④頑張ってみよう
その夜、わたしは独りで寮の談話室にいた。
「はあ……」
「ため息なんてついて、どうしたのにゃ?」
「わあっ!?」
驚いて声のした方を見ると、談話室のソファに黒猫のぬいぐるみ――もとい、ララ校長がいた。いつの間に……。
「びっくりしたぁ。いつも急に現れるのよくないよ……じゃなくて、よくないですよ」
「猫は静かに動くものにゃ。それと今さら敬語で話さなくていいにゃ。それで、どうしたんだにゃ?」
わたしは少し悩んでから、魔杖の授業で起きたことを話した。
自分ひとりだけ魔法がうまく使えなかったこと。
そして、アルがグループに非協力的だったこと。
「今日はそのあと、魔法薬学や魔法生物学の授業でもグループワークがあったんだけど、魔杖学のときと同じで、アルは自分ひとりで別のことしてて協力してくれないし……」
「なるほどにゃあ。初日からいきなりうまくいかないことがあって参ってるわけだにゃ」
「うん……」
ララ校長がじっとわたしを見る。
「ここに来たのを後悔してるにゃ?」
「それはないよ!」
わたしはララ校長の質問にびっくりして、ぶんぶんと首を振った。
「元気に学校に行ける。それだけですごく嬉しいよ! だから、後悔なんてしてない。ただこの先ちゃんとやっていけるか、ちょっとだけ不安っていうか……」
ふむふむ、とララ校長は頷く。
「不安になるのは仕方ないことにゃ。咲良は新しい世界に来て、新しい常識や知識に触れたんだにゃ。人は自分の慣れてない環境に置かれたら不安になるものにゃ」
「そう……なのかな?」
「そうにゃ。だけどそんな中でも、咲良はよくやってるにゃ」
「えっ? でも、わたし何もできてないよ。魔杖もうまく使えなかったし」
「だけど、そうやって練習してるにゃ。頑張ってるにゃ」
ララ校長はわたしがとっさに後ろ手に隠した魔杖と石に気づいているみたいだった。
そう、わたしが夜の談話室に独りでいたのは、魔法の練習をしていたからなんだ。
「それは……わたしはこの世界の子たちと違って今までやってきたことが役に立たなくなって、だから頑張らなくちゃって思ったから。やっぱりうまくできなかったけど。ひょっとして才能ないのかな……?」
「そんなことないにゃ。吾輩が直々に連れてきた生徒なんだから大丈夫にゃ」
自信満々に言われると、何だか大丈夫なような気がしてくる。
適当なこと言ってるだけなのかもしれないけど……。
「それじゃあ、吾輩はそろそろ行くにゃ」
「えっ? あ、ちょっと待ってよ。グループがばらばらな問題は……」
魔法が使えない問題も解決はしていないけど、グループの問題はアドバイスすらもらっていない。
「それはこのあと考えてみるといいにゃ」
このあとって……つまり自分独りで考えろってこと? ララ校長はぴょこぴょこと談話室の窓に向かって歩いて行ってしまう。窓際で何かを思い出したみたいに立ち止まった。
「そういえば、咲良は今までのことが役に立たなくなったと言ってたけど、そんなことはないと思うにゃ」
「え? でも、この世界では魔法が中心だから、前の世界で勉強したことなんて……」
この世界に来る前にララ校長が自分で言ってたことじゃなかったっけ。
確か『これまで学んできたことはそうそう通用しない』って……あれ? その言い方って何だか、工夫すれば通用するみたいにも思えるけど……。
でも、どうやって?
質問しようと思ったけど、そのときにはララ校長は窓の外に消えていた。
「もーっ。いなくなるのも突然なんだから……」
ララ校長が出て行った窓を閉じる。それから大きなあくびをしながら振り返って――
談話室のドアのところに知ってる子がいた。
「あ、アル!?」
わたしは慌てて大きく開けた口を閉じた。誰もいないと思って油断したっ!
「……えっと」
アルは何かを思い出そうとするように眉根を寄せた。あれ? この反応、まさか……
「名前、覚えてない……?」
「……」
図星だっ!
「同じグループの春野咲良!」
「……そうだった。ごめん、人の顔と名前を覚えるのが苦手なんだ」
「別にいいけど……。でも、どうしたの? そろそろ消灯時間だけど」
「消灯時間……? ああ、本当だ。あと十五分くらいか……」
アルは談話室の壁に設置された時計を見て言った。わたしたちの背丈と同じくらいの大きさのある砂時計だ。目盛りが書いてあって、今の時刻が分かるようになってる。わたしは初めて見たときびっくりしたんだけど、これがこの世界の一般的な時計なんだって。
「勉強?」
わたしの問いかけにアルは頷いた。アルは手に持ったノートとペンをちらりと見る。
「隣の部屋がうるさくて、勉強に集中できなくて出てきたんだ。そっちは?」
……ん? 今、わたしのこと聞かれた?
気づくのに三秒くらいかかった。だってアルがこちらに興味を持つなんて思ってなかったから! ていうか、今まででいちばん会話続いてない? すごい!
「えっとね、ちょっと魔法の練習をしてたんだ」
わたしが魔杖と石を持っているのには気づいてるだろうから、正直に答えた。隠すようなことじゃないし、何よりこうして話ができていることが嬉しかった。
「ああ、なるほど」
「まあ、結局まだうまく使えないんだけどね。あはは……」
「教えてもらったんじゃないの? えっと……リクに」
「リズだよっ! 本人の前では間違えないでね……」
それからわたしは授業中に何度も失敗したけど魔法を使えなかったことを説明した。ていうか、隣にいたのに気づいてなかったんだね……。
「そうだったんだ。じゃあやってみてよ」
「…………えっ?」
今度は言われた意味を理解するのに五秒くらいかかった。意外すぎて。
「どうしたの?」
「教えてくれるの?」
「教えられることがあればね」
「えっと……あの、どうして? 授業のときは全然そんな感じじゃなかったのに……」
「授業のときは優先したいことがあった。だけど今、僕はすることがない。それに君は同じグループだから、魔法を教えておくことは僕にとっても無駄じゃない」
わたしは呆れたけど、アルのことがほんの少しだけ分かったような気もした。とても合理的なんだ。あと自分の興味が中心で動いてる。
「嫌なら別にいいけど」
「わわわ! そんなことない! お願いします!」
わたしは談話室のテーブルに石を置いて、これまで何度もやってきたようにトランスポートの魔法を使った。けど、石はやっぱり少しも動かない。
「……なるほど」
「もう一回やってみるね!」
わたしが同じことを繰り返そうとすると、アルは首を振ってそれを止めた。
「いや、いいよ。無駄だから」
「む、無駄……」
が~~~~~~~~~~~~~ん。言うにこと欠いて無駄! ひどすぎる。
わたしが涙目になると、アルの冷静な顔が初めて慌てたみたいに崩れた。
「ごめん、そういう意味じゃない」
「そういう意味じゃない……?」
「咲良は何度も同じことを繰り返したんだよね? それでダメなら、一連の流れのどこかがうまくいってないってことだよ。条件を変えないと」
「条件……」
「まずは魔杖の起点――黒曜石に乗せる指を別の指に変えてみよう」
「えっ、他の指でもいいの? 確かルイス先生は親指を乗せてたけど……」
「構わないよ。親指が利き指の人が大半だけど、人差し指とかの人もいる」
そうなんだ。わたしは親指、人差し指……と順番に変えていく。
「しっくりくる指はある? 吸い付くような感じだと思う」
「あ、薬指だと、貼り付くような感じ? みたいなのがあるよ!」
「じゃあ、その指だ。薬指が利き指になるのは珍しいな……」
アルは口元に手を当てて少しのあいだ黙った。それが彼の考えるときの癖みたい。
「次は回路との接続だ。今は真っ直ぐ伸ばしてるけど、手首の角度を少し変えてみよう」
「手首の角度なんて関係あるのっ!?」
わたしは驚きつつ手首を曲げたり伸ばしたりしていった。
「あっ、この角度! この角度だと手が魔杖の先に繋がってるような感じになる!」
「それだ。じゃあ、指と手首の角度はそのまま。杖の先端とテーブルに置いた石が重なるように見ながら魔力を通してみて。熱を伝えるようなイメージ」
わたしは小さく頷いて、自分の体温がじわりと魔杖に伝わっていく様子を想像した。
次の瞬間――
テーブルの上の石が小さく音を立てて転がった。
思わず魔杖を動かすとそれに合わせて石がころころ転がっていく。
「動いたっ!」
「うん、動いたね。成功だ。次からは宣言を忘れないようにね」
「あ、そうだね。って、なんでそんな冷静なの!? やったよ! すごい!」
わたしが嬉しさのあまりきゃあきゃあ騒いでいるとアルの口の端が少し上がった。
「よかったね。じゃあもう自分たちの部屋に戻ろう。消灯時間になる」
「あ、本当だ……戻らないと」
もう少し練習したかったんだけど仕方ない。
「ありがとう、アル。それじゃあ、また明日」
わたしが満面に笑みを浮かべて言うと、アルは何だか驚いたような表情になって視線を逸らした。
「ああ、うん。じゃあ」
わたしはアルと別れて廊下を歩きながら、初めて魔法を使えたことの嬉しさを噛みしめていた。興奮で身体の奥が火照っている。
それに嬉しかったのは魔法だけじゃない。
授業ではひどく素っ気なかったアルに教えてもらえたことが嬉しかった。
あと、ララ校長の言っていたことも少し分かった気がした。
さっきアルがやってくれた魔法の練習方法は、仮説を立てて、条件を色々変えて実験するっていう、とても科学的なやり方だった。
この世界に科学そのものはなくても、考え方は通じるものがあるんだ。ひょっとしたらわたしが勉強してきたことは、全部が無駄ってわけじゃないのかもしれない。
「頑張ろう。きっと何とかなるよ」
廊下の窓からきれいな銀色の月を見て、そっと呟いた。
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