第10話・悪夢

「ーーうっ…ひくっ…ううっ…」


シクシクと誰かが泣いている声がする。


この声、どこかで聞いたことがあるな…?


「ーー姉様、何があったんですか?」


誰かが声をかけている。


「ーー私、どうしたらいいの…?」


誰かはそう言うと、洟をすすった。


「エドワード様が、私のことを見てくれないの…。


私はエドワード様の婚約者で、こんなにもエドワード様のことを思っているのに…。


エドワード様は“あの女”のことばかりをお考えになっているうえに、“あの女”のことばかり見ているの…」


…誰だ、“あの女”って?


エドワードが見てる“あの女”って、デイジーのことだよな?


でも別れたとかって言ったぞ、あいつ。


「今日だって、エドワード様は“あの女”のお話ばかりで…私がお話をしている間もエドワード様は“あの女”のことばかりを考えてて聞いてくれなかったの…」


そのことを思い出したのか、誰かはまた泣き出した。


「このままだと、エドワード様は“あの女”に取られてしまう…。


ううん、“あの女”は私からエドワード様を取りあげるつもりなんだわ…。


私からエドワード様を取りあげて婚約者に…」


「ーー姉様、泣かないで…姉様が悲しいと、僕もとっても悲しいよ…」


誰かが誰かを慰めている。


「ーー姉様、僕にいい考えがあるんだ」


誰かが言った。


「僕がそいつをやっつけてあげる。


姉様の大切なものを取りあげようとするあいつを、姉様を悲しませるあいつを、僕がやっつけてあげる」


「ーーホントに…?」


「うん、ホントだよ。


姉様の大切なものを取りあげたらどうなるのか、姉様を悲しませたらどんな目にあうのか、あいつに教えてやろうよ」


「ありがとう、大好きよ」


「僕も姉様が大好きだよ」


 *


ーー何か変な夢を見たな…。


目を開けて躰を起こした俺は思った。


先ほど見た夢のせいなのかはよくわからないけれど、何か寝る前よりも躰が疲れているような気がする…。


と言うか、寝たのに躰が疲れてるってどう言うことなんだよ。


そう思っていたら、コンコンと外からドアをたたく音がした。


「レナード様、おはようございます」


そう言って部屋に入ってきたのは、アンネだった。


「…ああ、おはよう」


あいさつを返した俺の顔を見ると、

「…何か、顔色が悪くないですか?」

と、アンネは聞いてきた。


「やっぱりそう思うか?」


俺が言い返したら、

「はい、悪いです」

と、アンネは正直に答えてくれた。


「何か変な夢を見たんだ。


そのせいなのかはよくわからないけど、寝る前よりも躰が疲れているんだ」


「どんな夢を見たんですか?」


「それが俺にもよくわからないんだ…」


俺は息を吐いた。


「今日はエドワード様に会うのをやめた方がいいかも知れませんね」


そう言ったアンネに、

「アンネ、エドワードの名前を出さないでくれ」

と、俺は言った。


「えっ、どうしてですか?」


訳がわからないと言うように聞き返したアンネに、

「今はその名前を聞きたくない気分なんだ」

と、俺は答えた。


「あー、何か言い寄られていますもんね…」


「デイジーと別れたとか何か訳がわかんないことを言ってやがるし…」


俺とアンネはお互いの顔を見あわせると、息を吐いた。


「まあ、とにかく今日は体調が悪いから会えないと言うことだけ伝えておきます」


「ああ、頼んだよ」


「後で何か消化のいい食べ物と飲み物を持ってきますね」


「ああ、お願いな」


「失礼しました」


アンネが部屋から出たのを確認すると、俺は横になった。


エドワードの告白から…今日で1週間目と言うところだろうか?


彼は宣言通り、俺を自分の方に振り向かせようと躍起になっていた。


仕事の合間をぬって毎日のように離宮に通っては食事をしたり、お茶を共にしたり、庭の手伝いをしたりしながら、今日あった出来事を話している。


お前の今日の出来事なんか聞いてどうすればいいんだ、何を言い返せばいいんだと心の中でツッコミを入れながら聞いている訳なのだが…エドワードはそれでも俺が自分の話を聞いてくれるのが嬉しいのか、とくに気にしていない様子だった。


それよりも、

「何だったんだ、あの夢は…?」


俺は呟いて、夢の内容を振り返った。


誰かが言っていた“あの女”はデイジー…だと思うけれど、別れたって言ってたぞ?


他に心当たりがないかと考えるけれど…エドワードの交友関係は何かわからないし、彼にデイジー以外の女がいるのかどうかもわからない。


「一体、誰のことを言っているんだ…?」


そう呟きながら、俺は目を閉じた。


 *


「ーーきゃああっ!」


誰かが悲鳴をあげた。


「やめて、何でこんなことをするのよ?」


「ーーこんなことって、お前が偉そうに言ってるんじゃねーぞ!」


「きゃっ!」


パリンと音がしたところを見ると、誰かがガラスのようなものを投げつけたのだろう。


「僕は姉様から大切なものを取りあげようとしているお前が許せないんだよ!」


誰かが誰かに向かって言った。


「大切なものって…私は、そんな…」


「口答えをするな、この泥棒女!


僕に向かって偉そうに口をきくな!


虫酸が走るったらありゃしない!」


バシャッと何かをかけた音がした。


「お、お母様の大切なドレスが…!」


誰かはシクシクと泣き出してしまった。


「これは警告だ」


泣いているその声を気にも止めていないと言うように、誰かは言った。


「金輪際、エドワード様に近づくな」


「えっ…?」


「エドワード様に近づいたらお前の家を潰すのはもちろん、お前やお前の家族をこの国から追い出してやる。


姉様の大切なものを取りあげる人間や姉様を悲しませる人間は生きる価値は愚か、この世に存在する価値もないからな」


 *


ガバッ!と、躰を起こした。


「ーーな、何だ、夢か…」


また変な夢を見たな、おい…。


連続で変な夢を見たとなると…俺、本当に疲れてるのかな?


「水でも飲むか…いや、その前に風呂に入るか」


2回も連続で変な夢を見たせいもあってか喉が乾いているうえに寝汗をかいたので躰もベタベタしていて気持ちが悪い。


ベッドから出ると躰がふらついた。


「何かもう…いろいろと気持ち悪いな…」


寝過ぎもよくないなと思いながら部屋の外に出ると、

「レナード様、大丈夫ですか?」


アンネに声をかけられた。


「寝過ぎたからかもな…」


俺は返事をすると、

「これから風呂に入るから後で着替えを持ってきてくれないか?」

と、アンネに言った。


「はい、かしこまりました」


「その前に水を飲んでくる」


俺はアンネの前から立ち去ると、先にキッチンへと足を向かわせた。


蛇口をひねってコップに水を入れると、それを一気に飲んだ。


それから2杯ほど飲むと、躰の中に水分が行き渡ったような気がして躰の調子もよくなったような気がする。


「水分不足が原因だったのか…?」


よくよく考えてみたら、水を飲まずにまた寝てしまったような気がする。


もしかしたら水分不足が原因で変な夢を見てしまったのかも知れないなと思いながら、今度はバスルームの方へ足を向かわせた。


汗でベタベタになった躰と髪を洗って、アンネが持ってきてくれた着替えを身に着けてからまた水を飲むと、すっかり調子はよくなっていた。


「レナード様、顔色がよくなりましたね」


「やっぱりそうだよな」


そう言ったアンネに向かって俺は返事をした。


「もしかしたら水分不足が原因だったかも知れないな」


「なるほど…では、寝る前にいつでも水分が取れるように枕元に飲み水を置いておきましょう」


「ああ、そうしてくれ」


そんなことを言っていたら、お腹がグーッと鳴った。


アンネはフフッと笑うと、

「何か食べる物をお持ちいたしますね」

と、言った。


「ああ、頼んだよ」


俺が返事をすると、アンネはキッチンの方へと足を向かわせたのだった。


調子がよくなったからか腹が減ったらしい…まあ、今日は何も食べていないから腹が減るのは当然か。


そう思いながら躰を伸ばして軽くストレッチをしていたら、

「イテテ…」


頭がチクリと痛んだので、俺はその場に座り込んだ。


同時に、頭の中に何かが映った。


冷たい目で見下ろしているエドワードの姿だった。


金色の瞳はゾッ…とするほどに冷たくて、思わず背筋が凍った。


何で俺のことをそんな目で見ているんだ…?


俺、エドワードに何をしたって言うんだ…?


「レナード様?」


アンネの声が聞こえて、俺はハッと我に返った。


冷たく見下ろしているエドワードも頭の中から消えた。


「どうかされましたか?」


そう聞いてきたアンネに、

「何でもない、ちょっと躰を動かしたらめまいがしたんだ」

と、俺は答えた。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫だ、急に躰を動かしたのが悪かったかも知れない」


頭痛がしたのもそのせいだったんだろうなと思いながら、俺は返事をした。


「食べる物をお持ちいたしました」


「ああ、ありがとう」


アンネと会話を交わしながら、俺は先ほど頭の中に流れてきたエドワードの姿を思い出した。


彼はどうして、冷たい目で俺のことを見下ろしていたのだろうか?


そんなことに至った理由もなければ心当たりも思い浮かばなかった。


だけど、何か肝心なことを忘れているような気がする…。


俺は一体、何を忘れているんだ…?


そう考えてみるけれど、心当たりが何も思い浮かばなかった。

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