③最初の授業
「このクラスの担任のルイス・チェンバレンです。『魔杖学』の担当でもあります」
教室に入ってきた先生は、わたしたちが着席するのを待ってそう言った。灰色の髪と切れ長の瞳が特徴的な男の先生だった。静かなしゃべり方もあって少しクールな印象だ。
「魔杖学では、魔杖を使って魔法を使う授業をします。これから魔杖を配るので名前を呼ばれたら取りに来るように」
魔杖! さっき教室に来る途中でクラブ活動をしてる先輩たちが使ってたやつだ!
クラスの他の子たちが次々と呼ばれ、魔杖を手渡されていく。わたしも名前を呼ばれて魔杖を受け取った。
「わあ、きれい……!」
受け取った魔杖はずしりと重い長さ一メートルくらいの銀色の杖だった。金色の線で複雑な模様が描かれていて、所々にきらきら輝く綺麗な石が埋め込まれている。
「これ何でできてるんだろう……。銀の部分は金属……? でもそれにしては冷たくないし……。石は何のために……」
「春野咲良さん、席に戻ってください」
はっとなって顔を上げると、ルイス先生が表情を変えずに静かにこちらを見ていた。クラスの子たちの忍び笑いが聞こえてくる。
「す、すみません!」
わたしは顔を赤くして自分の席に戻った。
「それでは授業を始めます」
クラス全員に魔杖が行き渡ったところでルイス先生がそう宣言した。
いよいよ授業が始まる! ……と思ったんだけど、みんなは自分の魔杖を手にしたのが嬉しいのか、近くの子と話したりしていて教室は騒がしかった。先生が何度か静かにするように注意するけど、落ち着く気配はない。
やがてルイス先生が自分の杖を掲げた。えっ……ま、まさか……?
「サイレント」
ルイス先生がそう呟いた直後、部屋の音がふっと消えた。今まで喋っていた子は自分の声が出なくなったことに驚いて口をパクパクさせていた。
わたしも声を出してみたり、手を叩いたりしてみたけど、何も聞こえない。
すごい! 音が完全に消えちゃってる!
やがて教室の前に立つルイス先生にみんなの視線が集まっていく。
ルイス先生は全員の目が自分に向いていることを確かめると、魔杖を下ろした。
すると消えていた音が戻ってくる。
「すご……」
「何、今の魔法……」
「あんなの見たことないんだけど……」
ひそひそと話す子たちがいたけど、ルイス先生が睨むとすぐに口を閉じた。
「簡単に魔杖の仕組みを説明します。自分の魔杖を見てください。複雑な模様と宝石のようなものがあるでしょう。それらは魔術回路と呼ばれるもので、魔法を定義しています。その回路に魔力を通すことで、魔法が起動します」
おお、何だか理論的な説明。っていうか、ちょっと思ってたのと違うかも……。魔法ってもっと神秘的なものかと思ってたけど、何かちょっと科学っぽい。魔術回路……って電気回路みたいなものなのかな。じゃあ、魔力は電気みたいなもの?
少し気になったことがあって、わたしは「すみません」と手を挙げた。
「何ですか、春野咲良さん」
「魔力を回路に通すだけで魔法が発動されるなら、あの呪文みたいなのは何ですか? ブロウとか、サイレントとか」
「宣言のことですね。あれは魔法行使法という法律で決まっている規則です。安全のため周囲の人に使う魔法を知らせているだけで、魔法の発動とはまったく関係がありません」
ええーっ、そうなの!? マンガとかゲームとかだと、魔力を込めて呪文を唱えて魔法を使うよね。そういうのじゃないんだ……。
「続けます。魔杖に搭載可能な魔法の数は、最大で十個前後。今のところ、皆さんの魔杖には最も基本的な魔法である『トランスポート』だけが搭載されています」
ルイス先生はその後、トランスポートという魔法について詳しく説明し始める。黒板にすごいスピードで数式みたいなのを書き始めて、わたしは慌ててノートを取ったけど、全然分からないよ……。
「先生、ぜんぜん分かりません」
誰かが声をかけた。先生は黒板に文字を書く手を止めて、ゆっくりとこちらを向く。
「ルイス先生、そんな難しいことより魔法の使い方を教えてください」
そんな言葉にクラスのみんながうんうんと頷く。わたしはそれで少し安心した。どうやら分からないのはわたしだけじゃないみたい。
ルイス先生は少し残念そうな表情を浮かべたけど「失礼、悪い癖が出てしまいました」とすぐに冷静な表情に戻って言った。
「面白かったのに」
近くからぼそっとそんな呟きが聞こえた。ちらりと隣に目を遣ると、アルが不満そうな表情で自分のノートを見ていた。そこには黒板を写した文字がびっしりと書き込まれていた。えっ……すごい……。面白かったって、ひょっとしてアルは全部理解してた……?
「それでは初めての人もいると思うので、基礎から行きます。私を見ていてください。まず魔杖の持ち手付近にある黒曜石、つまり魔術回路の起点に指を乗せます」
ルイス先生は魔杖を掲げて、ひし形の黒曜石をこちらに見せながら親指を添えた。
「次にそこから魔杖の回路に接続します。初めての人には掴みづらいかもしれませんが、魔杖の先端まで自分の神経を行き渡らせるイメージです」
さっきまでとは違って、みんなが真剣にルイス先生の言葉に聞き入っている。
「最後に、動かしたい物に杖を向け、接続した回路に魔力を通します。これは黒曜石に自分の熱を移すようなイメージがいいでしょう。これと同時に魔法の宣言を行います」
ルイス先生は魔杖を教卓の上に置いてあるチョークに向けた。
「トランスポート」
先生がそう宣言した直後、魔杖に引かれた魔術回路が光り輝く。
チョークが浮き上がり、先生の魔杖の動きに合わせて、縦横無尽に教室を飛び回る。
天井すれすれを飛んで、それから床に落ちる直前まで急降下。その次は机や椅子の脚の間を抜けてから急上昇。まるでアクロバット飛行だ。
みんなは歓声や悲鳴を上げて、チョークの動きを夢中で見ていた。
「終了するときは、魔力の供給を止めます」
それまで飛び回っていたチョークが教卓の上にふわりと音もなく降りた。
「おおーっ」と歓声が上がり、自然と拍手が起きる。
「それでは、これから石を配りますので、各自、練習をしてください。グループでお互いに教え合いながら進めるように」
ルイス先生が「トランスポート」と宣言すると、足下にあった箱からたくさんの石が浮き上がり、教室のみんなの机に飛んでいってぴたりと乗った。
「とんでもない魔法の腕ね」とリズが呟いた。
「そうなの?」
「ええ。さっきのチョークもだけど、今のはそれよりすごいわ。上手な人でも五個同時に動かすのが限界って言われてるから」
「えっ……今、三十個くらい一気に動かしてたよね」
リズは頷き、感心したようにルイス先生を見ていた。
「魔法の腕だけじゃない」
ぼそりと独り言みたいな言葉が聞こえた。言ったのはアルだった。
それを聞きとがめたリズが「どういうこと?」と眉をひそめる。
「ルイス先生のトランスポートの魔術回路はアレンジされてる。だからあんなことができるんだ。最近、論文で発表された最新の方式だ」
アルがこれまでぶっきらぼうだったのが嘘みたいに早口で説明した。
わたしとリズは呆気に取られてしまう。
「どうしてそんなこと知ってるのよ」
リズが聞くと、アルははっとなって目を泳がせて、
「……たまたま、論文を読んでたから」
と打って変わって無愛想に答えて、ノートに視線を落とした。あれ、頬がちょっと赤くなっているような……気のせいかな。
でも、少し共感もしてしまう。わたしも科学や技術のことになるとこんなふうに夢中で喋ってしまうことがあったから。我に返ると恥ずかしいんだよねえ、あれ……。
「まあいいけど……。それより時間もないし、トランスポートの練習、始めましょう。私はトランスポートなら使ったことあるけど、アル、あなたは?」
その質問にアルが「ある」と頷く。そのやり取りにわたしは驚いてしまう。
「えっ、ララスフィアに入るより前に魔法使ったことあるの? そういうものなの?」
「うん。人や家によるけどね」
「そ、そうなんだ……」
グループ三人の中でわたしだけ未経験者とか焦るなあ……ううう……。
「緊張しなくてもいいわ、咲良。むしろたくさん練習できていいじゃない。私もできるだけ手伝うから」
「ありがとう、リズ~」
わたしは感動してリズの手をぎゅっと握り締めた。
「あなたも、よろしくね」
リズはそう言ってアルを見た。
「……君が経験者なら僕がいなくても大丈夫だと思う。僕はさっきの先生の説明を見直したいから、二人でやってくれないか」
「えっ……」
「は……?」
アルの言葉にわたしとリズは絶句してしまう。でもそうしているうちにアルは手元のノートに没頭し始めてしまった。
「……信じられない。ちょっと、ねえ」
リズがいくら声をかけても、集中し始めてしまったアルは顔すら上げない。
「もういい! 咲良と私、二人でやりましょ」
リズの言葉にわたしはこくこくと頷いた。二人に見られていると緊張するから、こうなってしまったのはかえってよかったのかもしれない。
「えっと……まずは指を黒曜石に添えて……」
ノートのメモと記憶を探りながら、順番に進めていく。
「魔術回路に接続。目を閉じて、神経を行き渡らせるようなイメージで……」
それってどんなイメージなんだろ……。こんな感じでいいのかなあ。
「石に魔杖を向けて、回路に魔力を通す。そして宣言。……トランスポート」
おっかなびっくりトランスポートの宣言をしてみた。けど、石はぴくりとも動かない。
「あ、あれ……?」
わたしが戸惑っているとリズが小さく頷いた。
「考えすぎよ。何も考えずにできるようになるまで繰り返すのがいいと思う」
「わ、分かった」
わたしはリズのアドバイスどおり、何度も繰り返した。段々慣れてきて、考えなくてもひととおりできるようになったんだけど……
「動かない……」
石はぴくりとも動かなかった。
そうしているうちにも、他のグループの未経験の子たちができるようになっていくのが視界の端っこに映る。……わたし、かなり遅れてる? ひょっとして才能がない?? いやいや、何とかなるよっ!
「大丈夫。もっと繰り返せば何とかなるから」
わたしの焦りを感じたのか、リズも少し慌てたようにアドバイスをくれる。
「うん、頑張るね!」
でもそれから何度も繰り返して、結局石はぴくりとも動かなくて、ついに授業時間の終わりを迎えてしまった。たぶんクラスでできてないのはわたしだけだ……。
「それでは今日の授業はここまでとします」
ルイス先生は教室を出ようとして、何かを思い出したように立ち止まった。
「言い忘れていましたが、二ヶ月後に中間試験があります。グループで魔法に関する調査学習をして発表してもらいます。テーマは自由ですが、例年、魔杖魔法の実演を選択するグループが多いです。それでは」
わたしは固まった。二ヶ月後に中間試験? わたし魔法を使える気配すらなかったのに? しかもこのばらばらのグループで……?
……めちゃくちゃ不安だよ。
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