も悪くない。ただの被害者なのに。
するとルーさんは近くにある椅子に座り込むと、あたしを真剣な表情で見つめる。
「あの、なにか……」
「君は戻りたいか?」
「え、」
「君はモノから人に戻りたいのか、と聞いている」
突然の質問。
どういう意図なのかは分からない。
「そ、それはまぁ…できることなら」
「なら、僕が戻してやってもいい」
「! 本当ですか⁉︎」
「あぁ、本当さ」
し、信じられない。もう真っ当な人生なんて歩けないって、諦めていたのに。
「けどね。別に僕は奴隷解放なんて慈善事業をする気はないんだよ。君にはいくつか条件を飲んでもらうことになる」
「……条件、ですか?」
「そんなに怯えなくていい。君に危害を加えるつもりはないよ」
ルーさんは笑顔を向けて続ける。
「なに、君には今後この店で懸命に働くと約束して欲しい。働きに見合った給料も出そう」
「は、はぁ…」
「もちろんゴールは設けるよ、君を買うために使ったお金、それと君を奴隷から解放するために必要なお金。それらを利子10%込みで返済し終えたら、あとは自由にしてくれて構わない。どうかな?」
「えっと……」
ルーさんが何を言っているのか、正直よくわからない。
けど、人に戻れるなら……。
「はい! それでお願いします!」
「よし。契約成立だ」
そう言うと、ルーさんはあたしに手を差し出した。
「それじゃあこれからよろしくね」
にっこりと笑うルーさん。
あたしはその手を握った。
ちょっと、寄り道することになっちゃうけど、これで何とか夢を諦めなくて済む、よね……?
「ところで、返済って具体的にどれくらいで終わりますか?」
「うーん。そうだね。君の値段150万 C(サークル)に、奴隷解放にかかる費用はもろもろ合わせて350万 Cくらいかかって、その10%利息だから、大体550万 Cってところかな」
「550万? えっと、あたしの実家の1年分の収入が確か50万 Cくらいってお父さん言ってたから……」
「ざっと10年分ってとこだね」
「じゅ、10年⁉︎」
「まぁ、王都は賃金高めだから君が思っているよりは早く貯まるんじゃないかな。君の生活費は僕がもつし、3年くらい働けば問題ないはずだよ」
「さ、3年……」
これから始まる労働に向けて覚悟を決めていると、ルーさんが爽やかな笑顔で蛇足を入れてくる。
「あ、ちなみに店が潰れたら、少しでも負債を補うために君を売り飛ばすつもりだから、オーバーワークをオーバーするくらいの意気込みで頑張ってくれたまえ」
「え」
お父さん、お母さん。どうやら私の純潔は守られたようですが、これからも苦労は続きそうです。
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