第25話 最終回

 2050年、世界中のサッカーファンの注目が日本に集まっていた。日本サッカー協会だけでなく、日本中を巻き込んで招致活動がなされて実現した、W杯日本大会。約束の2050を目指し、多くのサッカーを愛する者たちが努力を積み重ねてきた。そしてついに、その悲願が果たされる瞬間が訪れた。決勝の舞台となった国立競技場はもちろんのこと、日本のあらゆる場所で歓声が上がった。人々は狂喜乱舞し、チームの功績を称え、勝利の美酒に酔いしれた。

 一方、歓喜の渦の中心地である国立競技場の応援席には、そんな空気に交わろうとしないスーツ姿の集団がいた。

 「これが、岡君の観たかった世界ですか」

 「はい、所長」

 岡に所長と呼ばれた男性は、国立競技場の人々の姿を感慨深そうに見渡す。

 「素晴らしい世界ですね」

 「はい、私もそう思います」

 岡は所長から差し出された手を、強く握り返す。隣に座っていた眼鏡姿の欧州系の男性は、タブレットに似たデバイスを忙しそうに操作している。そして、デバイスの画面に結果が出ると、所長に見えるように机の上に置いた。

 「この世界線での、日本の経済破綻の確率は、2%まで大きく引き下がりました」

 「えー!たたがスポーツの世界大会の優勝だけで、そんなことなる?」

 「牧野さんは、スポーツが人間に与える、正の力の影響を軽んじすぎなんですよ」

 岡に牧野と呼ばれた小柄な女性が、驚いた声をあげる。牧野は岡の話を聞いても、納得できないように顔の前で手を振る。

 「いや、まぁそんなに重要視していないことは、認めるけど。一国の経済破綻を回避できる、ってどれだけの影響よ」

 「まぁ、私個人的には、経済破綻の回避は、おまけなんですけど」

 「おまけって...、あんた」

 牧野は呆れたように、岡を見る。岡は、勝利した選手達がフィールドを練り歩き、サポーターに手を振っているのを嬉しそうに見る。

 「確かに今の発言は、私の立場として、見逃すことが出来ませんね」

 「冗談ですよ、所長。2050年W杯日本大会で、日本が優勝することが、経済破綻を免れた世界線に到達するためには必要でした」

 「その心は?」

 「まず、優勝したメンバーの構成です。この頃の日本では、スポーツ界に純潔な日本人というのが少なくなっています。実際に、今回のチームでは9人もの選手が、海外にルーツを持つ選手です。そして、もう一つ重要なのが、移民二世の選手です。彼らは、移民法が改正されてすぐに日本を訪れた方々の、子供たちです。この頃の日本では、代表選手の資格というものが、物凄く議論されていました」

 「つまり、日本人としてのアイデンティティが、揺らいでいた時期だと」

 「はい、そうなんです。今回の優勝で、日本は他人と手を取り合い、一致団結することの重要性を再確認します。それが、政治では内面的な混乱の解決に向かい、再び国際的に力をつける方向への施策の採用に繋がります。また、興奮した日本人は来年にベビーブームを迎えます。そこから、原因は不明ですが、他国に先駆けて、少子化の脱出に成功します」

 「え?みんなハッピーになりすぎて、子作りしちゃうって事?そんな大学生じゃないんだから」

 「牧野さんは、お静かにお願いします」

 所長は、牧野に茶々を入れないよう促す。牧野は、反省していないにもかかわらず、大げさに頭を下げる。

 「スポーツが人間に与える正の力が、窮地の日本の再建に繋がった。と岡君は言いたいのですね」

 「はい」

 「ではもう一つ質問を。なぜサッカーを選んだのですか」

 「それは...。私が生まれたときには、日本ではサッカーをやる環境ではありませんでした。それでも私はサッカーに憧れていました。組織の図書館の資料で、日本でも昔はサッカーの世界一になることを目指していた、と知って嬉しかったです。それで...」

 「合理的な回答ではありませんね」

 「はい」

 「でも。私は人間の持つ、非合理的な思考も好きです。岡君のサッカーへの気持ちが、より良い世界を切り開いた。であれば、私としては問題ありません」

 所長が納得したことに、岡は胸を撫で下ろした。

 「それでさ。この世界線に到達するための鍵が、あの池江って子が、代表の監督になることだったの?」

 牧野は集団の中にいる池江を

 「そうですよ。私が行った一万五千回のシミュレーションの中で、日本が優勝できた時は三回でした。そして、いずれも監督は池江さんでした」

 「あんな面倒臭くて、申請にも時間がかかるシミュレーションを、よくもまぁ、一万五千回もやったわね」

 「最後の方は意識飛んでました」

 「でしょうね」

 「池江さんが監督になるためには、彼が選手キャリアを全うする必要がありました」

 眼鏡の男性が、皆に見えるように空中にデータを投影する。

 「ありがとう、マイク。どれどれ、日本人初のCL優勝と、合計三回の優勝最多記録。日本人初のバロンドールの最終選考三人に残る...。CLって何?バロンドールって何?」

 「CLは欧州で開催されていた、一番強いチームを決める大会です。バロンドールは、その年に全世界で一番活躍した選手の賞、ぐらいの認識で大丈夫です」

 「ふーん。まぁ、いまいち分からないけど、凄いって事で大丈夫?」

 「そうです、本当に凄いんです」

 「なるほど、そんな凄い子が怪我をしないように、代わりに別の子を用意したのね。その子はどうなったの?」

 牧野の質問に、岡はある場所を指差して回答した。牧野は指が向いている方に目をやる。そこには日本代表の選手やスタッフなどが集まっている。ちょうど、池江が選手に担ぎあげられ、宙を舞う瞬間だった。池江は宙に五回舞い上がると、やっと地面に下ろされた。足取りがフラフラの池江は、近くにいた男性と抱擁する。

 「どこよ」

 「今、池江さんと抱き合っている方ですよ」

 「ああ、確かに。もうだいぶおじさんだけど、面影はあるね。彼は、今は何しているの?」

 「日本サッカー協会の会長です」

 「会長って凄いじゃない。早めに引退したことが、逆に裏方の成功に繋がったのね」

 「そう思うじゃないですか」

 岡はニヤニヤしながら、満面の笑みで牧野を見る。

 「そうじゃないってこと?」

 「はい。望月さんは、大きな怪我を連続して三回もしたにも関わらず、なんとJリーグで46歳までプレーするんですよ!」

 岡の大きな声で、周りの観客が振り返る。所長はマイクに、電磁幕発生器の出力を上げるように指示する。

 「岡君、落ち着いてください」

 「申し訳ございません」

 「しかし、岡君は、だいぶ望月さんに肩入れしましたね。その理由を聞いてもよろしいですか」 

 「はい。誰だって良かった訳ではありません。多くの可能性の中で、あの絶望を乗り越えられた人は居なかった。ましてや、その後もサッカーに関わり続けられた人なんて...。どんなにどん底にいても、歯を食いしばって、起き上がってこれる。それができる、私が見つけた唯一の人が、望月さんでした。私は、望月さんの強さに希望を託しました」

 「まるで、あんたが望月さんに恋している、みたいな言い様ね」

 岡の真剣な言葉を、牧野が茶化す。そして、当の本人の岡は、顔を赤らめながら言う。

 「はい、だって私は、望月選手の大ファンですから」

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