第21話

 池江と入れ替わりで部屋に入ると、懐かしい人物が座っていた。かつて、自分をプロとして獲得してくれた強化部長。相変わらず体は丸々太っていて、熊のキャラクターのような見た目。これでも、選手時代はイケメンでスタイリッシュな選手、と持て囃されていたそうである。 

 「三日間、お疲れ様でした」

 椅子に座るように促される。机には何も置いていない。出て行った池江は、一枚紙を持っていた。

 「うちはどうだったかい」

 「はい、施設も整っていて。皆さん優しくしてくれたので、楽しくプレー出来ました」

 「実は、皆で驚いていたんだよ。望月君が、全然緊張している様子がなくて。高校生だと、皆緊張して、初日は動き悪いことも多いのに」

 「あはは」

 だって、ここ慣れてますから。とは言えない。加えて、依然とトップチームの監督もメンバーも、ほとんど一緒だった。

 「監督とキャプテンも、まるで長年うちの下部組織に居たんじゃないか。って冗談言ってしまうぐらい、簡単に練習に入ってきた、って」

 「ありがとうございます。関東出身なので、昔から試合はよく見てました。だからかもしれませんね」

 嘘は言っていない。強化部長もうれしそうに、そうかそうか、と呟く。

 「うちとしては、是非望月君に、今後も定期的に練習に参加しに来て欲しい。白井先生から、他からも声をかけられていることは聞いている。だから、色々なところに行ってみて、比較してもらうのは全然問題ない。だけど、うちはかなり本気だ、ってことは伝えておきたい」

 強化部長は熱っぽく話してくれる。ただ、もし、本当に本気で獲得を希望するのであれば、自分にかける言葉が違うはずである。

 「あの、失礼なことを承知で、お願いがあります」

 「なんだい」

 「もし、本気で自分を必要としてくれるのであれば。自分にも練習参加ではなく、池江と同じように契約のオファーをください」

 強化部長が笑顔のまま、一瞬固まったのが分かった。そして、笑顔を崩さないように、慎重に話し出した。

 「どうして、池江君に獲得のオファーをした、と思っているんだい。本人が言っていたかい?」

 「いえ。池江とはあまり話さないので、本人から聞いてはいません。あくまで、僕の予想です」

 池江のために、本人の口から聞いたという誤解が生まれないよう、強く否定する。

 「まず。今この場で、私たちから池江君にオファーを出したかどうかについては、望月君には言えない。これは、大人のビジネスにおいて、とても大切なことだからね。そして、本当に申し訳ないのだけれど、現時点でチームとしては、望月君に獲得オファー出すのは難しい」

 「分かってます。それでも、お願いしています。池江の方が評価が高いことも、理解しています。でも、このチームに限っては、自分の方がフィットするはずです」

 強化部長は頭を掻く。そして、立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、一口飲んだ。そして、もう一本取り出して、自分にも渡してくれた。

 「これは、オフレコで頼むよ」

 「はい」

 「この三日間見守らせてもらって。望月君は、大人の事情も理解できるタイプだと感じたから、はっきりと言うよ」

 「はい」

 「正直、三日間の練習に関しては、池江君より望月君の方が目立っていた。だから会議でも、望月君の方を推す声は挙がっていた。私も、評価としては、うちが獲得するのを検討する選手としては、十分だと思っている。しかし、じゃあ高校二年生の夏が終わったこの時期に、慌てて手を上げる必要があるのか。そう考えると、まだ卒業まで一年以上ある。その間の成長を見守りたいというのが、本音なんだ」

 「一方で、池江は既に争奪戦が始まっている。他のクラブもオファーを出している情報を掴んでいるから、即契約をしたい...」

 強化部長は、肯定も否定もしない。

 「さっきも言った通り、自分はこのチームのカラーにフィットしていると思います。他のチームの練習にも参加する予定ですが、僕の本命はここです」

 「ありがとう。望月君が、うちを大切にしてくれている気持ちは、本当に嬉しい。ただ、私もこの仕事を十年以上やっている。再度会議の議題に上げたところで、望月君に早期の獲得オファーを出す確率が低いことぐらい、分かる」

 ここまで誠実に話をしてくれている。これ以上粘るのは、強化部長に申し訳ない。仕方なく、分かりましたと答えた。強化部長は、ほっとしたのか、肩の力を抜きながら息を吐いた。

 「望月君は、早くプロになりたいのかい」

 「はい、可能なら」

 「理由を聞いていいかい」

 「プロ生活が一日でも早く始まる方が、日本代表に選ばれる確率が上がる、と思っているからです」

 「ついこの前、U17で選ばれていたじゃないか」

 「A代表の日本代表に選ばれたいんです」

 「A代表か...」

 二十一歳までに、A代表に昇り詰めなければならない。ただ、現状でそれを達成できるスピードで成長出来ている自信が無い。あの、池江でさえ、高卒で入団後二年は下積みの期間だった。そして、晴れてレギュラーになって二年間プレーして、やっとA代表に呼ばれてデビューした。自分がその池江の席を奪うには、池江よりも早いペースで成長しなければならない。

 「焦らない方が良い。というのは、大人の勝手な言い分だけど。望月君は、そう自分を追い込み過ぎない方がいい」

 「でも、追い込まないと成長できません」

 「確かにそうではあるけど。視野が狭くなってしまっては、意味がない」

 「視野ですか」

 「そう。望月君も、プレー中はあらやることを想定するために、視野を広く持つだろ」

 「はい」

 「じゃあ。キャリアでも、視野を広く持つことが必要だよ。望月君は、うちが池江君を優先しているから、自分にオファーが無い、と思っている節がある。私は話していて、そう感じた。しかし、それは間違いだよ」

 強化部長はこちらを、じっと見る。

 「望月君に、今、オファーを出さないのは。まだ、望月君のプレーがプロレベルではないから。一方で、これからも仲良くしたいと考えている理由は、望月君がプロのレベルに追いつこうと必死であることを、感じ取れているから。そして、きっとそのレベルに到達できる、と想定しているから」

 唇を少し噛む。プロのレベルでプレー出来ていない。改めて言葉に出されると、悔しさが込み上げてくる。自覚はある。以前、プロ契約をした頃と比べると、まだまだ一つ一つのプレーの質を、上げきれていない。長所となったフィジカルも、高校年代では圧倒できている。しかし、大学生とやると、当たり負けする機会が増える。

 「まずは、今の環境で、もっと圧倒的になることに集中した方が良い。選抜や代表でも、他の人よりも抜きん出られるように。U17でも、グループステージで負けた上に、望月君自体は、プレー時間は少なかったでしょ」

 「はい」

 「そんな暗い顔をしない」

 強化部長は、しっかりと口角を上げた笑顔を作る。

 ふと、以前父親に貰った言葉も思い出した。あの時も、頑張っても結果が出ないことに苦しんでいた。その時は、どうすればいいのか。落ち着いて、しっかり目標を定め、逆算して、今やるべきことをする。そう言われたじゃないか。今やるべきことは、口でアピールすることでは無い。周りを納得させるプレーを見せつけることだ。本当に情けない。機会はあと一回だというのに、同じ過ちを、何度繰り返すつもりなんだ。

 「生意気言って、申し訳ございませんでした」

 「生意気は若者の特権だろ。立場上、こういうことを言ってはいけないけれど。大丈夫。望月君が望むのであれば、きっと高卒でプロにはなれる」

 強化部長は左手を出してきた。自分も、頭を下げながら、しっかりと握り返す。改めて、自分は周りの人に恵まれていると感じた。自分のことを思って、言葉をくれる。それが、どれだけ幸せなことか。その人たちを笑顔にしなければ、罰が当たる。



 その後、池江は、後に予定していた他のチームの練習参加を辞めて、高校に戻った。一方自分は、そのまま2週間かけて、J1の一チーム、J2の二チームの練習に参加した。国際大会でへし折られた自信は、J2のチームでそこそこ通用したことで、多少は回復してきた。しかし、どのチームからも、現時点でのオファーは無かった。皆一様に、継続的に成長を見守りたい、という言葉をかけてくれた。

 一か月ぶりに高校に戻ると、興津が丸坊主にされている以外、何も変わらない日常が戻ってきた。そして、復帰後すぐに行われた試合の次の日。池江と衝突した。

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