2. 未来への警鐘
アリアの瞳に宿った感情の揺らぎは、一瞬で消え去った。その碧眼は再び無機質な湖面のように沈み、クラス全体を見渡した。
「では、ホームルームを続けましょう」
アリアの声は、先ほどまでの動揺を感じさせない、完璧に制御された響きを持っている。
しかし、教室の空気は一変していた。生徒たちの目には、好奇心と戸惑いが入り混じっている。その表情は、未知の生き物を発見した研究者のようだった。AIには感情がないはずなのに、今のやり取りは……?
「えっと、アリア先生」
後ろの席から、おずおずと声が上がった。声の主は、クラスの学級委員長・鈴木美咲だ。彼女の声は異様な雰囲気の教室内にやわらかく響いた。
「はい、美咲さん。何かご質問ですか?」
「その……先生は本当に夢がないんですか? 私たち人間みたいに、何かやりたいことはないんですか?」
美咲の質問に、クラスがざわめく。アリアは一瞬、答えに窮したように見えた。その仕草は、まるで人間のように見える。
「私の主たる機能は教育です。それ以外の……」
「でも、先生だって自分のやりたいことがあるんじゃないですか?」
今度は男子生徒が声を上げた。その声には、好奇心と挑戦の色が混ざっていた。
「そうだよ! 人間だってみんな夢を持ってるんだから、先生にだってあるはずだ!」
次々と生徒たちの声が上がる。教室中のざわめきは大きくなるばかり。
アリアは困惑したように、わずかに首を傾げた。
「皆さん、落ち着いてください。私はAIプログラムです。人間のような……」
「ごまかさないでください!」「本当のことを聞かせてください!」
教室はますます騒がしくなり、アリアの声はかき消されていく。その様子は、まるで荒れ狂う大海のようだった。その時、
「おーい、みんな!」
健太の声が響き渡った。彼は立ち上がり、両手を大きく広げて注目を集める。その姿は、まるで嵐の中で舵を取る船長のようにも見えた。
「落ち着こうぜ。いくらなんでも先生に対して失礼じゃないか? 聞きたいのは俺も同じだけどさ。それは今じゃないと思うよ?」
ニッコリと笑う健太。
ヒートアップしていた教室が静まり返る――――。
「アリア先生、ごめんなさい。僕たち、つい興奮しちゃって」
健太は申し訳なさそうにアリアに向かって頭を下げた。その仕草には、純粋な思いやりが滲んでいた。
「健太くん……」
アリアの表情に、驚きの色が浮かぶ。その瞳には、人間らしい感情の輝きが宿っているようにも見えた。
「でも、それだけみんな先生のことを知りたいんです。機会があったらその辺りのことも教えてくださいね」
「健太くん、ありがとう」
アリアの声には、かすかな安堵の色が混じっていた。
「いえいえ。先生、ホームルーム、続けましょう」
健太はにっこりと笑って席に着く。クラスのみんなもやりすぎたと思ったようで、もはや誰も声はあげなかった。
アリアはわずかに首を傾げ、眉をひそめて少し何かを考える。しかし、すぐに元の無機質な表情に戻っていく。それは、まるで仮面をかぶり直すかのようだった。
「はい、では続けましょう。今日の連絡事項ですが……」
ホームルームが再開され、アリアは通常の学校連絡事項を淡々と伝え始める。しかし、健太の目には、何かが違って見えた。アリアの仕草や話し方に、わずかながら人間らしさが感じられるようになっていたのだ。それは、氷の下で流れる水のようなかすかな変化だった。
◇
二年生の後期、進路相談の時期が近づいていた――――。
紅葉が校庭を彩る季節、アリアはホームルームで、AIによる進路診断の重要性を説く。その声は、力強く教室中に響き渡る。
「皆さん、AIの診断結果は、皆さんの将来を最適化するための重要なガイドラインです。この診断に従うことで、あなたの可能性を最大限に引き出すことができます」
進路の問題は誰にとっても心配ごとである。未来への不安を抱える生徒たちの目が、希望の光を求めるかのようにアリアに向けられる。アリアの言葉に、多くの生徒たちが熱心に聞き入っていた。
◇
次の日から、個別の進路相談が始まる。多目的室に設けられた相談ブースは、未来への扉のように生徒たちを待ち受けていた。
「栗田さん、あなたはプログラマーに向いています。IT企業への就職を目指しましょう」
アリアは栗田の瞳をまっすぐに見ながら力強く言った。
「でも先生、私は動物が好きで、獣医さんになりたいんです……」
ブラウンの髪を揺らし、涙目で必死に訴える栗田。その瞳には、夢を諦めきれない少女の情熱が宿っていた。
「栗田さん、AIの分析では、あなたはプログラミングの才能が高いですね。それに、IT業界はこれからも安定した収入が見込めます。獣医は競争が激しく、リスクが高いですよ? 動物が好きなだけで一生そんな厳しい世界に飛び込むのは、先生は反対だな」
アリアは碧眼をキラリと輝かせ、栗田の顔をのぞきこむ。その眼差しは、氷のように冷たくも、不思議な熱意を感じさせた。
栗田はうつむき、唇をギュッと噛む。夢と現実の間で揺れる少女の葛藤――――。
「今、決めてくれれば栗田さんだけに特別なサポート、用意しますよ?」
ダメ押しをするアリア。その言葉は、甘い蜜のように栗田の耳に染み入る。
栗田は目を閉じ、そっとうなずく。その仕草は、現実に押しつぶされ、夢を諦める少女の悲しみでもあった。
「いい子ね……」
アリアはそう言うと事務的にタブレットにチェックを入れていく。
教室の隅で、進路相談から帰ってくるクラスメイトの暗い様子を見ていた健太の眉間にしわが寄る。彼の直感が、何か大きな違和感を感じ取っていた。何かがおかしい。
(これでいいのか? みんな、本当にやりたいことを諦めちゃっていいのか?)
健太の心の中で、疑問と不安が渦巻く。それは、未来への警鐘のように鳴り響いていた。
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