第64話

 アリアがスッと立ち上がる。


「では私はお茶の準備を頼んでくるわ。それとルルのところに顔を出して、差し入れのお礼も言ってくるから」


 部屋に残ったのはアマデウスとカレンだ。

 今日に限ってメイドもいない。


「もっと食べなよ、カレン。こっちのパイも美味しいよ」


 何の屈託もなくスイーツを進めるアマデウスの手にカレンの手が重なった。


「アリアがいじわるするから、なかなかふたりになれなかったわ」


「え? アリアはそんな子じゃないよ? 何を言ってるんだ?」


「ねえアマデウス殿下。あの頃の殿下は私のことが好きでしたよね? あんな大金もポンと出してくれるし、側妃にしてくれるくらいだもの」


 アマデウスが眉を顰める。


「それは違うよ。金は貸したんだ。君もそれを納得したから毎月払っているんだろう? 高給だからって側近試験を受けたのも君の判断じゃないか。側妃にしたのは本当に後悔してる。君にも悪かったと思っているよ」


「だったら本当の側妃にして下さいよ。サマンサは殺されちゃったけれど、私は私よ? 同じ人間よ? 側妃なんだから抱いても良いのよ? ずっと我慢してるんでしょう? 可哀想にルルーシア様が臍を曲げるから、辛いわよね。あの人も酷いわ。王族なんだから側妃がいたって不思議じゃないのに。あそこまで怒ってアマデウス殿下を蔑ろにするなんて」


「カレン? どうしちゃったんだ? 僕と君は友人だろ?」


「それはルルーシア様を欺くための方便でしょう? 私ずっと知ってたんだから」


「知ってた?」


「そうよ、あなたは私が欲しいんでしょう? なんとか触れるチャンスが欲しくて、夜に呼び出していたんでしょう? なのにアランったら気が利かないんだもの」


「ちょっと待ってくれ! 君はそんなふうに思ってたのか? 友達だと思っていたのは僕だけなのか?」


 カレンが立ち上がってアマデウスの横に座った。

 少し大きいが一人掛けのソファーなので密着してしまう上に、遠慮なくアマデウスにしなだれかかるカレン。

 アマデウスは避けるように立ち上がろうとしたが、しっかりと腰に抱きつかれてしまった。


「やめろ! 僕は信じていたんだぞ! みんなが違うっていっても、最後まで信じていたんだ……それなのに……情けないよ。これじゃあまるで道化じゃないか」


「違うわ、最初は私も友達だと思ってた。でもあなたが私を好きなんだって教えてくれた人がいて、それからはそういう目で見るようになったわ。ルルーシア様の話をするのも、きっと私の気を引きたかったからでしょう?」


「違う……絶対に違う……とにかくこの手を離してくれ! 今すぐにだ!」


「遠慮しなくていいのよ? ほら……」


 カレンが手を伸ばしてアマデウスの手を自分の胸に引き寄せた。


「はい! アウト。残念だが現行犯だ、カレン・ウィンダム」


 カーテンの後ろから出てきたのはマリオだった。


「なっ! あんた! 覗いてたの!」


「人聞きの悪いことを言わないでくれ。覗きじゃないよ、監視だ。そして君はたった今、超えてはいけない一線を超えてしまった。為人は別にして、君の仕事ぶりは認めていたから実に残念だよ」


「な……何言ってるのよ……私は何もしてない。そうよ! 殿下が誘って来たのよ。天体観測に誘って来たのも殿下だし、側妃にするって言ったのも殿下だもの! 私は要望に応えただけよ」


 アマデウスが絶望したような顔で、カレンの手をはたき落した。


「いい加減にしてくれ! 残念だよ、カレン。どうやら僕はまだ甘いようだ……マリオ、彼女を部屋から出してくれ」


「畏まりました」


 マリオが啞然として固まったカレンに手を伸ばした。


「ちょっとまって」


 部屋に入ってきたのはアリアとアランだ。


「彼女には何度も警告しているの。もしこんなことがあれば処理するよって。さあ、覚悟は良いわね? カレン。ああ、心配しなくてもあなたの養父母には影響が出ないようにするから、安心しなさい」


「な……何を……」


「何を? ちゃんと伝えてきたはずよ? ああ、でもそれでは借りたお金を返せないわね……どうする? 方法は三つあるけど。どれでも選ばせてあげるわ。仕事仲間の最後の誼でね」


 アリアのあまりの迫力に震えだすカレン。

 

「何をすればいいの……死にたくないわ。死にたくない……」


「ひとつ目は娼館に行ってお金を稼ぐ。それで返済すればいいわ。二つ目はそれこそワートル男爵並みの変態貴族に嫁ぐ。まあ、これは振り出しに戻るだけだから。三つめは……」


「やめてっ! 嫌よ! 絶対に嫌! 死にたくない! 絶対に死にたくないわ! そうだ、他国に行くわ。二度とこの国に戻らない。絶対に殿下にも妃殿下にも近寄らないと誓うから!」


 カレンが晒す醜態を悲しそうな目で見ているアマデウス。

 アランが心配そうに近づいた。


「今は休憩中だから友人タイムだ。マリオ、済まんが頼む」


「了解。カレン、行こう。アリアも付き合ってくれ」


「うん」


 うなだれたままマリオに手を引かれて部屋をでるカレン。

 執務室のドアを閉めたマリオの耳に届いたのは、アマデウスの悲痛な泣き声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る