第11話

 芝生がきれいに整っている大学のグラウンドが、目の前に広がっている。前回、選手としては一年間しか、このグラウンドの上に立っていられなかった。四月だというのに、まだ空気は冷たい。しかし、自分の手には汗が滲み出ている。やや緊張しつつ、ゆっくりとグラウンドに入る。既に、グラウンドには部員が集まりだしている。ざっと見渡しても、先輩含めて、ほとんどの部員の顔と名前は一致する。

 「おーい。望月。こっち、こっち」

 ベンチ近くでストレッチをしていた深沢が、手を振りながら呼んでくれた。その声を聞いた部員たちが、自分の方を向く。深沢は立ち上がり、軽くハグをしてきた。ちなみに、今まで一度も、深沢にハグなどされたことはない。

 「こいつ。同じ高校の望月」

 深沢は自分の紹介をしてくれた。すると、目の前に座っていた短髪の部員が素早く起き上がり、握手を求めてきた。

 「俺、福岡からきた興津おきつ。俺のこと知ってる?」

 「もちろん。高校日本代表にも選ばれてただろ」

 「知ってくれてて、うれしいな。俺も深沢から色々話は聞いてたから、望月のこと知ってはいる。右サイド仲間だから、仲よくしような。しかし、この大学一般で受かるって、滅茶苦茶凄いな」

 「俺からしたら、スポ薦貰って入学している、興津の方が凄いよ。でも、ここにしたんだな。てっきり別の大学行ったと思ってた」

 「なんで?」

 前回は居なかったから。なんては、口が裂けても言えない。やり直しで流れる時間は、全体的にはほとんど同じことを繰り返す。しかし、自分が高校の歴史を変えたように。細かい所を観察すると、少しずつ違う点があることに気が付く。今回、興津とチームメイトになったことにも、きっと何かの運命のいたずらがあったのだろう。

 「大学のカラー的に?」

 「なんだよ、それ」

 興津は笑いながら、軽く肩を叩きいてきた。すると、コーチの集合の呼びかけが、グラウンド内に響く。全員が小走りで、コーチのもとに向かう。ここからまた、大学の四年間が始まる。今回もチームメイトには、全国で戦ってきた猛者たちが集まっている。

 「大丈夫。俺も、全国区の選手の一人だ。今度は挫折しない」

 小さな声で自分に言い聞かせる。



 「俺、よくよく考えたら。国立競技場の観客席側に座っているの、初めてかもしれない」

 「自慢か」興津がわざとらしく言うので、しっかりと突っ込む

 「どうして?」

 「白々しい。要は、国立来るときは、いつもフィールドに立ってた、って言いたいんだろ。俺らは冬の選手権でも、決勝までは残ってないから、そもそも来たこと無いよ」

 なるほど、と深沢は手を叩く。

 「まぁ、まぁ。怒りなさんな。誰のおかげで、こんなメインスタンド側のいい席を取れたと思ってる」

 興津はチケットを見せびらかす。確かに、座席は凄く良い。目の前にはフィールドが広がっている。ウォーミングアップをする選手たちの声まで聞こえてくる程、観客席とフィールドが近い。そして、スタジアム全体を見渡すと、満員じゃないかと思うぐらい人が詰めかけている。理由は、サッカー男子日本代表の人気が凄まじいからだ。ドイツ・イタリア・イギリス・スペインと四大リーグで活躍する選手を筆頭に、歴代最強と言われている。そんな豪華な選手に加えて、今回の親善試合にはもう一つ目玉がある。

 「どう?池江いけえ。スタメンで出そう?」

 「どうだろう。でもウォーミングアップ見る限り、スタメン組に混ざっていたよな」

 興津は、興奮気味に声を出している。すると、これから始まる試合のスターティングメンバーの発表が、丁度始まった。人気選手の名前が呼ばれる度に、会場は一回一回盛り上がる。そして遂に、皆が期待している若手選手の名前が呼ばれた。

 「池江。キター!」

 興津が大きな声を出して立ち上がる。そして、周りのサポーターともハイタッチをする。中には、興津と抱き合うサポーターもいる。

 「深沢。電光掲示板の池江の文字が入るように、スマホで撮って」

 興津はスマホを深沢に渡す。そして、池江頑張れー、と叫びながら動画を撮って貰っている。興津だけでなく、周りのサポーターも同様に、SNSにアップするための動画を撮っている。各々が池江に期待しているのだ。改めて、電光掲示板を見る。スター選手と連なって、同い年の選手の名前が表示されている。

 「羨ましいな」

 不意に口に出してしまった。そして、その言葉を聞いた二人が、こちらに顔を向ける。

 「たまに、望月って凄いことを言うよな」興津の言葉に、深沢も頷く。

 「中高一緒に過ごしたから言えるけど、あいつはまじ化け物。池江に対して、羨ましいなんて感情を持ってたら、すぐにメンタルやられる。俺らと次元が違うんだから」

 「でも、羨ましいものは、羨ましいじゃん。池江ぐらい上手くなってみたいな、とか。こんなに多くの人から期待されてみたいな、とか。あと、単純に日本代表のユニフォーム着てみたい」

 「俺らは、高校と大学選抜の欧州遠征で着てるけどな」

 興津にまた自慢をされる。

 「なぁ、二人から見て。俺に足りないもの、ってなんだと思う?」

 「オーラ?」興津は即答する。

 「もっと真面目に考えてよ」

 「いやいや。結構真面目によ。望月ってオーラ無いなって、会った時から思ってた」

 「失礼すぎるだろ」

 「だってよ。池江なんか、中一の頃から、オーラバンバン出してたぞ。俺は将来、日本の宝になる男です、って感じのスター性が。一方で、望月はどこか自信が無いというか。なんでも卒なくできるけど、印象に残らないっていうか」

 「じゃあ、オーラの出し方教えてくれよ」

 すると、深沢が漫画の孫悟空の物まねを始めた。そんな馬鹿なやりとりをしていると、スタジアム内に選手入場の曲が流れてきた。フィールドの入口から、日本代表の面々が出てくる。列の後方には、池江が精悍な顔つきで並んでいた。



 「興津。だいぶ落ち込んでいたな」

 深沢は先程からスマホで、日本代表関連の記事や掲示板を漁っている。

 「まぁ、誰だって。友人が怪我するのは辛いからね」

 「お、協会がHPで発表している。検査の結果、出るの早いな。池江、右膝十字靱帯断裂だって」

 「断裂⁉それは、かわいそうに…」

 「とりあえず、この後は検査のために、チームドクターがいるスペインに戻るから、代表からは離脱するって。」

 「そっか。靱帯断裂って、どのくらい治るのに時間かかるんだろう」

 「よく言われるのは、リハビリ込みで七・八か月ぐらい。下手すると、一年はかかるイメージ」

 「スペイン移籍して、開幕戦も出場して、これからって時に不運すぎる」

 居酒屋内のテレビでも、丁度試合のハイライトが流れている。そして、池江がファールを受けるシーンが映し出される。MCのアナウンサーから、コメンテーターとして出演している、元日本代表FWの男性に質問が飛ぶ。その男性は、いかに池江へのファールが酷いものであったかを熱弁している。

 「ほんと、靱帯断裂しているのに、カードも出ないのは審判も酷すぎ。あ、もう二十三時過ぎてる。解散しよう」

 「えー、今日は朝まで飲もうぜ」

 「深沢。お前、プロにいって縛られなくなったら、自己管理能力の欠如で失敗するタイプだぞ。今から、意識高くやれよ」

 「冷たいな」

 「心のそこから応戦している友人としての、助言だよ」

 名残惜しそうにこちらを見続ける深沢を振り切り、自宅に戻る電車に乗る。自宅の最寄り駅に着いたのは、テッペンを回った頃だった。足は自宅ではなく、小学校の近くにある公園に向かう。酔っぱらっている訳ではない。公園には電灯が何本もあるが、全体的には薄暗い。静かな公園の中、ブランコの揺れる音がかすかに聞こえる。

 「岡さん。お久しぶりです」

 「お久しぶりです。望月さん」

 岡さんは、最初に会った時と同じように、胡散臭い笑顔を浮かべている。

 「もしかしたら会えるかな、と思って寄ってみました。ただ、本当に居てビックリです」

 「私に会いたかったのですか」

 「はい。謝りたくて」

 「別に、謝っていただく必要はありませんよ。私としては、とにかく次も頑張ってください、としか言いません」

 「今回も、頑張ったつもりなんですけどね」

 「つもりでは困るんです。しっかり、結果を出すぐらい頑張ってください。望月さんは、まだまだ努力が足りません」

 岡さんは言葉では否定してくる。しかし、その口調は前回のように、一方的に責め立てるようなものではない。

 「今回、俺諦めませんでしたよ」

 「それはどうでしょう。確かに大学では最後まで、選手としてもがいていたと思います。でも心の中では…?」

 岡さんはこちらを覗き込んでくる。

 「少し、ああ。今回もダメだなと思っていました」

 「それでは困ります。自分で自分の限界を決めないでください」

 確かにそうだと思う。今回自分は、中高で全国レベルを経験すること。そして、大学四年間を選手として全うすること。という目標を立ててしまっていた。そう、無意識に自分で、自分の限界を決めてしまっていたのだ。以前、ある選手のインタビューの中で、プロになる人の特徴は?という質問があった。その選手は、自分がプロになることを疑わない奴。無根拠にプロになれると信じている奴と答えていた。まさに前ちゃんはそのタイプだ。だからこそプロになれるのだ。自分は?二回のやり直し、二十年かけてもプロに到達できなかった。

 「あとは、自分をいかに信じられるか…か。よし、次で絶対にプロになる」

 再び、明日という十年前に向かう決心をする。

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