第7話 銘は彁

 虎柄の猫の後ろ姿に、妙に後をつけたい衝動に駆られる。


 もちろん、それはこの世界じゃ猫は珍しいからとか、単に可愛いからといった理由ではない。


 もっと尋常ではない、心の乾きのようなもの、あるいは誰かの絶叫のような、強い衝動だ。


 それが、この猫についていかなければならないと、その必要性を理性に訴える。


 しかし、危険だ。言うまでもなく、ついて行く得はないし、その必要もない。ついていくべきではない。


 立ち尽くしていると、俺の葛藤を察したのか、猫は頭だけをこちらに向けて、また、先程のように間延びした声で鳴いた。


 「ついてこい」と、言われる感覚が、やはり確かにあって、俺は半ば諦めたような心地で後をついていくことに決めた。


***


 猫は、時々俺がついてきているか確認するように、こちらを振り返りながら歩いて行く。


 その足取りには迷いがない。やはり、どこかに俺を案内しているような気がする。


「おい、どこに行くってんだよ。俺、森の方には行かないからな。危ないから」


 返事はない。


 それどころか、人語を解するのかすら疑わしい。


 実は新種のモンスターか何かで、俺を罠にはめる気なのかもしれない。


 短剣で近くの雑草を斬り払いながらも、猫への警戒は緩めない。


 剣は手でしっかりと握り、いつでも切り掛かれるようにしている。鞘には納めなかった。


 猫は、そんな俺の剣呑な雰囲気をも意に介さない様子で、ぴょんと小川を飛び越えた。


「あれ? こんなところに小川なんかあったか?」


 幻覚を見せる魔法の類ではないかと疑っていると、猫が早く来いと言わんばかりに鳴く。


「わかったって、行くから」


 返事をしながら川を超えると、急に辺りが鬱蒼とした霧に飲まれた。


 しまった。やっぱり罠か。


 耳を澄ませると、木々のざわめきが聞こえてきた。いつの間にか森の中まで連れ込まれたらしい。


 舌打ち混じりに剣を構え、霧で見えない相手の攻撃に備える。


 しかし、いつまでたっても俺が攻撃されることはなかった。


 かわりに、やはり間延びした猫の鳴き声が聞こえてきて、俺は目を見開いた。


 猫の声とともに立ち込めていた霧が消えて、辺りの光景が視界に入る。


 その光景に、思わず唖然とする。俺がいたのは雑草の生えた青々とした草むらではなく、薄暗い洞窟の中だった。


 振り返ると、先ほど飛び越えたはずの小川もどこにも見当たらない。おまけに猫の姿もなかった。


 洞窟内は、ところどころ天井に穴が空いているようで、ちらちらと日光が筋をなして入り込んでいる。


 思わず息を呑みそうな光景の中央、ちょうど先ほど猫の声がした辺りにあるに、俺は目を奪われる。


「刀だ……」


 この世界では、お目にかかることもないと思っていた、鍛え上げられた一振りの刀。


 それが、洞窟の地面にきっさきを突き刺して立っていた。


 鞘はなく、刃を剥き出しに晒しているというのに、傷んだ様子もないところから、それがただの刀じゃないことまで伺える。


 黒い色をした刀身は薄暗い洞窟内部よりさらに暗く、刃と刃文がその漆黒の中で流星のように煌めいている。


 夜空を詰め込んだような一振りに、吸い寄せられるようにして近づく。


 その柄を握った途端、邪魔をするように声が聞こえてきた。今度は、猫のものじゃない。


『汚い手で触らないで。私が汚れちゃう』


 はっと我に帰り、声の方に向き直って、自分の短剣を構える。


『私に触れた癖に他の剣を待つの? 節操がない』

「……猫耳?」


 声の主は猫耳の少女だった。


 容姿は10代ぐらいで、黒髪に黒目。その体をこれまた黒を基調とした薄手のワンピースで包んでいる。


『違っ、猫耳じゃない。これは、あなたがそう私を認識したから』


 猫耳少女は自分の耳に驚き、そしてパタパタと両手で耳をはたく。


 するといつの間にか猫耳は消え去ってしまい、普通の人のような容姿になる。


 それがなんだか名残惜しくて、思わず声に出る。


「あっ、猫耳が……」

『うるさい。猫耳は元々ない』

「残念だ。なぜだかすごく残念だ。てゆうか、お前誰だよ」

『あれ』


 猫耳少女、もとい元猫耳現人耳少女はすっと右手で指を刺す。


 その指先は先ほどの刀に向かっている。


「なっ、何だ? モノボケか?」

『違う。何? それ』

「モノボケは通じないか。あっ、ダメだぞ。あの刀は俺が見つけたんだからな」

『そう、あなたが見つけた。私を見つけた』

「だから、お前のじゃねえって。そんなにねだったって譲らないからな。自慢じゃないが、俺は魔法が使えないんだ。だから、武器に関することだけは譲れない。この刀を見た瞬間、こうビビッと来たんだよ。俺は今、将来の相棒をこの刀にするって決めたの! だからお前は諦めろ」


 すると少女はくすりと笑った。


『相棒。うん、いいね』

「そうか、この気持ちがわかるのか! やっぱ、これと決めた相棒があるってのはロマンだよな」

『うん、ロマン』

「おお! この魔法主義の世界にお前みたいなのがいるとは! 意外と気が合うじゃないか。うーん、刀を譲ってはやれないが、ちょーっとぐらいなら貸してやってもいいぞ」

『それは、別にいい。かな?』

「そうか、残念だ。ともかく、悪い奴じゃなさそうってのはわかったよ。悪かったな、剣なんか向けて。俺はシナバー・ブラウン。ローグ村の冒険者志望だ。よろしくな」


 俺はそう言って右手を差し出す。


 握手の意図を汲み取ったのだろう。少女はその手を握り返す。


『私は鬼打おにうち。銘はせい。よろしく、相棒』

「は?」


 俺は爽やかな笑顔のまま固まった。

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