第19話 馬車に揺られ
「……何だよ、これ」
やってきた馬車を見て俺は絶句する。
もはやどこからつっこむべきかわからなかった。
まず、馬車が一台じゃない。
正面を走っていた黒塗りの高級車の後ろにも2台ついていて、さらにその周りを少数だが騎馬隊が囲んでいた。
さながら軍隊の様相だ。明らかに要人警護。教会の規模じゃない。
その馬車が俺たちの前でわざわざ止まったんだから気が気じゃない。
そういえば、イーダがそのうち領主様が来るとか何とかって言ってた気がするが。
俺が一人で戦慄していると、騎馬隊の一人が黒塗りの馬車のドアを開ける。
すると、中からすらりとした背の高い初老の男性が出てきた。
整えられた髪に、鋭い目。それを包む紳士然とした服装が、決してかしこまったものでないにも関わらず、男の身分を暗に示していた。
いや、別に服装なんか見なくても、乗ってる馬車で見当がつくが。
ともかく、馬車から降りた男は、軽く俺たちに視線を合わせるようにして挨拶した。
「初めましてだね、イーダ嬢。私はハンス・フォン・シュテーブナー。噂の七光にお会いできて光栄だ」
言うと、男——ハンスはイーダと目を合わせ、その後俺の方にも視線をやった。
これがミドルネームのない普通のおっさんなら、物腰柔らかな好々爺という印象で住むのだが。
シュテーブナーと言ったら、ここら一帯を領地にもつ伯爵家。地方貴族の立場でもほとんど頂点みたいな存在だ。
ど田舎村の俺でも、家名ぐらいは聞いたことがある。
雲の上どころか、成層圏より上の存在だ。
それもこのハンスという男は、おそらく現当主。つまり、シュテーブナー伯爵家の人間、ではなくシュテーブナー伯爵その人だ。
ちょいと機嫌を損ねれば、それだけで首の10や20、簡単に吹っ飛んでもおかしくない。
俺に首が一つしかなくてよかった。ってそうじゃない。
血の気が引いていく俺の横で、そんなことはつゆも知らないイーダが元気に話す。
「はじめまして。私はイーダ。イーダ・ハントよ。よろしく、ハンスさん」
馬鹿。ハンスさんじゃない、シュテーブナー伯爵だ! と叫びたかったが、できない。
伯爵と、稀代の天才であるところのイーダ、それと村の少年にすぎない俺。
悲しいことに、俺の立場が一番弱い。
するとハンスは高らかに笑って
「こちらこそよろしく頼むよ。イーダ嬢」
そう言ってイーダと握手をした。
よかった。許されたらしい。
イーダの立場が貴重なのか、それともこのおっさんが優しいのかはわからないが、とにかく今日のところは首が飛ぶことはなさそうだ。
「して、そちらの少年は?」
自己紹介を促されたので、俺も挨拶をする。
ただし、思いっきり頭を下げながらだ。
ボウ・アンド・スクレープなんぞ形しか知らないし、知っていたところで怪しまれるだけだから、今はただただ頭を深く下げる。
「お初にお目にかかります。私は、シナバー・ブラウンと申します」
「……そうか、シナバー君だね」
ハンスは頷きながら俺の名前を繰り返し、やがて——
「話はもう聞いてるよ。それじゃあ早速だが
ロガフォートまで行こうか」
そう言って、黒塗りの馬車へと戻って行く。
俺たちも馬車に乗ろうと、後ろの2台のうちの近い方へと向かったのだが、
「どこ行くんだい。こっちだよ」
と、ハンスが馬車の窓から顔を出して手招きしてくる。
嘘だろ。同じ馬車に乗るのか?
「えっと、じゃあこっちの馬車は……」
「それは色々資材を入れてるだけだから。それとも、同席はいやかい?」
「滅相もございません!」
「それじゃあ、早くおいで」
ハンスはそう言って顔を馬車の中に引っ込めた。
「シナバー行きましょ。すごい馬車ね」
呑気に歩くイーダの後ろ姿が羨ましく感じた。
***
血の気も引き切ってもはや顔面が凍りつきそうになったころ、俺たちは馬車に揺られてロガフォートを目指していた。
と言っても、馬車はほとんど揺れを感じさせなかったが。
まあ、驚くほどに揺れない。
どのくらい揺れないかといえば、向かいに座ったハンスがそのまま書類仕事をしているぐらいだ。
おそらく、何らかの魔法を使っているのだろう。
いや、この場合は魔術だったか。
ともかく、そういう魔法的な仕掛けがないと納得できないぐらいには快適な旅路だった。
「ねえハンスさん。何してるの?」
「ちょっと書類仕事をね。急遽入った予定だったから、全部片付かなかったんだ」
「へえ。何て書いてるの?」
「それは秘密だね」
イーダは読み書きはそれなりにできるが、さすがに貴族の書類を読みこなせるほどではないらしい。
だからと言って子供の前で大事な書類を広げるのはどうかと思うが。大丈夫だろうか。
ちなみに、イーダの読み書きが俺がついて教えてやった。魔法に関する本が読みたいとねだられたからだ。
なので、俺に関してはやろうと思えばハンスの書類の内容を読むことはできるだろうが、やらない。
とにかく面倒ごとに巻き込まれたくないからだ。
ハンスが、手を動かしたまま口を開いた。
「二人は冒険者ギルドに登録に行くのかい?」
「そうです。仮登録ができるそうなので」
「そうか。ギルドの仮登録は最近に始まった制度だが、使ってもらえて何よりだね。実はうちの娘も冒険譚が好きでね。最近はうちのも登録させろとうるさいんだ」
「あはは、大変ですね」
「させてあげればいいじゃない」
「そうはいかないよ。貴族の娘が冒険者になるわけにはいかない。よそに顔向けできなくなってしまう。まったく、まだ縁談も決まってないのに……」
娘の愚痴を聞かされながら、俺は適当に相槌を打っていた。
不躾なことを聞けば、イーダはともかく俺に明日は訪れないからな。
「そういえば、二人に聞こうと思っていたんだが……ケチュア村の近くの森に以前いたという山賊が忽然と姿を消してね。もしかしたら、流れの冒険者にでも討伐されたんじゃないかと思っていたんだが、何か知らないかい?」
「知りませんね」
「私も」
知っている。全然よく知ってる。
「そうか、あの辺で活動するなら、必ずケチュア村を拠点にすると思ったんだがね」
背中に冷たい汗が伝う。
ああ、早く街についてくれ。
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