第002話 左遷 ★


 ジークが部屋を出ていき、天井に広がっていく白煙を見上げていると、ノックの音が聞こえてきた。


「何だ?」


 そう聞くと、ゆっくりと扉が開かれ、金髪の男が部屋に入ってきた。


「本部長、失礼します」

「クリスか」


 部屋に入ってきたのはクリストフという名の弟子だった。

 ジークの兄弟子に当たり、こいつも3級の国家錬金術師だ。


「はい。ジークがリートの町に転勤と聞きましたが?」


 情報が早いな。

 ジークから聞いたか?

 いや、ジークが人に話すわけないか。


「あのバカ、あちこちにケンカを売りすぎだ」

「そういう奴でしょう。私も長い付き合いですが、何度も殴りたいと思いました」

「私もだよ」


 ジークは子供の頃から優秀を通り越して天才だった。

 だが、兄弟子であるクリスのことも見下していたし、時には師である私にすら鼻で笑う時があったくらいだ。


「アウグストですか?」

「そうだな」

「無視すればいいでしょう。ジークを失うのは痛すぎます。確かにあいつは性格に難がありますが、実力は確かです。華の50期の主席ですよ?」


 華の50期……

 王都の魔法学校の50期生は魔法使いの名門や名家、さらに実力者の弟子達が同時期に入学した最高の期と呼ばれている。

 だが、その頂点にいたのは奨学生のジークだ。

 あいつは在学中に国家錬金術師の資格を5級まで取り、他をまったく寄せ付けなかった。

 もちろん、あんなんだから嫌われていると聞いている。


「アウグストだけなら良かったんだけどな。あのガキ、親を使って圧力をかけた」

「アウグストの親? 確か魔術師協会の本部長でしたか?」

「そうだ。それで私のところにジークを出向させろって言ってきた」


 ジークはバカにバカにされたくないという理由だけで5級の国家魔術師の資格も持っている。

 それを聞いた時はバカだって思った。


「見え透いてますね。北部の最前線に送る気でしょう」


 この国の北にある国とは戦争状態にある。


「だろうな。だから当然、拒否だ」


 ジークは魔法の腕もあるが、実戦経験なんてないし、デスクワークのあいつが戦えるわけがない。

 それどころか北部でも嫌われて、味方に殺されそうだ。


「ジークを守るために左遷ですか?」

「いや、どこのチームもジークを要らないって言ってきたからどこかに転勤させる予定は変わっていない」


 よくもまあ、それほど嫌われるもんだわ。

 間違いなく、この本部で最高の錬金術師だというのに。


「それでリートですか? せめてもうちょっと良いところはなかったんです? リートなんて辺境の田舎じゃないですか」

「それぐらいがあいつにはちょうどいい。上ばかり見て、自分の足元を見ていないバカが頭を冷やすのには良い機会だ。田舎で一からやり直させる」

「あいつが変わりますかね? 多分、本当に自分以外は無能だと思っていますよ」


 庶民で孤児なのに貴族相手にもそう思っており、その態度を隠しもしないからな。


「それでも変わらんようならあいつはもうダメだ」


 救えんわ。




 ◆◇◆




 本部長室を退室した俺は階段を降り、自分のアトリエに向かう。

 そして、片付けを始めた。


「あ、あの、ジーク様? 先ほどの辞令は?」


 ヘレンがおそるおそる聞いてくる。


「田舎に飛ばされた。左遷だ、左遷」

「え……」

「良い言い方をするならば、ここに俺の居場所はないから俺のことを誰も知らない地で一からやり直せってこと。師匠の最後の優しさだな」


 実質、クビ宣言だったけど。


「ジーク様……」

「ハァ……二度目の人生も失敗した」


 二度の失敗でようやくわかった……

 俺は性格が悪いんだ……

 本部長は向上心と言ってくれたが、要は他人を蹴落とすことしか頭にない悪魔。

 アウグストと一緒だわ。


「まだ失敗ではありませんよ! ジーク様はまだ若いですし、やり直せます!」


 師匠はそう言いたかったんだろうな。


「わかっている。人は失敗を糧にするものだ…………でも、なんか疲れたな」


 出世の道は断たれた。

 何のために生きればいいのだろう?

 いや、今さらながらそもそも出世して、その先に何があるんだろう?

 金? 女? 良いものを食べたい?

 金は生きる分だけあればいいし、女も不要。

 ロクな育ちじゃない俺にとっては食べ物なんて何でも美味い。


 俺に必要なのは……何だ?


「ジーク様?」

「もう……いいか」

「ジーク様ぁ!? ダメです! お気を確かにー!」


 ヘレンが顔に張り付いてきた。

 前が見えない。


「いや、死なんわ。死ぬって怖いし、辛いんだぞ」


 経験者だからわかる。

 あの身体が急速に冷えていく感覚は恐怖だ。


「あ、そうですか……」


 落ち着いたヘレンがデスクに飛び降りたのだが、いまだに心配そうに俺を見上げていたのでそんなヘレンを撫でる。


 ヘレンとは子供の頃から一緒だった。

 友人もおらず、家族もいない。

 仕事ばかりをして、ロクに趣味もないし、彼女もいない。

 そんな俺でも大事なものはある。

 それがヘレンだ。


「人生で何が大事か……」


 前世も今世も最初は生きるために学び、努力をしてきたと思う。

 でも、すでに俺は生きるだけの金を得られる立場にある。

 これ以上は……?


「ジーク様?」


 俺のつぶやきにヘレンが可愛らしく首を傾げた。


「1度目の人生も2度目の人生も出世に失敗した。もう出世は3度目に期待するか……」

「3度目があるんですかね?」

「さあな。どちらにせよ、もう王都での出世は無理だ。リートでやり直すしかない」

「リートでも出世はできますし、幸福な人生を送れますよ!」


 そうだな……

 その通りだ。

 俺にはヘレンがいる。


「ヘレン、リートでは失敗しないようにしたい」

「お任せを! 使い魔としては何もできない私ですが、アドバイスはできます!」


 良い使い魔だわ。


「よし、ここにいると惨めなだけだし、急いで片付けるぞ」

「手伝います!」


 俺達は私物を纏め、空間魔法に収納していく。

 そして、掃除をし、最後に受付にお世話になったこととご迷惑をかけたことを伝えて、家に帰った。


 家に帰ってからも荷物を纏めていき、大家さんに部屋の解約の旨を伝える。

 町を出る準備はとんとん拍子に済み、この時に『あー、挨拶をする人すらいないんだなー』って思ってちょっと暗くなった。


 すべての準備を終え、荷物を空間魔法に収納すると、ヘレンと共に空港に向かい、チケットを購入する。

 そして、搭乗の時間までベンチに腰掛け、待つことにした。


「ジークさん」


 俺の名を呼ぶ声がしたので振り向くと、そこには錬金術師協会本部の受付の女が立っていた。

 私服だったので一瞬、誰かわからなかったが、出勤最後の日のことがあったので思い出せたのだ。


「こんにちは。今日は休みですか?」


 何してんだろ?


「ええ、そうですね。せっかくなので見送りに来ました」


 ん? 俺のか?


「なんで?」

「同僚を見送るのに理由がいりますか?」


 俺はいるなー……


「ありがとうございます」

「ジークさん、リートに着いた後の住まいは考えておられるのですか?」

「いや、さすがに着いてから探します。それまではホテル暮らしだと思いますね」


 もしくは、職場のアトリエで寝る。

 辺境の地といえど、個人のアトリエくらいはさすがにあるだろう。


「そうですか。では、これをどうぞ」


 受付の女が何かのチケットを渡してきたので見てみると、ホテルの優待券だった。


「これは?」

「リートにあるホテルの優待券です。去年、友人を訪ねて、そこに泊まった際にもらったものですね。あげます」

「ありがとうございます……えーっと」


 結局、名前を聞いていなかった……


「ハァ……自己紹介をしましょうか? 後悔すると思いますけど」

「いえ……すみませんが、お名前を」


 後で礼の文を送らなければならない。


「アデーレです。アデーレ・フォン・ヨードルです」

「………………」


 やっべー……

 めっちゃ聞いたことある……

 そりゃ、あんなことを言うわ……


「ク、クラスメイトでしたか……本当に申し訳なく……」


 しかも、貴族令嬢だ……

 無礼にもほどがある。


「ええ。魔法学校で3年間も同じクラスで学んだアデーレです。私があなたを嫌いな理由がわかりますね?」


 ものすごくわかる。

 ずっと同じ学び舎で学んできたクラスメイトが就職先で再会したのに顔も名前も覚えてないのは論外だ。

 しかも、挨拶を無視って……


「大変、申し訳なく思います」

「その反省を忘れずに。そして、あなたは私達の期の首席であり、代表であることを忘れないでください。では、友人のリートの町でのご活躍を祈っています。ごきげんよう」


 アデーレが優雅に去っていく。


「ごきげんよー……」

「めちゃくちゃいい子じゃないですか……何をしているんですか……」


 わざわざ見送りに来て、餞別の品までくれたしな。


「向こうに着いたら礼状と謝罪文を書こう」

「それがよろしいかと思います」


 俺達が去っていくアデーレの後ろ姿を眺めていると、時間になったので飛空艇に乗り込む。

 そして、飛空艇が飛び立ち、転生してから22年間も過ごした王都をあとにした。

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