第16話

 就活について話をした日以来、藤代とは会わなくなってしまった。自分から電話をしても、予定があると言われてしまう。よくよく考えれば、就活が本格的に始まっている。将来を真剣に考えていれば、悪友との時間を作れないのは当たり前である。そうして、四月、五月と月日は流れ、気が付けば八月の終わり頃になっていた。そんなある日、藤代からお茶をしようと誘われた。

 「久しぶり」言葉とは裏腹に、藤代は昨日も会っていたかのように挨拶してくる。

 「久しぶり。ほんと、三か月以上は会ってなかったな。就職活動どうだった?」

 「就活?ああ、ある意味決まったようなもん」

 「ある意味って、何だよ」

 「俺。実は、もう一度サッカー真剣にやることにした」

 「は?え、真剣ってどのレベルで?」

 「東京都の社会人サッカーリーグ2部のチームに、入れてもらえることになった」

 「それって、J1、J2とかの表現だと、どこになるの?」

 「確か…。J8」

 正直驚いた。確かに、以前にサッカー関連の仕事をしたいという話をしていた。その中で、サッカーに未練があるのであれば、再びやれば良いとも言った。しかし

 「J8とか…。もしかしてだけど、就職は…?」

 「しない」

 「馬鹿かよ。東大行ったのに、サッカーやるためだけに、キャリア捨てるか、普通」

 「普通はしないよな」

 藤代は飄々と答える。サッカーをやっていれば、高卒でJ2から声がかかるほどの才能の持ち主だ。しかし、高校・大学とサッカーから七年も離れている。二十一歳から真剣にやったところで、到達できる高さには限度がある。それも、日本の最高学歴という、就職で一番強いカードを捨ててまでやることでは無い。

 「分かるよ。望月の言いたいことは」

 顔に考えが出ていたのかもしれない。藤代は半笑いでコーヒーを飲む。

 「でもさ。前に、望月が俺のプレー好きって言ってくれたじゃん。あれ、なんか妙に、凄く嬉しくて。そういえば、母さんと父さんに上手いって言ってもらいたくて、沢山練習していたこと思い出したんよ」

 「うん」

 「でな。母さんに就職せずに、二十代の間だけ、またサッカーやってみようかなって。冗談で言ってみたのよ。ぶっ飛ばされるのを承知で。そしたら、母さん泣き出して。また、俺がサッカーやりたいなら、自分の人生だから、悔いの無いようにやって良いよ。応援しているよって。言ってくれた」

 気のせいかもしれないが、藤代の目が少し潤んでいる気がする。

 「だから、またやることにした。俺の二十代の人生かけて。俺、サッカー好きだから」

 そういえば、藤代という男は漫画の主人公のような奴であることを思い出した。以前のやり直しでも、弱小校に入った元エリートが、皆をまとめて強豪校を破る。そして、高卒でJ2入団。その後に、オリンピックまで出ている。その原動力は、サッカーが好きという気持ちだ。

 「意地悪だけど。無理だと思うよ、って言ったら?」

 「やってみないと分からないだろ、って答える」

 「なんで、わざわざ、俺に報告してきたんだよ」

 「だって、望月も諦めて、投げやりになっているだろ?それが何かは知らないけど」

 「なんだよそれ」

 「隠しているつもりかもしれないけど、俺は分かるよ」

 藤代は俺の目をじっと見る。そして、鞄を持って椅子から立ち上がった。

 「俺は挑戦するよ。望月も頑張れ、お前なら出来る」

 そして、静かに去って行った。



 藤代と別れた後、そのまま一時間ほどカフェでスマホゲームをしてから帰宅した。家に帰ったのは二十時頃で、ギリギリ夕食の時間に間に合った。

 「ちょっと、食べるなら食べるって連絡しなさいって、いつも言ってるでしょ」

 「悪い悪い。友達と夜ごはんも食べる予定だったんだけど、早めに別れちゃって」

 母親がすぐに味噌汁と白米を出してくれたので、食卓に着く。リビングでは、父親がものまね番組を見ている。

 「文哉、就活はどうなの?順調?」

 「あぁ、順調・順調」

 「本当に?お母さん、あまり真剣にやっているようには見えないけど。ね、お父さん」

 話を振られた父親は、あぁ、とだけ言って、テレビを見続ける。最後に父親と目を見て話したのは、いつだろうか。高校、いや、中学の時には、もう父親との会話は無くなっていた気がする。恐らく、自分自身が、両親に関心が無かったのが大きい。

 


 その後も母親から、しつこく就活について聞かれることがうっとうしくなり、急いで食事を終わらせた。部屋に戻ると、床に放置していた漫画雑誌に引っ掛かり、転びそうになる。あやうく、ベッドに頭をぶつけてしまう所だった。改めて自分の部屋を見ると、とにかく物が散乱している。食べかけのお菓子や空のペットボトル。脱ぎ捨てた洋服。いつ自分はこんなにも、物が片付けられない人間になったのだろうかと考える。そして、あることを思い出す。

 「そっか。今回、母親が俺の部屋に、ほとんど入らなくなったもんな」

 そして、部屋の壁や本棚に目をやる。壁には何も貼っていない。本棚も漫画が乱雑に入っているだけである。いままではここに、色々な品が飾ってあった。そして弟曰く、両親は毎日のように、掃除や手入れをしていたそうだ。しかし、今回は飾るものは何も無い。だから、部屋に入る理由も無い。壁に手を伸ばしてみる。白い壁紙は、夏なのにひんやりしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る