第14話 寝返り

「イーダ」


 振り返ると、そこには幼馴染が金髪を揺らしながら走ってきていた。


 月明かりに照らされた髪がよく映える。


 7つの魔法属性に適性を持ち、将来は美人になることを容易に窺い知れる顔立ち。そして太陽のように明るい性格。


 物語の主人公のような少女。


 それでいて、正真正銘この世界の住人だ。


 俺のような余所者とは違う。何かを偽る必要もなく、前世や、思い残してきたことなどもない。


 別に、それが羨ましかったわけじゃない。


 むしろ、日本とこの異世界の両方での生活を経験できる俺の方が、他人から見れば羨ましいだろう。


 実際、自由に過ごさせてもらっているし。


 だから、羨ましかったわけじゃない。


 ただ、眩しかったのだ。


 太陽のように輝く彼女が、眩しくて。それに近づくだけで、罪深い自分は焼かれてしまうのではないか。今はそんなふうに感じる。

 

「こんな時間にどこ行くのよ、シナバー」

「いや、別に。どこも行かないよ。ちょっと寝付けなかったから散歩してただけだ。それより、お前こそこんな時間にどうしたんだよ」

「……別に」

「もう遅いんだから、早く戻って寝ろ。子供は寝る時間だ」

「シナバーはどうするの」

「俺? ああ、俺ももう少ししたら寝るよ。だからイーダも——」

「嘘」


 その言葉に、俺は目を見開いた。


「なんで、俺が嘘なんか」

「だって、さっきどこかに行くって言ってたもん。黒い女の人も一緒に」


 見られていたのか。


「どこから見てたんだよ」


 俺が諦めたように言うと、イーダは


「シナバーが家から出てきたあたり?」

「最初からじゃねえか」

「それで、どこに行くつもりなの?」

「だから、どこにもいかないって——」


 イーダがまっすぐな目で見てくるので、誤魔化すのを躊躇ってしまった。澄んだ青い瞳が、夜闇の中で確かに俺の姿を捉えているのがわかった。


「どこか、遠いところに行くつもりだった」


 どこに行くつもりだったのか、など正直自分でもよくわからない。


 村を出れば、俺は右も左も分からない世間知らずだ。前世の経験があったって、そこらの子供とそう大して変わらないだろう。


 それでも、村を離れたかった。ただ、その強い衝動だけを感じていた。


 だから俺は、遠いところ、だなんて漠然とした答えを出した。


「じゃあ、あたしも連れてって」

「は? ……何言ってんだよ、お前」

「だって、シナバー怖い顔してる。……昔みたいに」


 俺は無意識に、自分の顔に手をやった。


 この暗い中で、俺の表情なんてそうわかるはずがない。


 だが、イーダは怖い顔をしていると言った。なにか見透かされたような、そんな気がした。


 イーダの言う、「昔」というのは多分、まだ俺が村に上手く馴染めていなかったころだ。


 馴染めなかった、と言うより馴染む気がなかったと言った方が適切かもしれない。


 当時の俺は今よりも日本でのことを気にしていた。長いホームシックだったと言ってもいいかも知れない。


 なにせ、しばらくは言葉も話せなければ、満足に歩くことすら叶わなかったのだ。その後も、慣れない体にずいぶん苦労していた。


 そんな調子だから、俺はこの世界と迎合する気がさらさらなかった。当時は、1日でも早く日本に帰ることだけを考えていて、それに躍起になっていた。


 そんな俺をよく構ってくれたのがイーダだった。


 村に歳の近い子供は俺とイーダと、あとは妹のニナぐらいで、遊び相手もいなかったのだろう。よく俺に絡んできた。


 そんな中で彼女が見せてくれたのが、魔法だった。


 魔法という存在に、俺はひどく驚いたし、同時に憧れた。この異世界で初めて、胸がときめくのを感じた。


 結局、俺は魔法が使えなかったが、それでもイーダの魔法を見るのは好きだった。


 それからだろう。この世界を悪くないと思えるようになったのは。


 今みたいに狩りをやってみたり、冒険者を志したりしたのも、思えば全て彼女のせいなのかもしれない。


「シナバー、お願い。行くならあたしも」


 そんなイーダが、必死になって俺についてこようとしている。


 断る気になれなかった。


 いや、そうじゃない。気づいたのだ。


 俺は早まっていた。思い詰め過ぎていた。


 俺は確かに余所者だ。それは変わらないし、変えられない。そしてそれを大っぴらにするのもやっぱりできない。


 きっと、この嘘は罪だろう。こんな何かに寄生するような生き方は善悪に照らせば、悪だ。

 

 だが、だからといって自らを裁こうなどという考えは傲慢だろう。裁かれたい自分を裁いたところで、自己満足に過ぎない。


 イーダのように、大事に思ってくれる人間もいるのだ。


 なら、俺がすべきなのは自裁じゃなく、償いであり、恩返しだろう。


「わかったよ、イーダ」

「連れてってくれるの?」

「違う。もうどこかに行くのはやめたってことだ」

「本当?」

「ああ」


 俺はイーダに近づいて頭を優しく撫でた。


 彼女を安心させるように。俺が安心できるように。


 するとイーダは俺の手を掴んで


「わかった。シナバー、もう怖くないから」

「そうか、ありがとう」

「じゃあ、あたしかえる! また明日」


 言うが早いか、イーダは家の方へとかけて行った。


『行かないの?』

「気が変わった」

『そう、よかった』


 戻ったら、よく眠れるような気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る