⑫ひとり森の中で

 落ち葉を踏みしめながら、薄暗い木々の隙間を歩いていく。

 周囲には土の濃い匂いが漂っている。ときどき動物が茂みを通る音がして、わたしはそのたびにびくっと身体をすくませた。


「……このあたり、だよね?」


 わたしは額に浮かんだ汗を拭って立ち止まり、周囲を見回しながら独り呟いた。

 そこは学園から遠く離れた森の中。


「思ったより遅くなっちゃった……」


 工房が荒らされているのを発見してから数時間が経っていた。慣れない土地で舗装もされてない道を進むのは想像以上に時間がかかった。そろそろ夕暮れが近いかもしれない。


「早くしないと、ホルホルの蔦が動き始めちゃう」


 そう。わたしはホルホルの蔦の生息する森に来ていた。

 何のために?

 決まっている。足りない材料を――ホルホルの蔦を手に入れるためだ。

 アルとリズにこのことは言ってない。少し体調が悪いから部屋で休むと伝えてある。資料作りを任せてしまって申し訳ないけれど、分量的には問題ないはず。それよりも、


「わたしのせいだから、何とかしなくちゃ……」


 不気味な森で不安に押しつぶされそうになりながら、わたしは呟いた。

 わたしのせいでみんなの頑張りが無駄になっちゃうなんて、そんなのダメだ。

 暗くなる前にホルホルの蔦を手に入れて、学園に戻って照明を作り直すんだ。多少作りは粗くなるかもしれないけど、みんなで一緒にやれば発表に間に合うはず。

 草木をかき分けて森の中を進んでいく。

 剥き出しの腕や脚に鋭い枝先や葉が当たってうっすら傷を付ける。そのたびに痛くて顔をしかめるけど、それもいつしか慣れていく。

 不意に、周りの様子が変わった。

 それまでたくさんの木が密集していたのに、急に開けた場所になったんだ。

 小さな公園くらいの広さの場所に、一本の大きな樹が生えている。

 わたしははっと息を呑んだ。


「……あった!」


 大きな樹の表面に、たくさんの蔦が絡みついてる。

 ホルホルの蔦だ!

 自然にあるのは初めて見るけど、間違いない。


「まだ明るいから大丈夫だよね……」


 ホルホルの蔦は周りが暗いときしか動かない。薄暗いけど、まだ周りも足下も見える。

 それでも何だか恐ろしくて、わたしは忍び足で近寄っていく。

 少し近づいたところで、鞄から借りてきた鉈を取り出して、ゆっくりとホルホルの蔦の絡みついた樹に近づいていく。

 そのときだった。

 ぱきん、と何か硬い物の割れる音が足下から響いた。

 目を遣るとそこには白い物が落ちていた。


「陶器……?」


 屈んで目を凝らし、背筋が凍り付く。

 それは骨だった――ネズミくらいの大きさの、小動物の骨。

 周囲を見ると、他にも無数の骨が落ちていた。

 小さな動物から、大型犬くらいの大きなものまで。


「ホルホルの蔦に捕まったんだ……」


 ホルホルの蔦に捕まった動物は締め上げられて死んでしまう。

 その死骸はやがて腐り、分解されて、ホルホルの蔦の養分になる。

 知識としては知っていたけれど、実際に目の当たりにすると恐ろしさで身体が震えた。


「……早くしよう」


 わたしは足早に樹に近づいて、絡みついたホルホルの蔦に鉈を振り下ろした。

 何度も鉈を打ち付けて、でも蔦の太さは腕ほどもあってなかなか切ることができない。


「はあ、はあ……」


 息が上がって、汗が垂れてくる。

 それでも少しずつ蔦の切れ目は深くなっていった。


「あと少し……」


 これさえ持って帰れば照明を作れる。そんな一心で鉈を振り下ろす。

 そしてついにそのときが訪れる。

 みし、と樹皮の割ける音がして、蔦が樹からずるりと落ちた。


「……やった!」


 切り落としたホルホルの蔦を、持ってきていた木箱にしまって紐で厳重に縛った。

 これでもうあとは帰るだけ。暗くなる前に早くこの場を去ろう。

 みんなが喜んでくれるのを想像しながら立ち上がって――わたしは固まった。

 森の中に何かがいた。

 青色の目、灰色の毛皮、ときどき覗く白く鋭い牙。

 中型犬くらいの動物だ。前の世界にいたコヨーテによく似ている気がする。

 その子たちは、木々の隙間からわたしをじっと観察していた。

 わたしは思わず後ずさったけど襲ってくる気配はない。全部で十頭くらいだろうか。わたしを取り囲むみたいに、ただ草木の向こうからじっとこちらを見ているだけ。


「どうしよう……」


 わたしは念のため持ってきていた魔杖を取り出して構えた。


「トランスポート!」


 足下に転がった石を魔法で持ち上げて、その子たちの足下に向けて撃ち出した。

 これでどこかに行って……!

 そんな祈りも虚しく、彼らは身じろぎもせずに地面を抉った石をちらりと見ただけで、またわたしをじっと観察し始める。


「こ、今度は当てるからね!」


 そんな脅しにも全く動じない。


「~~っ! 怪我しても知らないからね! トランスポート!」


 石が飛んでいく。今度は直撃するコースだ。でもそれが当たる直前に、当たりそうになっていた子は、ひらりと身を躱して簡単に石を避けた。


「トランスポート、トランスポート、トランスポート!」


 わたしはムキになっていくつも石を飛ばしたけど、その子たちが怖がる様子はなく簡単に全部避けられてしまう。


「何なの……?」


 襲ってくる様子もなく、ただこちらを見ているだけ。まるで、わたしがこの場から逃げ出さないようにしてるみたいに。

 そこまで考えてはっとなった。


「まさか……」


 わたしは周囲を見回した。

 ここに来たときよりずっと暗くなっている。

 ざざざ、と何かが這うような音がした。


「ホルホルの蔦が……!」


 無数の蛇が蠢くみたいに、樹に絡みついていた蔦が動き始めていた。

 わたしに向かって伸びてこようとする蔦もいる。

 その場から逃げ出そうとして、でもコヨーテに似た動物たちに回り込まれてしまう。

 膝が震え、脚から力が抜ける。わたしはその場に座り込んだ。

 間違いない。この子たちは――


「ホルホルの蔦を使って狩りをしてるんだ……」


 蔦の捕食範囲から獲物が逃げ出さないように、自分たちは安全な場所から見張って。

 背後で蠢く蔦と、周りを取り囲む賢い肉食獣の群れ。

 次第に暗くなっていく森の中で、わたしは完全に行き場を失った。

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