5. ワークがハローしない

「ここは針子小屋だ。村人の服なんかを作っている。」

 最初に連れてこられたのは、木造りの平屋の建物でした。

 大きな作業台が部屋を占領し、どこで手に入れてきたのかもわからない、不思議な布や糸が所狭しと並んでいました。見たことのない機械もありました。

 獣耳の男の子とケイタが並んで建物に入ると、首から下をブーツに似た靴に身を包んだ少女が出迎えました。

「…………なに。」

「あぁ、ヒメ。こいつは新入り。今職探しの最中なんだ。」

 獣耳の男の子は少し前かがみになり、ケイタと話す時よりずっと優しい声で少女に語りかけました。

 少女はじっとケイタを見つめます。

「…………『ニンゲン』?。」

「いいや、こいつは『ニンゲン』もどきだ。」

 ケイタが文句を言おうとしたのを予測したように、男の子の長い尻尾がケイタの口を器用に覆いました。予想外の拘束と毛並みのふわふわさに、思わずケイタは黙ります。

「…………そうなんだ。じゃあ、ゆっくりしていって。」

「おう。ありがとな、ヒメ。」

 去っていく靴を着た少女の背中を眺めながら、尻尾の拘束から逃れたケイタは、男の子に小声で話しかけしました。

「あの子、ここの子?」

「あぁ。」

 男の子は普通の声量で答えます。

「名前、ヒメっていうの?」

「いいや。村人に名前なんてない。」

「え?」

「あいつは、人魚なのさ。だからヒメ。」

 獣耳の男の子は作業台を指さしました。

「ここが作業場。ここで布をたつ係、縫う係、仕上げの係に分かれて作業をする。」

「え、ちょっと、名前がないって、人魚ってどういうこと、君も、」

「うるさいな、『ケイタ』。」

 睨みつけるような目を向けられて、ケイタは黙り込みました。しばらく睨んだ後、獣のような男の子が言いました。

「村人には名前なんてものはない。だからみんな好きに呼んでいる。だからお前も適当に呼べ。」

「……適当に、って……じゃあ僕君のことなんて呼べばいいんだよ、それに僕、ケイタって名前がある」

「ケイタと名乗ればいい。勝手に解釈されて勝手に呼ばれるさ。俺のことは、……。」

 男の子は少し考えました。

「じゃあ、『ネキ』って呼べ。」

「……わかった、よろしく。『ネキ』」

 猫と狐の頭文字を取っただけの名前でした。猫狐と呼ばれるのは嫌がったのに、『ネキ』はよいのだから不思議です。

 ケイタとネキは、針子小屋を後にしました。次に向かったのは村の役所のような場所です。

 針子小屋よりも少し狭い、同じような作りの小屋でした。しかし全く違っていたことがありました。

 ネキとケイタが小屋に入った、その時でした。

「あぁ……?」

 体の大きい熊が、入り口近くに立っていました。

「まずい。」

 こそっと、ネキがケイタに耳打ちしました。

「逃げるぞ。」

 ネキがケイタの腕を掴み、踵を返し役所から出たその瞬間、ケイタのいた場所に何かが刺さりました。

 ケイタがチラと振り返ると、それは熊の腕でした。

「……『ニンゲン』がああぁああぁああ!! 待て!! 猫狐ぉおおおぉおおおおお!!」

 ネキに強い力で腕を引かれるに任せて、ケイタはひた走りました。

 熊の慟哭が、いつまでも、どこまでも大地を揺るがしていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る