第4話 狩り合い

「来いよ、犬っころ。掻っ捌いてやる!」

「ヴゥゥゥーッッ、ヴァォオオーンッ!!」


 ヤマイヌが地に響くように遠吠えをする。


「今だ、イーダ! 走れ!」


 返事は聞こえない。


 だが、かわりに背中から遠ざかっていく足音がした。


 どうやら、ちゃんと逃げてくれたらしい。


「これでお前に集中できるってわけだな! こっちも、狩りの用意は終わったぜ!」


 モンスターに対して人語で煽ったところで効果はない。人語を解する種もいるにはいるが、ヤマイヌはその中に入らないし、たとえ入ったところで、交渉の余地などないだろう。


 自分を鼓舞するためのセリフだった。


 腹から声を出して、腹を括って。それで、狩るか狩られるか、という殺し合いに向き直る。


 それだけの作業で、自然と足の震えが止まるし、体に力が湧いてくる。


 日本にいたときには感じなかった感覚。魔力が体に伝わる感覚だ。


 全身の血管を通して、細胞に酸素と魔力が供給される。それをイメージして、そして体に細部から余さず力を込める。


 肉体が、一つ、壁を越えて強くなったような、そんな、名状し難いものの確かな感覚が体から意識へと返ってくる。


 イーダがよく言っている、魔法を使うときのイメージに近いかもしれない。


 最も、俺に魔法の才など、前世を含めてもないのだが。


「来いや、オラァッ!」

「ヴァォオーンッ!!」


 腹の底から、声を絞り上げると、ヤマイヌが負けじと遠吠えする。


 狩りを始めるという合図。


 その一点において、俺とヤマイヌはこの場で同じ手段を取ったのだ。


 ただ、悲しいかな。俺とヤマイヌの間で同格だと言えるのは、本当にその一点だけだ。


「——ッ!」


 ヤマイヌが俺目掛けて突進してくる。


 俊敏で、しなやか。それでいて力強い動き。目で影を追うのがやっとのそれが、俺を噛み砕こうと距離を詰める。


 それを何とか剣で弾くと、ヤマイヌは咄嗟に飛び退き距離を取り、また突進を繰り返す。


 それをまた、なんとか剣で弾き返す。


 その光景が何度も繰り返される。


 ただし、ツノシシのように馬鹿正直で、力任せな突進ではない。


 来ると見せかけて距離をとったり、急に体を曲げて横から狙ってきたり、体を捻って剣を掻い潜ろうとしたりと実に多彩だ。


 その牙も、足を狙い腕を狙い、時に剣そのものを狙ってくる。


 それを何とか、紙一重のところで防ぎ、弾き、躱わす。


 防戦一方、それだって、いつ崩れてもおかしくない。


「——あっ、しまっッ」


 ヤマイヌが低い姿勢で近づき、俺の顎を狙って飛び上がる。


 それを何とか剣で受け止めようとしたが、タイミングが合わずに吹き飛ばされてしまった。


 明後日の方に落ちた剣を、俺は目で追うことすら叶わない。


 咄嗟に一歩引いて、ヤマイヌから距離を取ろうとしたが、背中に木がぶつかってきた。


 いや、俺が後ろ向きに木にぶつかったのだ。


 これ以上後退は出来ない。


 前に出ることも、無論できない。


 ヤマイヌが悠然とした態度で、俺との距離を測り、最後の攻撃のタイミングをはかる。


 イーダは間に合わなかったか。


 手は尽くしたが、もうどうにも転びそうにない。


 そうしてヤマイヌは満足したのか、飛びかかる構えを見せ——


「【ライト・アロー】」


 言うが早いか、一筋の光がヤマイヌの頭を横から貫いた。


 次の瞬間には、ヤマイヌは首から上がなくなった状態で、静かに立ち尽くしていた。


 突然の出来事に頭が追いつかなくなるが、すぐにかぶりをふって我に帰る。


 狩りに適した、光属性の矢を放つ魔法。


 俺はこの魔法に覚えがある。


 この魔法を使うハンターを知っている。とても、とてもよく知っている。


「随分と剣術が上達したんじゃないか? シナバー」

「——親父!」


 そう、ヤマイヌを軽々と仕留めてみせたのは、他でもない俺の親父だった。


 最も、この世界での、だとか、育ての、とかいった語句が頭につくが。

 

「はぁ、何とか助かったな。イーダが助けを呼んだのが間に合ったのか」

「いや、俺は狩りから帰ってきたところだぞ? ほら見ろ、大量だ」


 そう言って、親父は背中に担いでいた袋を揺らして見せた。


 中身は見えないが、おおかた魔石が大量に入っているのだろう。ガチャガチャと音を立てていた。


「そうだったのか。ラッキーだったな。何はともあれありがとう、親父。親父が間に合わなかったら、俺は今頃ひき肉だったよ」

「息子を守っただけだ。礼なんかいらないぞ。それに、間に合うも何も、ギリギリのところで助ける予定だったしな」

「え? ギリギリのところって……まさかずっと見てたのか!? あっ、そういえばさっき剣術がどうとか……どこから見てたんだよ」

「ハッハッハ、最初からだな。シナバー、逞しく育ってくれて俺は嬉しいぞ!」

「見てたなら最初から助けてくれよ……」

「だから、助けてやったじゃないか。だが、剣一本でよく頑張ったぞ、シナバー。もしイーダを盾になんかしたら、ヤマイヌじゃなくてお前を射抜くところだった」

「勘弁してくれ、俺の首から上がなくなっちまう」

「冗談だ。それより、こっちに来い。せっかくだから、このヤマイヌを使って魔石の取り方を教えてやる」

「おっ、マジか。親父が直々なんて珍しいな。いつもは『技は盗め』とかいって強情な癖に」

「まあそう言うな。頑張ったご褒美だよ。それと、近頃、高クラスのモンスターが縄張りの外に出てるらしい。しばらくは森に入るなよ」

「頼むから、そういう大事なことは早く言ってくれ」


 

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