第15話

 「文哉、今日大学行くの?」

 扉の向こうから、母親の声が聞こえてくる。

 「行く~」

 「もう九時過ぎているけど、何限目から?」

 「確認する~」

 適当に返事をする。確か今日は1限目からだった気がする。九時を回っているということは、もう遅刻だ。

 「ま、出席取らないし、なんとかなるだろ」

 とりあえず、一番うるさい母親に怒られないように、朝食だけ取り体を起こした。



 結局大学に着いたのは、十三時過ぎだった。

 「おはよう」教室にいた友人に声をかける。

 「おはようって、もう昼過ぎ。そういえば、同じ必修取ってるはずなのに、午前中見掛けなかったな」

 「うん、サボった」

 「サボったって…」

 「うちの学校で、お前みたいに真面目な方が珍しいよ」

 実際、教室には生徒が三十人ほどしかいない。ここの教室は二百人まで入れる大部屋。そして、授業の登録者も少なくとも百人は超えているはずである。それなのに、いつも授業はガラガラで行われている。

 「午前中の授業で、レジェメ配られた?」

 「ああ、配られたよ」

 友人はクリアファイルに入っている紙を何枚か取り出し、机に出してくれた。それらを一枚ずつ、スマホのカメラで写真を撮る。

 「ありがとう。助かった。じゃあ、帰るわ」

 「なんのために来たんだよ」

 「お前に会うため」

 友人は面と向かって、気持ち悪いと言った。そして、笑いながら、またな、とも言ってきた。



 サークル棟に寄ってみたものの、誰もサークルメンバーが居なかった。一時間前に実家を出たばっかりで、今帰宅することはできない。仕方なく、大学の最寄り駅のカフェでスマホゲームをして、時間を潰すことにした。

 「ねぇ、私さ。卓君が浮気しているの知ってるよ」

 席に座り、アイスコーヒーを啜っていると、隣のカップルの女性の声が聞こえてきた。

 「それも、一人じゃなく。私以外に、三人もいること」

 つい、口に含んでいたものを少し零してしまった。こういう時に限って、白のTシャツを着てしまっている。すぐにお手拭きでコーヒーを拭く。零れた場所が、目立つ場所でなかったのが幸いだ。隣のカップルの方を見ずに、耳だけ立てて、引き続き会話を聞く。

 「付き合うときに、他の女の子と遊ぶのは辞めるって話だったよね」

 「あれ?そんなこと言ったっけ」

 「言ったよ。私とだけ付き合うって」

 「確かにそれは言った。だから、付き合っているのは柚子ちゃんだけだよ」

 「だから、私と付き合っているのに、なんで他の女の子と遊んでいるの?」

 「っえ。ああ、だって、友達だから」

 「友達なのに、キスするの?」

 「どうして、キスしてるって思っているの」

 女性側は何やらスマホを操作し始める。そして、画面を男性の方に向けた。

 「ああ。なるほどね」

 恐らく、遊び相手とのキス写真でも見せられているのだろう。明らかに男性側の声の勢いが無くなった。

 「そうね。まぁ、友達だからね。フレンド的な…」

 音を出さずに、笑ってしまった。隣の二人には気づかれていない。すると女性は、目の前にあったコップの水を男性にかけた。

 「だから、なんで彼女いるのに、セフレいるんだよって言っているの。反省していないなら別れる」

 「そっか。今までありがとう」

 男性は淡泊に女性の提案を了承した。女性はバッグを持って去っていった。ドラマや漫画ではド定番であるにも関わらず、現実では見たこと無いシーンのNo.1が隣で繰り広げられた。

 「あぁ、濡れちゃったよ。すみません、お水が飛んでませんか。大丈夫ですか」

 男性は隣にいた俺に話しかけてくる。大丈夫と言おうと思い、男性の顔を見る。

 「藤代…」

 「え?」

 隣には、藤代がいた。以前のやり直しの時に、高校で共闘した仲間。そして、かつてはエリートのサッカー少年だった。

 「あれ、俺たち知り合いすかね?」

 「いや、こっちらが一方的に知っているだけです。アンダーで日本代表選ばれてたの知ってるぐらい」

 「あぁ」

 藤代はどう言葉を続けようか悩んでいそうな表情をする。

 「彼女さん、怒っていたけど大丈夫?」

 「あぁ、まぁ大丈夫っすよ。やっぱり、彼女になると皆、独占欲強くなりますね」

 藤代は鞄の中からハンカチを取り出して、洋服を拭く。藤代はモテる。まずなんといってもコミュ力が高い。そして、基本凄く優しい。ただ、以前も彼女を作るのは面倒くさいと言っていた。何もダメージを受けていないような様子からするに、恐らく、藤代にとっては女の子が怒るという場面は、何度も経験しているんだろう。



 不思議なことに、あの水かけ事件の一件から、今回も藤代と仲良くなった。そして、今回の藤代についても色々と知ることができた。

 「え?東大生なの?マジ?」

 「おうよ。でもなにその反応。俺のこと、馬鹿だと思ってるの」

 「いや、馬鹿とは思っていないけど。そんなに賢いとも思っていなかった」

 「まぁ、よく言われる。でも、俺こう見えて。高校三年間は、勉強ばっかやっていたの」

 「部活は?」

 「部活か…。何も入らなかったよ」

 「サッカー部、誘われなかったの?」

 「誘われたよ。なんかめっちゃ熱血な顧問の先生に。でも、もうサッカー辞める気でいたから断った。それにうち、進学校なだけあって、弱いの弱いの。結局俺がいた三年間、全部地区予選も抜けられてなかった」

 「そっか」

 「そんな俺の高校時代の話より。今日、パチンコ行こうぜ」

 「いいよ」

 仲良くなった自分と藤代は、学校は違えどよく二人で過ごすようになった。正直、二十歳の思い出といったら、パチンコやダーツ、ボーリング、麻雀。たまに、藤代の女性関係の仲介・後処理。そんなダメな大学生の生活しか思い出せない。

 


 「なぁ、望月って就活してる?」

 「してないよ」

 「やっぱり」

 大学四年生の春。藤代の部屋でゴロゴロしている自分。一方、藤代は新品の四季報を取り出して、ページを捲っている。

 「大学卒業したらどうするの?」

 「どうもしないよ。そもそも、卒業さえできないかも」

 「まじか。確かに、望月が大学の授業行っている姿、一度も見たこと無い気がする」

 「それは言い過ぎ。少なくとも、週一は学校行ってる」

 「少なすぎるだろ…」

 「そんな藤代は、どこに就職するの。東大生だと選び放題なんじゃない?」

 「そうでも無いらしいよ。入口は有利かもしれないけれど、最終的には大学の時にどんな時間の過ごし方をしたかとか。どれだけ勉強したか。とか、結構シビアらしい」

 「悪友と朝からパチンコ行って、夜はずーと酒飲んでました」

 「あはは。絶対どこからも内定もらえない」

 「大学生なんてこんなもんだろ」

 藤代は笑いながら、パソコンの画面を見ている。そして、ボソッと零した。

 「やっぱり。サッカー関連の仕事したいんだよね」

 「おお、どういう心境の変化」

 「これ」

 そう言って、藤代はスマホの画面を見せてきた。そこには藤代と一緒に二人映っている。

 「池江。それに、茶髪になっているけど、これもしかして興津か」

 「望月すごいな。池江は分かるとしても、興津も知ってるの何で?」

 「ほら、興津も池江の次ぐらいには有名じゃん」

 「ふーん」

 「で、この写真どうしたの」

 「そうそう。この前、興津が全日本大学選抜に選ばれて、その試合があったんだけど。池江と一緒に見に行ったの」

 「二人って仲良いの?」

 「俺と池江は、地元一緒だよ。母親同士も仲良い」

 池江は、中学から福岡に移ったことは知っている。しかし、そこの接点は知らなかった。

 「それで色々話したんだけど。池江は今年スペインに移籍しようとしているんだって。実際にオファーも来ているらしい。で、興津は来年からプロ。なんかさ、皆頑張っている話聞いて、俺もサッカーに関わる仕事で、あいつらを応援したいなって思ったの」

 「ふーん」

 「ふーんって、反応薄いな」

 「サッカー関連って言っても、もどんな仕事するつもり」

 「そこが、まだ決めていないんだよね」

 「決めていないんかい」

 軽く藤代の肩を叩く。パソコンの画面を見る。クラブチームのスポンサー営業や広報。スポーツイベントの企画職。スポーツビジネス関連の会社の情報が並んでいた。

 「しかし、意外だな」

 「何が?」

 「藤代って、まだサッカーに興味あったんだな。プレステのゲームはするけど、ほとんどサッカーの話はしないから、てっきり、サッカーはもう関心無いのかと思ってた」

 「そうだな…」藤代は考え込むように、顔を上に上げて唸る。

 「関心無いどころか。結構、未練タラタラかも」

 「嘘!」

 「嘘じゃねぇよ。諦めなかったらもっと人生楽しかったかな、と考える時はあるよ。中学時代の挫折一つで、投げやりになるなんて。本当に子供だったなって」

 藤代は半笑いをする。そして、発言が恥ずかしかったのか、俺の顔を見るとなぜかパンチをしてきた。

 「だったらさ、別に今からでも遅くないだろ。サッカーやりたいなら、草サッカーでもやればいいじゃん。俺、藤代のボール貰う瞬間にターンして、一発で前を向くプレー好きだよ」

 「そうだな。じゃあ、やるか」

 藤代は、まるでこれからパチンコに行くかのように、気軽に言った。

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