第19話
「望月!最後までしっかり走り切る。残り、五、四、三、二、一。よし、頑張った!」
インターバルトレーニングの十二本目が終了して、その場に倒れこむ。頭は酸欠で朦朧とし、足は震えが止まらない。体を上向きにして、ゆっくりと息を吐き、呼吸を整える事に集中する。頭の近くに立っているコーチの声が、上から降ってくる。
「入学して、一か月ちょい。ようやく望月も、最後まで完遂できるようになってきたな」
「ばぁい。ゴッホ、ゴホ」
喉がカラカラで、声を出すと咳き込んでしまう。目に入った、近くのスポーツドリンクに手を出す。少量を口に含んで、ゆっくりと喉を通す。
「辛いか」
「いえ。大丈夫です。このハードさを、望んでいたので」
コーチに手を引っ張られ、なんとか立ち上がる。そう、何も福岡に来たのは、池江だけが目的では無い。今まで以上の成長スピードが必要となる、今回のやり直し。そこで必要と感じたのが、フィジカルの強化だ。正直なところ、筋トレは嫌いで逃げてきていた。だったら、普段の練習から、徹底的にフィジカルトレーニングを取り入れている環境。そこであれば、強制的にやらなくてはいけない分、これまで以上のプレーが出来るようになることを期待して、ここまで来た。
練習終了後、コーチやチームメイトが寮に戻ろうとする中、興津を呼び止める。
「興津。この後、練習付き合って」
「だから。フィジカルの日は、帰らせてって。望月も、足フラフラじゃん。寮に戻って休もうぜ」
「ならいい。一人でやる」
興津の呆れた顔が目に入ったが、無視して上級生の居残り組に混ざる。練習で使っていたボールとコーンを借りて、簡易的なドリブルコースを作る。気を抜けば足が笑ってしまうほど、疲れている。それでも、少しでも上手くなるため。戦えるようになるため。皆が休んでいる間も、練習を続けなければ、越すどころか、追いつくことさえ出来ない。結局その日も、寮の食堂が閉まる十分前まで、一時間半ほど個人練習を行った。
「今日の試合では。折角なら、ボランチは二年生コンビを試してみたいと思う」
そう言うと、コーチは戦術ボードのボランチの位置に、自分と池江の名前を書いた。中学校のAチームに上がったのは先週。そして、いきなりの先発起用。勝ち負けが大きな意味を持たない練習試合だからこそできる、試験的な先発だということは分かっている。それでも、池江と同じ試合に出る。その事実に心が踊った。これでやっと、試合の中で、池江との実力差を計れる。池江は入学早々にAチームに合流してしまった。自分は一年半かかってしまった。その間、一度も試合で一緒にプレーしたことは無い。
コーチから一通りのゲームプランの指示を受けて、フィールドに入る。キックオフが始まる前の、この約一分程度の時間が、個人的には一番緊張する。
「望月」
隣に立つ池江は、名前だけ呼んできた。顔を見ると、恐ろしく落ち着いた表情をしている。そして、池江の目が真っすぐこっちを見ている。
「分かってる。わざわざ横浜まで来て得た先発のチャンス。これを無駄にする気は無いよ。それに、どんな事情があるにせよ、この試合に関しては、俺も実力で選ばれた。池江と、先輩たちにおんぶに抱っこされる気は無い」
望月は、分かっているならいい、と言いたげな空気を放つ。池江と接するようになって、分かったことがある。それは、かつて興津が言っていた通り、池江はオーラが凄い。むしろ、物静かな性格が影響しているのか、今のように言葉では何も言わず、オーラで表現する癖がある。自分含め、チームメイトも既に慣れてしまったが、当然全員が池江のことを、変わった奴だと思っている。キックオフの笛が鳴る。やっと巡ってきたチャンス。ここで、池江よりも評価されてやる。その覚悟で走り出した。
試合は両者譲らずの、スコアレスドローで終わった。守備的なボランチのため、無失点に抑えられたのは良かった。しかし、奪った後の反撃が実らなかったのは反省点だ。自省しつつ、挨拶が終わると、真っ先に相手チーム側に歩いていく。途中、相手チームの試合に出場していた選手と言葉を交わすが、目的はそれではない。ある選手が目に入る。周りの選手たちが後片付けをしているにも関わらず、ベンチの上に体育座りをして、何やらブツクサと話している。見事にクルクルに巻かれた天パが、綿あめのようになっている。だからから、小柄にしては、遠目からでもよく目立つ。横浜に遠征が決まった時から、今日の試合には一度も出てこなかったこの選手に会うことを、心から楽しみにしていた。
「おい、藤代」
その選手、藤代に向かって乱暴に声をかける。藤代はビクッと体を震わせる。その顔には驚きと、動揺の色が出ている。
「俺、望月」
「え…ああ、望月ね…。俺たち、会うの初めてだよね?俺、お前の事しらないし」
「俺は、知っているけどね」
なんだよこいつ。と藤代の顔に書いてある。この後、すぐにバスに乗って、福岡に帰ることになっている。時間に余裕がない。だから、伝えたいことだけ、一方的に藤代に伝えることにした。
「藤代。今いじけてるだろ。周りが成長期に入った途端に、フィジカル負けが多くなって、試合に出れなくなった」
「は?いじけてねぇし。それに、なんで、見知らぬお前に。そんなこと言われなくちゃいけないんだよ」
藤代は立ち上がり、大きな声で反論する。
「怒るなって。事実だろ。だからこそ、藤代に言いたいことがある」
「事実じゃない」
「とにかく。お前のフィジカルは遅咲き。高校生になったら問題なくなる。それに、藤代のサッカーは今も、これからも。十分に通用する。だから、安心していい。今の俺の言葉が、藤代に届くとは思わないけど。ガキみたいにいじけて、サッカー辞めるな」
言いたいことは言えたので、藤代の肩を軽く叩く。
「お前、一体何なんだよ」
「うーん。強いて言えば、藤代のファンかな。俺、藤代のプレー、めっちゃ好きなんだよね。サッカー上手いって、こういうことかって分かる感じ」
藤代の顔は見ずに、手を振って自分のチームの方に戻る。
「えーと。明日から、七月に入るわけだけど。一点、皆に周知することがある。明日から、池江は高校の方で活動することになった。その関係で、キャプテンを池江から、望月に交代する。じゃあ、望月挨拶」
「池江がチームを離れるからと言って、今年の目標を変更する気はありません。去年のベスト4を超える。優勝を狙う。三年生は、去年のくやしさを忘れずに。一、二年生は挑戦の気持ちを忘れずに。皆で頑張っていきましょう」
拍手が起こり、練習は終了となった。多くのチームメイトが池江に応援の言葉をかける中、そそくさとラダーを取り出し、ステップワークの練習を始めた。
「おーい。もうちょっと、キャプテンが挑戦することに対して、送り出そうって気持ち見せたらどうだ」
ニヤニヤしながら興津が近づいてきた。せっかく開始したが、一度足を止める。
「元、キャプテンな。今は俺がキャプテン」
「なんだろうな、望月って。人間が出来ているのか、出来ていないのか。いまいち分からない。そうそう、それに。白井先生に、池江が上がるなら、自分も上げて欲しいって直訴したんだって」
「した」
「相変わらず、張り合うね~」
「興津は張り合わなさすぎ」
興津の持つスポーツドリンクを奪い取り、一口飲む。
「だって、池江は天才じゃん。ここ来る前は、ワンチャン張り合えるかもって思ってたよ。でも、一緒に練習してみて、無理無理。あれは怪物。ライバル視なんかしたら、途中で絶望しちゃうよ」
「無理ってことは無いと思う。俺なんかより、興津の方が才能あるんだから。十分、池江に付いていけるでしょ。俺なんて、どんだけ練習しても、差が縮まる気がしない」
「はぁー。こんなに一途にライバル視しているのに。当の池江は、眼中に無しっていうのが、また不憫だね」
「そうなんだよ。そこが、またムカつく」
「ムカつくって、望月…」
興津は若干、引いた顔をする。
「この前さ、チャンスになりそうな場面で、池江の上りが遅かったから、俺が代わりに前に出たじゃん。それで、結果的に点取って帰ってきたら、池江何て言ったと思う?」
「カウンターになっていたらどうする。バランス考えろ。だろ。もうそれ聞くの、三回目だよ」
「そう。こっちはちゃんとバランスのこと考えた上で、前に出たわ!池江こそ、後半に強度が落ちる傾向、どうにかしろよ!」
居残り練習をしていた選手が数人こちらを見る。そして遠くから、コーチが大声出すなと怒る声が聞こえてくる。しかし、無視する。その様子を見た興津は、すいませーん、と代わりに返事をしてくれた。
「分かった。落ち着け。それで、話は戻すけど、現実的に、中盤のキープレイヤーが二人抜けるのはありえないって。おまけに、キャプテンと副キャプテン。そうなったら、俺らどうすればいいの。誰がチームをまとめるんだよ」
「興津がやればいい」
「それこそ、無理。俺にキャプテンは、絶対に出来ない」
「じゃあ、出来ることをやってくれ。ラダー、三セット終わったら、クロス上げて」
「今日は、フィジカルの日なので、帰らせてもらいます」
「二年生混じったから、今日軽めだったじゃん」
「聞こえないーい。聞こえなーい。どっかの脳筋ゴリラの戯言なんて、聞こえなーい」
興津は足取り軽く、歌いながら寮の方角に逃げて行った。
「いや、どっちかと言うと、興津の方が脳筋ゴリラだろ」
興津には届かない皮肉を言う。しかし、興津が話しかけてくれたお蔭で、滅入っていた気分が少し晴れた気がする。
「よし。やっぱり、ラダーのセット数増やすか」
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