第3話・悪役令嬢の駆け落ち

両親と一緒に朝食を食べるために広間へ行ったら、レイチェル専属のメイド・アンネが大慌てで広間へと駆け込んできた。


「何だ、どうしたんだ?」


父親はアンネに向かって声をかけた。


「レイチェル様のお部屋に行ったら机にこんなものが…!」


アンネはそう言うと、父親に何かを渡した。


何だろうと思いながら母親と一緒に渡されたそれを覗き込んでみると、折りたたまれた便箋だった。


父親はそれを広げて読み始めたので俺も一緒に読み進めた。


「バカな…!?」


「う、嘘でしょ…!?」


その内容に、俺と母親は声をあげた。


父親は信じられないと言う顔をしていた。


『わたしには好きな人がいます。


その好きな人と一緒に生きるのでエドワード様とは結婚しません。


今までありがとうございました。


さようなら 


お父様とお母様へ レイチェルより』


便箋には、そう書いてあった。


「レイチェル様はお部屋にいなかったうえに荷物もなくて、それだけが机のうえに置いてあって…」


アンネは膝から崩れ落ちてしまった。


えっ…ちょっと待て、こんな展開じゃなかったはずだよな…?


レイチェルは『両手いっぱいの愛を君に』の悪役令嬢として物語に関わる訳で…いや、その悪役令嬢がいなくなったんだって言う話なんだよ!


「あなた、どうするんですか!?」


母親はまさかの展開に悲鳴をあげて父親に訴えた。


便箋を持っている父親のその手は震えている。


「い、今すぐにレイチェルを探し出して連れ戻すんだ!


まだそう遠くへは行っていないはずだ!」


父親は使用人たちに指示を出すと床のうえに便箋をたたきつけた。


「はい!」


使用人たちは返事をすると広間から走り去った。


「ウェルズリー家に使いの者を送れ!


レイチェルは体調を崩したので1週間ほど遅れると、そう伝えるんだ!」


「はい、ただ今!」


一体、どうなるって言うんだよ…?


悪役令嬢が家出をすると言うまさかのその展開に、俺は呆然となることしかできなかった。


「どうして…どうして、レイチェルが…」


母親はその場で泣き崩れた。


「こんなことがもし世間に知られてしまったらカーソン家は世間の笑い者だ!


ウェルズリー様に何とお詫びをすればいいんだ!」


父親は怒鳴り散らして両手で頭を抱えている。


そんな両親の姿を俺は見ていることしかできなかった。


どうすればいいのかわからないし、彼らに何を言えばいいのかわからない。


そう思っていたら服の裾を引っ張られたので、

「レナード様、今はそっとしておきましょう…」

と、アンネが小さな声で俺に話しかけてきた。


「そ、そうだな…」


俺は返事をすると、アンネと一緒にこっそりと広間から出て行った。


広間を出ると、

「レナード様」

と、アンネが俺を呼んだ。


「何だ?」


俺が返事をすると、

「レイチェル様、もしかしたらクルト様と一緒に逃げたんじゃないかと思うんです」

と、アンネは言った。


「えっ…!?」


クルトと一緒に逃げたって、

「それって、どう言うことなんだよ!?」

と、俺はアンネに聞いた。


「ここだとちょっと…」


「あ、ああ…」


廊下だと誰に聞かれているかわからないし、もしかしたら広間にいる両親の耳に入ってしまう可能性がある。


俺はアンネを自室へと連れて行くと、

「それで、レイチェルがクルトと一緒に逃げたってどう言うことなんだよ?」

と、話を切り出した。


「と言うか、クルトは半年前にここを辞めたじゃないか。


田舎に住んでるおふくろさんの介護に専念したいからとかって言って、ここを出て行ったじゃないか」


そう、クルトは今から半年前にカーソン家を出て行ったのだ。


彼の出身は田舎で両親と3人で暮らしていたのだが生活は常に厳しい状態だった。


カーソン家へきたのも金を稼ぐためで、親戚の紹介でここで働くことになったとクルト本人から話を聞いたことがあった。


クルト自身が稼いだ金は全て田舎へ送っていたのだが、今から半年前に彼の母親が病気になってしまった。


父親は日中は働きに出ているので家には誰もいない、子供は自分1人しかいないうえに誰かを雇うにしてもお金がない…なので、母親の介護に専念したいから退職をしたいと言う理由でカーソン家を出て行ったのだ。


「レナード様は何も知らなかったんですね…まあ、家族にも言わないでくれと口止めをされたので当然のことだとは思いますが」


「どう言う意味だよ」


目を伏せているアンネに向かって俺は言った。


アンネは口を開くと、

「レイチェル様とクルト様はおつきあいをしていたんです」

と、言った。


「えっ…?」


つきあっていた、だと…?


「そ、それは本当か…?」


そう聞いた俺に、アンネは「はい」と返事をした。


「レイチェル様はこの結婚を大変嫌がっておりました。


王族との、ウェルズリー家との繋がりを持つために自分は利用されるのだと嫌がっていたんです」


「り、利用って…」


「クルト様はそんなレイチェル様を慰めて優しく接しているうちに、いつしか2人は恋に落ちて交際へと発展したと言う訳です。


しかし、旦那様と奥様がそんなことを認めてくれる訳がない」


「まあ、そうだよな…。


それでこんなーー駆け落ちをすることになってしまったと言う訳なんだな」


「はい…」


俺たちの間に沈黙が流れた。


クルトが退職したのは先に資金調達と逃走準備、逃亡先での住居の確保をするためだったのだろう。


それらの全てが終わった後にレイチェルを迎えにきて駆け落ちをしたと言うところだろう。


「一体、どうなっちまうんだろうな…?」


沈黙を破るように口を開いた俺に、

「さあ、どうなってしまうんですかね…?」


アンネは返事をすることしかできなかった。


悪役令嬢が駆け落ちをしてしまうと言うよくわからないその展開に、俺はどうすることもできなかった。


「それで、アンネはどうしてレイチェルがクルトとつきあっていることを知っていたんだ?」


そう聞いた俺に、

「お庭でレイチェル様とクルト様が一緒にいるところをお見かけしたんです。


どうして彼らが一緒にいるのかと思って気になって声をかけたら、彼らは先ほどの事情を話した後で自分たちは男女の関係なのだと教えられて」

と、アンネは答えた。


「そうか…」


俺はそう返事をすることしかできなかった。


一体、どうなると言うのだろうか…?


 *


レイチェルが駆け落ちをして1週間を迎えたが、彼女の行方をつかむことができなかった。


「あなた、どうすればいいんですか!?


ウェルズリー様にどう説明して何とお詫びをすればいいんですか!?」


明日の朝にはウェルズリー家の者たちがレイチェルを迎えにやってくるのに、肝心の彼女がいないのでどうすることもできない。


広間にて、母親は椅子に座っている父親にすがって泣きわめいていた。


「こんなことがもし世間の皆様のお耳に知れ渡ってしまったらカーソン家は世間の笑い者です!


もしかしたら、爵位が剥奪される可能性も…!」


どうしたらいいんだと言わんばかりの母親に、俺とアンネはお互いの顔を見あわせることしかできなかった。


「ーーそうだ!」


父親は大きな声でそう言ったかと思ったら、スクッと椅子から立ちあがった。


その足で向かった先は、何故か俺だった。


「な、何でしょうか…?」


そう聞いた俺に、父親はポンと俺の肩に手を置いた。


「ーーレナード、レイチェルの代わりにお前がウェルズリー家へ嫁いでくれ!」


「はあっ!?」


「えっ!?」


「そんなムチャですよ!」


俺とアンネと母親が叫んだのは同時だった。


この親父…今、何て言ったんだ!?


「お前がレイチェルの代わりになるしか他がない!」


「いやいやいや、ちょっと待ってくださいな!」


俺は肩に置いた父親の手を払うと、

「俺、男ですよ!?


レイチェルの代わりなんて無理ですよ!」

と、言った。


「そうですよ、息子が代わりに嫁いだなんてことが世間に知られたらそれこそ笑い者になります!」


アンネも一緒になって父親に言い返した。


「もう時間はないうえに、これ以上期限を伸ばすのも無理がある!


レナード、お前がレイチェルの身代わりとして嫁ぐしか他がないんだ!」


ちょっと待て、まさかの俺が悪役令嬢にならないといけないのか!?


レイチェルの結末は本当にどうなったんだ!?


こんなことになるならちゃんと読んでおくべきだった!


「今のうちに明日の準備をするぞ!


アンネ、侍女としてレナードの身の回りのことを頼んだぞ!」


「私も行くんかい!?」


「時間はない、早いところ荷物をまとめるんだ!」


作戦は上出来だと言わんばかりに使用人たちに指示を出す父親を母親はオロオロとすることしかできないようだった。


…これは、何とも大変な展開になってしまった。


まさか、レイチェルの身代わりとして俺がウェルズリー家へ嫁ぐことになってしまうなんて…。


「レナード様、心中お察しいたします」


「アンネ、その言葉をそっくり君に返すよ」


俺とアンネはお互いの顔を見あわせると、一緒に息を吐いたのだった。

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