第32話

 意志のある視線を受けて、アマデウスの視線が少し泳ぐ。


「殿下、殿下の幸せは私の喜びなのです。ですから殿下には幸せになっていただかないといけません。どうぞ天体観測という趣味はお続け下さいませ。そのことで少しでも殿下のお心が幸せを感じるなら、素晴らしいことですもの」


「いや、ちょっと待ってよルル」


「いえ、私が間違っていたのです。趣味を持つことは人生を豊かにすると申しますわ。そして殿下が趣味をお持ちだということは素晴らしいことと存じます。私がもっと気の利く女でしたら、お疲れの殿下にお仕事の話などしなかったはずです。でも私はお仕事の話ばかりしておりました。私も余程余裕がなかったのでございましょう」


「ルルは本当に良く頑張ってくれていたもの。これからは仕事以外の話もたくさんしようね」


「ええ。しかし私には仕事以外の話題がございません」


「それは過去の話だろ? 君も何か夢中になれるものを探してみると良い」


「趣味ということでございますか?」


「そうだよ。いくら疲れていても自分が好きなもののことを考えると気持ちがリセットできるんだ」


「左様でございますか。少しお時間をいただけませんか? 私にも夢中になれるものが無いか探してみとうございます」


「ルルも星を見てみない? 僕も少しなら説明できるようになったから」


 アマデウスが何の屈託もない表情でそう言うと、ルルーシアの顔がピシッと固まった。


「それは側妃様となさいませ。私の出る幕ではございませんでしょう?」


「いや、ルル! それは違う。側妃というのは名ばかりで、彼女は……」


 ルルーシアが続ける。


「そういえばサマンサ嬢は側近となられますのね」


「うん、彼女はお金を稼ぎたいと言うんだ。まあ、いくら友だといっても貸した金は返してもらうって……」


「まあ! 殿下はサマンサ嬢をお金で縛り付けて無理やり……」


「いや違う! 誤解しないでくれ!」


「殿下がお金で女性を……」


 ルルーシアがアマデウスから顔を背けてブツブツと独り言を呟いた。


「だから! 彼女の父親にワートル男爵との結婚を諦めさせるためには、同等の金を渡す必要があったんだ。それが5億ルぺなんだよ。だから僕が立て替えた。でもそのままじゃ次の嫁ぎ先に売られてしまうだろ? そうならないようにフロレンシア伯爵家の籍から抜く必要があった。だから側妃として迎えることにしたんだよ。僕も慌ててしまって他に思いつかなくて」


「どうしても他の人に嫁がせたくなかったという事ですわね」


「いや、違う! 違う! そうじゃない!」


 ルルーシアが再びアマデウスから視線を外し、正面に座る侍女に声を掛けた。


「少し馬車に酔ったようです。休憩できませんか?」


 侍女が慌てて頷き馭者に止まるよう声を掛けた。


「大丈夫ですか? 王太子妃殿下」


「ええ、少し外の空気を吸えば治ると思います」


 アマデウスが心配そうな声を出す。


「大丈夫? ルル……我慢していたの? 早く言えば良かったのに」


「大丈夫ですわ。理由はわかりませんが、急に気分が悪くなってしまいましたの。お話を遮ってしまい申し訳ございません」


 青い顔をするルルーシアの背中を懸命に擦りながら、アマデウスはどうすれば誤解が解けるのだろうかと考えていた。


 急に止まった馬車に、後ろからアランとアリアが駆け寄ってくる。


「どうしたの! ルル! あなた顔が真っ青じゃないの」


「ちょっと酔ったみたい……」


 アランが手を貸して馬車から降りるルルーシアに付き添うアリア。

 それを囲うように集まる護衛騎士たち。

 後を追おうとするアマデウスを止めたのは、新しく配属された専属侍従だった。


「殿下はこちらで待機なさってください」


「なぜだ! 妻が具合が悪いと言っているんだぞ。側に付き添うのは夫の役目だ」


 侍従が厳しい表情で言い放った。


「殿下は夫である前に我が国の王太子でいらっしゃいます。どうか側近の方々に任せて、安全な馬車の中で待機をお願いします」


「……誰の命だ」


「宰相閣下でございます」


「……そうか。夫である前に王太子か……ははは。僕は妻ひとりも自分の手で助けることもできんのか」


 視線を下げて黙り込んでしまった侍従に動く気配はない。

 アマデウスは改めて自分の雁字搦めな人生に溜息を吐いた。

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