⑮暗闇の中で

 陽が落ちて、森の中は真っ暗になっていた。

 わたしは地面にへたり込んだまま、それでもまだなんとか生きていた。

 でも、周囲の地面にはわたしを取り囲むように無数の蔦が蠢いていて、そのさらに向こう側には、こちらをじっと見つめるコヨーテに似た動物たちがいる。


「どうしよう、このままじゃ……」


 わたしは魔光素子の発する光の中で身を縮めた。

 わたしのすぐ目の前には剥き出しの魔術回路が置いてある。

 照明の試作に使った部品の残りが、鞄の底に入っていたんだ。

 その存在に気付いたわたしは、それを組み立てて灯りにした。

 それが初期の頃の部品で、魔光素子の光の色がホルホルの蔦を止めるものだったのは本当にただの偶然だった。最新の部品は蔦の動きを邪魔しない色になっているから。

 でも、それが幸運だったかは正直分からない。

 ただ怖い時間が延びただけなのかもしれない。このまま朝まで乗り切れればいいけど、最初の頃より光が弱まっているような気がする。たぶん、魔石がそんなに保たない。

 それに万一、朝まで保ったとしても周りにはコヨーテみたいな動物たちがいる。

 あの子たちは今は危険を冒さずに狩りをしようとしてるけど、それでもわたしがここから逃げ出そうとしたら、そのときは容赦しないだろう。

 わたしは絶望に震えながら膝を抱えて蹲った。

 楽しかったな、と思う。死んでしまいそうなときにこの世界に来て。色々あったけどリズやアルと仲良くなって。一緒に工房で照明を作って。楽しいことも苦しいことも、みんなで乗り越えて。

 夢みたいな時間だった。でも、そんな時間も、もう……


「やだよ……」


 声が漏れる。


「もっと、生きていたい」


 涙がこぼれ落ちて膝を濡らす。


「みんなと一緒にいたい」


 そのとき、光がチカチカと明滅し始めた。

 顔を上げて、恐ろしさに息が詰まった。


「魔力が、なくなってきた……」


 魔光素子から放たれる光は弱々しくなり、ときどき明滅する。


「やだ……」


 ゆっくりと光が消えていく。

 それに合わせてわたしを囲むホルホルの蔦の輪が狭まってくる。

 立ち上がってほんの少しでも蔦から逃げようとするけど、そんなのは焼け石に水だ。


「ひっ……!」


 足首に蔦が触れて、やがてしゅるしゅると巻き付いてくる。


「やだ、やだ!」


 足を動かして振り払おうとしたけど、一度絡みついた蔦は外れず、それどころか他の蔦もさらに絡みついてくる。


「誰か、助けて……」


 わたしがそんな声を漏らしたのと、魔光素子の光が消えたのはほとんど同時だった。

 暗闇が、わたしの心を押しつぶしていく。

 もう、だめだ。

 そう諦めたときだった。


 夜の森に、力強い遠吠えが響いた。


 直後、何か大きな影が飛び込んできた。

 一瞬だけ魔光素子が回復して、その影を照らす。


「狼……」


 わたしの身体より大きな、赤い毛皮の狼がいた。


「きれい……」


 呆然と呟くわたしをルビーのような赤い瞳で一瞥して、巨大な狼はそれから大きな口を開いた。白い牙がきらめく。

 不思議と恐怖は感じなかった。

 どうしてだろう――この狼になら食べられてもいいと思った。

 けれど、そうはならなかった。

 狼の牙はわたしの身体ではなく、首の後ろの襟を噛んだのだ。


「え……?」


 そのまま引っ張られて、足に絡みついていた蔦が引きちぎれていく。

 その勢いのままぽーんと空中に放り出される。


「えええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」


 くるくると空中で何回転かして、わたしが着地したのは柔らかい毛皮の上だった。

 狼の背中に、わたしは腹ばいになっていた。

 狼はちらりとわたしを確認すると、


「しっかり摑まって」


 え?


「しゃ、喋ったっ!?」


 ううん、それよりも、くぐもってるけど聞き覚えがあるような……。


「え……? え? え? え? り、リズっ!? リズなの!?」

「舌噛むわよ」


 狼――ううん、リズの身体にホルホルの蔦が絡みついていく。

 でもリズは四本の脚をぐっと曲げて溜めを作ってから、一気に跳躍した。

 蔦は一瞬で引きちぎられて、気付いたらわたしはリズの背に乗って宙にいた。

 森の木々より高く飛んで、軽やかに地面に着地する。

 一度の跳躍でホルホルの蔦の捕食範囲から離脱してしまった。


「す、すごい……」


 わたしが驚いていると、周りに小さな動物が集まってくる。


「コルクスね。あんたたちが咲良を……」


 いつもと違って低い声で分かりにくいけど、リズはとても怒ってるみたいだった。

 コルクスというのはあのコヨーテみたいな動物たちのことだろうか。


「咲良、耳塞いで」

「えっ?」


 リズはすっと息を吸ったかと思うと、直後、とんでもない音量で吠えた。

 周囲の草木を揺らすほどの咆哮。

 思わず目を閉じる。耳を塞いだにもかかわらず、きーんと耳鳴りがした。

 恐る恐る瞼を開くとコルクスたちが尻尾を巻いて逃げていくのが見えた。


「ふん、このくらいで勘弁してあげる。咲良、行くわよ」

「え? わ、わわっ!」


 リズはすごいスピードで駆け出した。

 暗い森の中、まるで風みたいに木々の隙間を縫って走る。

 月明かりに照らされた木や動物の影がびゅんびゅんと後ろへ飛んでいく。

 振り落とされないようにわたしはリズの身体にしがみついていた。

 体感でたったの数分。気付いたら三日月に照らされる草原にいた。

 リズがゆっくりと立ち止まる。

 森を抜けたんだ……!

 安心して力が抜けて、わたしはリズの背中からずるずると滑り落ちてしまった。


「ありがとう、リズ……」


 地面に座ったまま狼の姿をしたリズを見上げる。

 すると目の前で驚くようなことが起きた。

 リズの身体が小さくなっていく。それと同時に獣毛が減り、マズルも短くなっていく。前脚は人の腕になって、いつの間にか服も現れて――


「そんなふうに狼になったり人狼になったりできるの!? すごい!」


 わたしの言葉にリズは少し驚いたような顔をしてから苦笑した。


「咲良らしい感想ね」

「えっ……あ、あれ……?」


 人と狼の混ざったその姿に見覚えがあった。

 入学試験のときにクレアにいじめられていた子だ!


「あのときの子、リズだったの!?」

「そうよ」


 わたしの問いに答え終わる頃には、リズはもういつもの姿になっていた。


「ええーっ! ど、どうして教えてくれなかったの!?」


 その質問にリズはどこか気まずそうに視線を落とす。


「人狼って嫌われ者だから」


 リズは短く答えた。冷や水を浴びせられたような気持ちになる。


「そ、そんなのわたしは気にしないよ!」


 リズは苦笑いを浮かべる。


「うん、知ってた。咲良ならそう言ってくれるって。本気でそう思ってるってことも」

「じゃあ……」

「それでも怖かったの。万が一、嫌われたらどうしようって」


 そんなふうに立ち尽くすリズに、わたしはいてもたってもいられなくなった。

 駆けよってぎゅっと抱きしめる。


「ちょ、ちょっと、咲良?」

「ごめん。無神経だったよね。リズが黙ってたんだから、何か理由があるはずなのに、わたし……」

「ううん。私こそ、ずっと黙っててごめんなさい」

「リズ、あのね、わたし、リズのこと好きだよ」

「うん、私も……」

「リズはきれいで、真面目で、いつも優しくて……わたしの自慢の友達だよ」

「うん、私も……」

「それにね、リズ。わたし、リズの狼の姿も好きだったよ。かっこよくて、きれいで」


 リズは少し驚いた表情を浮かべてからはにかんだ。


「うん……ありがとう」

「今度、モフモフさせてね」


 リズが固まった。


「……………………………………モフモフ?」


 リズはじとりとわたしを睨む。


「あ、あれ? わたし変なこと言った? さっき乗せてもらったとき、リズの毛皮すごく気持ちよくて……できれば、その、もう一度触らせて欲しいなって……」


 リズは頬をひくひく痙攣させてわたしの言葉を聞いていたかと思うと、大きなため息をついた。


「いいよ、今度ね」


 それからふっと表情を引き締めてわたしを見た。


「ねえ、咲良」


 空気がぴんと張りつめたのを感じて、わたしは思わず背筋を伸ばす。


「は、はい」

「私、言ったよね。照明が壊れたの、あなたのせいじゃないって」


 う、とわたしは言葉に詰まった。

 一人で森にホルホルの蔦を採りに来たことを言われているのだとすぐに分かった。


「うん……でも、やっぱり、どうしてもわたしのせいでみんなの頑張りがだめになるのが嫌で……その、危ないことしようとしてごめんなさい」

「違う!」

「えっ……?」

「照明のプロジェクトはみんなのプロジェクトでしょ! わたしは咲良が一人でやろうとしたことに怒ってるの!」

「え、え、え?」

「いつもそう! 咲良は一人で抱え込むよね」

「そ、そう、かな……?」

「そうよ! もっと頼ってよ! 今回だって、咲良がどうしてもホルホルの蔦を採りに行きたいって相談してくれれば、私、手伝ったわよ」

「え、そ、そうなの? でも、照明壊れたのはわたしのせいだから……」

「ほら、そういうところ!」


 あ、とわたしは自分の言おうとしていたことに気付く。

 そうか。わたしは自分一人で抱え込んでいたんだ。

 リズたちがいるのに。

 もし逆の立場だったらと思うと、それはとても悲しいことだ。


「……ごめん。今度からちゃんと頼るね」


 わたしが神妙に言うと、リズは真剣な表情を崩して気まずそうに笑った。


「まあ、私も人狼のこと言ってなかったから、お互い様だけどね」

「そろそろ学園に向かった方がいいんじゃないかにゃ?」


 突然頭の上から声がしてわたしとリズは空を見上げた。


「「ララ校長!」」


 星空を背景に猫のぬいぐるみ――もといララ校長が浮かんでいた。


「アルから報告を受けて来たにゃ。無事で何よりにゃ。ただ、そろそろ出発しないと明日の朝の授業に間に合わないにゃ」

「えっ?」わたしは首を傾げる。「でも、ここから学園まで二、三時間だよね」


 たぶんまだ夜の七時か八時くらいのはず。それなら遅くなるけど授業に間に合わないほどじゃない。と思っていると、


「ごめん、咲良」


 なぜかリズに謝られた。


「私、学園とは反対側に出ちゃったの。狼化できる時間がぎりぎりだったから」

「え、じゃあ……」

「学園に戻るには、森をぐるっと回らないといけないにゃ。たぶん学園に着くのは急いでも明け方になるにゃ」

「ララ校長がふわーっと空を飛ばして送ってくれたりは……」

「早速誰かに頼るのはいい心がけだにゃ」

「じゃあ!」

「だけど、それはだめにゃ」

「ええっ、なんで!?」

「学園からの無断外出と禁止区域への立ち入り。本当なら罰があるところにゃ」

「うっ……」

「自分たちで帰るなら見逃してやるにゃ。まあ、特別に道案内くらいはしてやるにゃ」

「そうだよねえ……そんなに甘くないよねえ……」


 わたしががっくり肩を落とすと隣でリズがくすりと笑った。


「大丈夫。二人で話しながら行けば、あっと言う間よ」

「あはは、それはそうかもね」


 わたしとリズは互いの顔を見て笑い、月明かりに照らされた草原を歩き始めた。

 草原に吹く夜の風は火照った身体にちょうどよかった。

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